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第百九十九話 遅れてきたテンプレ

 WTDT杯明け久々となる部活動。これから全国大会へ向けて、霜楓杯へ向けて、そう各々が気合を入れようとしていた時にそれは起きた。


 ──東城が、霜楓杯への欠席を表明した。


 部活の始まりを知らせるチャイムと同時に告げられた東城の言葉に、部室に居た面々は皆硬直する。


 俺は扉の前で一度、ここで二度その言葉を聞いた。


「え……冗談ですよね?」

「東城先輩、具合悪いんすか……?」

「別にそんなんじゃないわ、ただちょっとね」


 来崎と葵に心配され、東城は大げさなことを言ったつもりはないと身を引いたような態度で訂正する。


 奥で静かに棋譜を見返していた隼人も、さすがに驚いた顔で東城を見つめていた。


 ……そう言えば、兄の魁人は休みだろうか。まだ部室に来ていない。


「ふ、ふむ……鈴木会長」


 武林先輩が困ったような顔で隣にいる鈴木会長に目配せする。


 東城はこう見えても根っからの優等生だ。普段からあまりこういったワガママをいうタイプではない。


 だからこそ、こうして告げられた言葉にはそれなりの意味と意図があるのだろう。


 ゆえに、強く否定しづらい。


「うーん……困ったね」


 鈴木会長が頭をかきながら続ける。


「別に無理強いをしたいわけではないんだけど、一応今回の合宿には全員参加してもらいたいんだよ。だから、できれば東城君にも参加して欲しいんだけど……」

「もちろん合宿には参加するわ。ただ、今はちょっと……指す気分じゃないのよ」


 その言葉で部室の空気が一気に重くなる。


 今回の合宿の目的は心身を癒すことと、前哨戦となる霜楓杯に出場して基礎的な棋力を底上げすること。この二つだ。


 合宿には来るものの、大会には出場しない。つまり東城は自身のメンタルケアだけをしたいと暗に言っている。


 なぜそんなことをしなければいけないのか。その理由は、この部室にいる面々なら誰もが理解している。


 ──今日は平日、つまりWTDT杯はとうに終わっている。


 WTDT杯も、その翌日に行われた黄龍戦県大会の"個人戦"も、とうに終わっている。


 その結果は……誰も口にしない。


「あのな東城、気持ちは分かるけどな──」

「いや、いいんだ隼人君。……分かった、今回は東城君の意思を尊重しよう」


 隼人が突っかかって揉め事が起こりそうな予感を察知したのか、鈴木会長は隼人のセリフを途中で止めて東城の言葉を受け入れた。


「……迷惑かけるわね」


 東城はそう一言だけ呟くと、自分の席へと移動する。そこへ来崎と葵が気遣わしげに駆け寄って研究の手伝いを始めた。


 ほんの一瞬、鈴木会長がこちらを一瞥したような気がしないでもないが、俺は特に何も言うことなく自分のPCを立ち上げる。


「……」


 結果からの予想の有無はあるにしろ、こんなにもどんよりとした空気の中で行う部活は誰も想像していなかっただろう。


 俺はこの空気に慣れているが、他の面々は東城を含めてかなり気まずい雰囲気が流れている。


 せっかくの祝日明けだというのに、やる気が沈黙に変換されている。


 このままではいけないと誰もが思ったのだろう。少しでもこの空気を換えようと、各々が自分の中で考えた第一声を口に出そうとする。


 ──その時だった。


「どっせぇい!!」


 ガタン! と勢いのままに部室の扉が蹴り飛ばされ、一人の男が入ってきた。


 どんよりと漂っていた暗い空気が一瞬で弾け飛び、全員がその男の方へと視線を向ける。


 男は派手な金髪にチャラそうな見た目をしており、この将棋部とはあまりにも乖離した雰囲気を醸し出していた。


 男は部室にいる面々を見渡すように頷くと、見下しながら嘲笑した。


「おー、おー、そろいもそろって弱そうな顔つきばかりだなぁ。いかにも学生の将棋部って感じだ」


 男は急に現れるや否や、挑発するような言葉を口にする。


 しかし、そんな男の言葉を受けても部室に流れるのは沈黙。修羅場を潜り抜けてきた東城たちにとって、男の態度は挑発にすら値していないらしい。


 鈴木会長に至っては眼鏡を曇らせている。


「いーか、よーく聞けお前ら、今日からこの部は元『凱風がいふう支部』所属の高木たかぎ俊介しゅんすけのものだァっ!」


 まるで道場破りとでも言わんばかりのテンションでそう告げる高木と名乗る男。


 制服の着こなしから見るに来崎たちと同じ一年生なのだろうが、そんな男の突然の宣言に全員口をポカーンとあけて唖然とする。


 あーうん、あるよねこういうの。


 ……その展開、今?


 ※


 高木俊介の時代は春先を逃していた。


 天上。──アマチュアには『凱旋道場』のような"トップ支部"と、それらに引けを取らない"準トップ支部"というものがある。


先渓せんけい支部』、『雲城うんじょう支部』、『高嶺たかね支部』。これらは界隈で準トップ支部と呼ばれている。


 毎年全国大会に名を残す有名な支部。そんな中で、俊介は中学生時代に準トップ支部のひとつとされる『凱風がいふう支部』に所属していた過去がある。


 無論、自身が代表として団体戦のメンバーに選ばれた経歴はない。。


 支部会員23名。その中のトップだけが地区大会の優勝カップを捥ぎ取り、協力する団体戦では上位数名しか選ばれない。


 俊介は準トップ支部の一員でありながらも、全国で名を馳せる彼らの背を叩けるレベルには達していなかった。


 だが、それでも俊介はそんな名を轟かせる支部に入っていた『実績』がある。


 ──ついに日陰の日も終わりを迎える。


 心機一転の高校生活。親の都合で転校することになった俊介は、西ヶ崎高校と呼ばれる小さな学校へと入学した。


 県内には史上最強の名を誇る『凱旋道場』の看板があるものの、肝心の西地区にはその匂いが漂う程度で聞き覚えのある支部はひとつもない。


 中学時代に『凱風支部』でしごかれてきた俊介にとって、この地区はあまりにもレベルが低かった。


 ゆえに、この春──西ヶ崎高校の新たな将棋部を率いるのは自分であるという確固たる自信があった。


 ──しかし、ここで高木俊介にアクシデント発生。


 転校早々に自転車で転び足に大怪我。1ヵ月の入院生活を強いられ、無事完治するも直後インフルエンザにかかり数週間の欠席。


 気付けば今年の黄龍戦を見送らざるを得なくなり、このままでは名人戦まで近づいてくる。俊介の桜はまさに散る寸前まで来ていた。


 ……だが、ここに来てようやくエースの復活だ。


 そう、エースである。準トップ支部で鍛え上げられた自分がこの部を率いて、この西ヶ崎高校の学生将棋部を全国まで引き上げる時が来たのだ。


 俊介は部室の扉を勢いよく開け、既に入部している同学年の面々や先輩たちを見渡して鼻を高くする。


 ──見るからに弱そうな連中だ。


 特に、端の方で根暗そうに座っている男なんて警戒にすら値しない。凡夫極まる陰キャのオーラが浮かんですら見える。


 今朝たまたま廊下で目にした時は『どこかで見た顔』だと俊介の海馬を刺激したものの、この程度の雰囲気を纏う男に実績などあるはずもないと、俊介は早々に考えるのをやめていた。


 そして今、こうして宣言する俊介の前にはただその行為に絶句する者達の顔のみが映っていた。


「……もしや、入部希望者かね?」

「当然だ!」


 この部の部長らしきガタイの良い男に聞き返され、俊介は手に持っていた入部希望の紙を勢いよく前面に掲げる。


 それを見た男は目の色を変え、声色を変えた。


「おお! それは素晴らしい! 部員は一人でも多い方が良いからな!」

「いや、道場破りみたいな宣言されてるっすよ……」


 強者を求む自明の勧誘に、俊介は鼻を高くし再度宣言する。


「アンタら今は7人で団体戦に出てるんだろ? だったら今からでも遅くない、一枠あけて俺を入れた方がいい」


 そう強気なセリフを放つ俊介に、将棋部の面々は何とも言えない表情でお互いに顔を合わせる。


 そんな中で、真っ先に鈴木会長に質問を飛ばしたのが東城だった。


「黄龍戦は途中でメンバーの交代が可能なの?」

「規定上可能ではあるが前例はないね。何より、その場合は立花君に話を通さなければならない」


 学生が主体であればなおのこと、自分の戦いを放棄する真似はしない。


 初めから戦うメンバーが変わるのならまだしも、地区大会、県大会を勝ち抜いた実績を持った生徒がそのまま降りるなんて、選択肢としてあまりにも愚行だ。


 そして、なによりも──。


「──悪いが、それは納得いかねぇな」


 女性軍から少し離れたところで、それまで静観していた隼人が立ち上がり俊介を睨みつける。


「入部したての初心者が地区も県も戦わずに全国に連れていけだと? 強欲にもほどがあるぞ新人」

「あー? 誰が初心者だって? 俺は凱風支部に所属していたって言ってるじゃねぇか。そんな記憶力でよく将棋ができるな」

「あぁ?」


 二人の間で火花が散る。


 そんな二人がいがみ合う中、東城は小声で来崎に話しかけていた。


「凱風支部って?」

「凱旋支部の傘下です」

「それって青薔薇のところの?」

「いえ、そもそも凱旋支部は全国にいくつかあって、凱旋道場はその支部の代表に当たります。なので凱風支部はこことは別の県外にある凱旋支部の傘下ですね」

「へぇ、物知りね来崎」


 この程度の修羅場は慣れたもの、東城らを含めた部員の大半は俊介の空気に流されることなく余裕そうに見守っていた。


「あー、分かった分かった。つまりアレだろ? 実力を見せろってことだろ? 俺がアンタら全員を倒したら名実ともにこの部で一番強いことが証明されるんだ、それなら枠を取っても問題ないだろ?」


 俊介にとって一番手っ取り早い話の進め方、それは文字通り全員倒せばいいのである。


 仮にも県大会を優勝した実績がある連中、それはあの凱旋道場を打ち破った証拠でもある。決して油断はできないだろう。


 しかし、今の凱旋道場は第二世代の英雄が消えてからずっと青薔薇赤利の独壇場で成り立ってきたもの。個人戦ならまだしも、団体戦ではいくら青薔薇が強くとも勝ち星で負けかねない。


 そう考えれば、いくら全国に行くレベルであっても俊介の敵ではない。


 そもそも、俊介が所属していた凱風道場は、個人戦も団体戦も毎年県を踏破して当然のように全国に行っている。そこと比べれば地力の差は明らかだ。


 俊介の言葉に、一番奥にいた顧問らしき眼鏡を掛けた男が尋ねる。


「凄い自信だね。本当にこのメンバー・・・・・・相手に挑む気かい?」

「ああ、なんなら──」


 俊介はビシっと指をさし、端の方でずっと黙ったまま一切口を挟まなかった真才を指名した。


「手始めにソイツからボコしてやってもいいぜ?」


 瞬間、空気が凍り付く。


 それまで冷や汗ひとつかいていなかった部員たちの顔が引きる。


「わーすごい、地雷原でタップダンスっす」

「命知らずにもほどがあるわね……」

「すみません、この先の展開詰みまで読めたので帰ります」

「いや、まだ部活中だから帰らないでくれ来崎君」



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