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第二百話        

 時の流れとは案外速いもので、高木俊介という男が将棋部にやってきてから実に一週間の時が過ぎた。


 ──今日は合宿当日である。


 俺達は早朝からバス停に集合し、鈴木会長先導のもと『霜楓町しものかえでまち』に向かう予定となっている。


「あつい……」


 太陽の光が直射するほどの日本晴れ。影を作る雲すらない晴天の朝に、本日何度目かも分からない猛暑を訴える言葉を吐き捨てる。


 合宿というからには雨よりも晴れの方が良い。しかし、屋内で活動してきた俺にとってこの暑さは天敵だ。


 ……家を出てどのくらいの距離を歩いただろうか。普段とは別の道を通ることもあって、俺は途中で来崎と合流することもなく集合場所へとたどり着いた。


 炎天下の中、俺は目を細めて集合場所であるバス停の周りを凝視する。どうやら魁人を除いて全員が来ているようだ。


 遅れてすみません──と、足早にそう言いかけた時、そんな俺の言葉を遮る勢いで一人の男が声を張り上げて駆け寄ってきた。


「あ、先生! おはようございます! 今日もいい天気ッスね!」


 何かに怯える眼をしながらハイテンションで挨拶をしてくる男。


 信じられないだろうが、彼は高木俊介だ。先日道場破りの如く入部をし、勝気な態度で部のエースになることを宣言していた高木俊介だ。


 ……俺は思わずジト目になる。


「……お、おはよう」

「ッス!」


 先日とはまるで別人な態度を見せる高木。根本は変わっていないが、何故か態度だけ異様に急変している。


 一体何があったのか……そう、それはちょうど一週間前のあの日から始まったことだった。


 ※


「手始めにソイツからボコしてやってもいいぜ?」


 自信あり気にこちらを指名してくる高木に、思わず俺は目を逸らす。


 初めの頃の東城との対局を思い出す。こういうのは勝っても負けても良い結果にはならないから厄介極まりない。


 それに、この如何にもっぽいキャラは素なのか作っているのか。仮に前者だとしても本当に強い可能性だってある。人を見た目で判断するのはよくない。


 あえて自分を弱く偽ることで相手を油断させる。初歩的なようで誰もやらないその行為は、俺が将棋戦争で初めて喰らった大敗──"無音の棋風"も同様だった。


 もしも、この男が本当に抜きんでている強者で、道場破りのように俺達の枠を奪おうとする獰猛な意思を兼ね備えているのだとしたら、そこにはある種の説得力が生まれる。


 この部にもある程度の対抗意識が存在する以上、いきなり枠を取られることはなくとも、実力があるのなら次回の大会でメンバーが変わる可能性は十分にあるだろう。


 そうなれば俄然、俺としてもやる気が出る。強い相手が入ってくるのは大賛成だ。


 ……しかし、指名されたとはいえ入部届はまだ高木の手に握られたままだ。勝手に戦っていいものなのだろうか?


 俺はおもむろに立ち上がり、鈴木会長の顔色を窺うように覗き込んだ。


「えっと……」

「うーん、そうだね。高木君には後で色々と聞くとして、真才君」

「はい?」


 俺が尋ねる前に、鈴木会長は片手に持った資料を見ながら俺の名前を呼んだ。


「君にはひとつ弱点がある、それが何か分かるかい?」

「弱点?」

「え?」

「は? じめっ、真才先輩に弱点なんてありませんけど?」

「それは信者過ぎるっす……」

「確かに弱点なんて大層な言い方されると気になるわね。真才くんは分かるの?」


 出入口に高木を放置したまま、何故か周りが俺の話題に突入する。


「いえ、俺も分かりません。答えを教えてください」

「す、素直だね……」


 分からないものは分からない。自滅流に弱点があるという指摘なら考えるが、俺自身に弱点があるという話ならきっと客観性のある答えだ。それはいくら自分で考えても仕方がない。


「──まぁ、単刀直入に言えば"実戦経験の数"だよ。真才君、君は確かにネット将棋では多くの場数を踏んでいるかもしれないが、現実での対局数を競えばそこら辺の中学生よりも少ないだろう?」


 まぁ……それは確かにそうだ。俺は天王寺道場をやめてからはずっと研究ばかりに没頭していた。ネット将棋を除けば俺の実戦経験はあの頃から大して増えていない。


 何せ、この部に入ってきた当初は駒の持ち方すら思い出せなかったくらいだ。


「そこでだ、高木君のやる気も相まってちょうどいい案を思いついてね。君には高木君との対局を受けてもらうよ。──これから合宿までの一週間、ずっとね」


 その言葉に高木を含めた全員が驚く。


 何かを考えた末に導き出されたその結論は、鈴木会長の確かな狙いがあるのだろう。


 ……しかし、実戦経験を積んでいくことに意味があるのなら、相手が高木俊介である必要はない。東城や来崎でも良いはずだ。


「数をこなすのであれば、特定の相手でなくてもいいのではないですか?」


 俺は率直にそう尋ねる。


 すると、離れて聞いていた東城たちが顔を青ざめさせて勢いよく首を横に振った。


「確かに特定の相手に絞る必要はない。だが、東城君らはもう慣れた相手だろう? 何百局も指し、手の内が分かり切っている。そんな相手同士の戦いは1つ上のステージでの対局となる。そこで得られる糧、成長の種類、それらは今の真才君が必要とする弱点の克服にはあまり関係の無い部分だ」


 なるほど。鈴木会長は至極単純な場数ではなく、鮮度の高い対局をこなしていくことを求めているのか。


 それが一番の近道だという感覚は今の俺には分からないが、年季の差で浮かぶ案は俺みたいな小童の考えなど凌駕するものだ。きっと正しいのだろう。


 ただ、核心をぼかされているのは気のせいだろうか。


「……そうですか」


 俺は僅かに顔色を変える。


「……ところで、俺の弱点はなんですか?」

「……」


 重複するかのような物言いで、俺は鈴木会長に再度同じ質問を投げかける。


 その答えが本当に"実戦経験の数"というのなら、それは弱点ではなく、課題や改善点と言うはずだ。


 弱点ということは、それが原因で結果に響くというもの。鈴木会長はその弱点を改善するために実戦経験の数を増やそうと言っているのであって、弱点そのものを口にしたわけじゃない。


 俺の意図が伝わったのか、鈴木会長は眼鏡をクイっと持ち上げて呟くように告げた。


「……WTDT杯、君がアリスター君に唯一劣っていた部分のことだよ」


 その言葉に俺は思わず目を見開く。


「……やはり、慧眼ですね」

「ははははっ! このくらいは見抜かなければ君の教師は務まらないさ」

「買い被り過ぎです」


 俺は苦笑にも満たない苦々しい顔で返事をする。


 天竜といい鈴木会長といい、俺の周りにはエスパーのように人の心を見透かす人間が多くて困る。


 俺がアリスターに唯一劣っていた部分。……それを何度も自覚し、それが対等な弱点であると認識してしまっていたのが、きっと俺があの場でアリスターを見誤っていた要因のひとつなのだろう。


 元々それができたなら、俺はわざわざあんな舞台に立つことも無かった。


 だが、出来ないことを確かめるのもひとつの収穫だ。そして、できないことで得られる成長もある。


 鈴木会長は黄龍戦で決め打ちすることを考えているのだろう。その理由も、その気持ちも、この部にいる者なら誰しもが理解し、皆そう思っている。


 武林先輩がこの高木という男を無条件に歓迎したのも、きっとそういうことだ。


「おい、さっきから何の話をしているんだ? やんのか? 逃げんのか? どっちだ?」


 放置されて怒りが頂点に達したのか、高木が声を荒げて俺を睨みつける。


 正直、この高木という男がどれくらいの実力なのか全く分からない以上、全力で相手をするしかない。


「分かりました、彼の相手をします。……えっと、負けてもいいんですよね?」

「冗談だろう? 1敗も許さないよ、自滅帝」

「ははは……」

「……は? 自滅帝? 誰が?」


 ──そんな高木の問いを無視して、俺は席に着いた。


 結果を察しているのか、東城と葵は興味無さそうに自分達の研究に没頭しており、対局を見てくれているのは来崎と隼人と武林先輩と鈴木会長首脳コンビだけだ。


 既に用意されている将棋盤と対局時計。先後は言わずもがな、俺は振り駒をせずに先手を高木に譲って対局時計を利き手側に置く。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。自滅帝ってなんかの冗談、だよな?」

「お願いします」

「え、は? ちょ──」


 俺はスルーして頭を下げると、そのまま時計のボタンを押す。そして、高木はその勢いにのまれたように初手を指してしまい、ハッとして俺の方を見上げた。


 情報を補完することで察しをつけるのが人間の癖だというのなら、きっと彼は黄龍戦の県大会も、そして先日行われたWTDT杯も詳しくは見ていないのだろう。


 俺の名は今や広く知れ渡ってしまった。


 同じクラスのクラスメイトですら、自滅帝という単語を知っている。将棋に造詣が深い者ならなおのこと知っている。


 それを知らないのなら、彼はきっと俺と同じ時期に入る予定だった──。


「お、おい、なに、掴んでんだよ、"それ"……!?」


 ──西ヶ崎高校将棋部の、8人目のあたらしいメンバーなのだろう。


「ごめん、自己紹介が遅れた。2年の渡辺真才だ、よろしく──」


 驚く高木を前に、俺は優しく"王様"を掴んで定跡を外す指す


「なっ……!?」


 その手を指す者はこの世に3種類しかいない。機械か、亡者か、自滅帝だけだ。


 何千何万と指し続けてきたその形は久方ぶりに顔を見せ、俺はWTDT杯で指すことを我慢していた『自滅流』を一局目から早々に使用する。


 盤面に広がる定跡外しの無法地帯。決められた序盤の流れを逸脱し、無数の空白と飛び込みたくなるような隙が高木の前に広がった。


「…………」


 その顔に浮かぶのは、穴角あなかくを指された時のような怒り感情だろうか、それとも角頭歩かくとうふを指された時のような指し手に迷う感情だろうか。


 ──自滅流それを見た高木の反応は、徹底して青ざめていた。


「…………っ」


 高木の顔から血の気が引く。視線が盤面に縫い付けられたまま動かない。次の一手を指すのが怖い──そう言っているかのように、彼の右手が宙で止まっていた。


 少なくとも、高木俊介は知っていたのだろう。こうして面と向かって戦うのは初めてだが、俺と戦ったこと自体は初めてじゃないのかもしれない。


 ──それは、知っている目・・・・・・だった。


「…………あ、あのー……」


 高木は何かを察したようにゆっくりと顔を上げると、目に見えて変わる顔色から膨大な冷や汗を流す。


 そして、その震えた右手で俺の顔を指さしながら。


「……ご本人様で、いらっしゃいますか?」


 そんな問いかけをしてきた。


「……」

「……」


 俺がその問いに答えるより先に、後ろにいた来崎と隼人が無言で首肯する。


 ……高木の顔がこれまでにないほど色を失った表情になる。


 そして、鈴木会長が言っていた言葉を思い出し、一週間ずっと俺と対局する事実に口を半開きにしながら──。


「…………対戦相手の変更とかって」

「高木君、直前まで自分で言っていた言葉に責任を持ちたまえ」


 そんな鈴木会長からの追撃をもらい、こうして俺と高木の儚きVSが始まったのだった。


 ※


 そうして合宿当日までの一週間が過ぎた。


 結果はというと、それはもう……目を瞑りたくなるようなものである。


 駒落ちも持ち時間も何もハンデを付けない勝負だったのもあってか、高木は俺の首元に迫ることすら出来ずに延々と連敗を続けていた。


 高木の棋力は特段弱い、というわけではなかった。少なくともこの一週間ずっと対局していた俺からしてみれば、彼の棋力はこちらの首をねる位置にはある。


 ただ、あまりにも猪突猛進な攻め筋が分かりやすく、その刃が首元に届く前に決着することが多いという印象だ。


 もちろん感想戦ではその点を何度も伝えたが、人の癖は中々変わらないもので、それが勝敗を左右するほど短期間で改善されることはなかった。


 結果、高木は西ヶ崎将棋部の洗礼を受けるが如くボコボコにされていた。


 作戦を変えても、戦法を変えても、なんなら途中から壊れたように「あ、UFO!」とかなんとか言って気を逸らそうとしてきても、俺は集中したまま全力で応戦した。


 誤解しないでほしいのだが、決して虐めていたわけではない。俺はこの練習対局を全力でこなす必要があったし、もとよりこの対局は鈴木会長からの提案だ。


 東城たちは自分がこうなることを察していたから、俺との対局にあんなにも首を横に振っていたのだろう。勝敗の悔しさはともかく、将棋が沢山指せるならそれに越したことはないと思うのだが……皆揃って俺との対局を拒絶したがるのは誠に遺憾だ。


 ともかく、高木は今日まで俺の自滅流を浴びるように喰らっていた、というのがこの一週間の実情だ。


 最初の勢いはどこへやら、4日目くらいから魂が抜け始め、6日目になると何故か俺の顔を見ただけで表情が引き攣って対局を拒むようになっていたが、鈴木会長の宣言通り構わず対局は続行。


 最後には狂乱して俺以外の相手に突撃しに行ったものの、あえなく撃沈。何十局だったかは覚えていないが、高木はこの一週間で戦った全ての対局で全敗していた。


「あ、先生、その荷物俺が持ちます! 先生の貴重な手に傷をつけるわけにはいかないッスからね!」

「あ、うん。ありがとう……」


 そうして出来上がったのが、今のこの高木俊介である。


 別に矯正されるほど性格が変わったわけではない。隼人とは未だに火花を散らしているし、東城たちにはたまに強気な態度を取ったりもしている。


 ……だが、何故か俺には追従ついしょうすることが多くなった。


「はっ、こんなチンチクリンを先生呼びとか、凱風とかの格もたかが知れるな」


 俺の荷物を持つ高木に、隼人が後ろからそんな挑発を仕掛ける。


「あぁ? お前こそ先生の実力知らねーのか?」

「いや知ってるよ。だけどお前みたいに媚びへつらってるようじゃ意味ねぇって言ってんだ」

「んだとぉ?」


 ……とまぁ、こんな感じで隼人とは呼吸をするようにいつも喧嘩している。


 それから送迎のバスが到着するも、二人は言い合ったままバスに乗り込み、最奥の座席に向かっていった。


 きつく言い合ってはいるが、案外仲が良いのかもしれない。


 そして、東城たちはいかにも女子グループっぽく俺ではついていけない話題を繰り広げており、武林先輩と鈴木会長は今後の日程について事細かに話し合っている。


 ──こうしていつものように取り残される俺、やはり陰キャの特性持ちだ。もしかしたらぼっちの素質があるのかもしれない。


 俺はスマホを取り出し、久しぶりにSNSで自分のアカウントに寄せられた呟きを眺めながら道中の暇つぶしを試みる。


「だーかーらー、あれは時間が無くて間違ったんだって、あと5秒もあれば俺が勝ってたっつーの!」

「持ち時間の管理が出来てない時点でお前の負けだろ高木。大体評価値見てみろよ、お前ずっと劣勢じゃねぇか」

「はっ、AIの評価値を基準にしてるなんて、隼人もそっち側の人間かよ」

「少なくともお前の100倍は正しい形勢判断するからな?」

「はぁ!? だったらそのAI貸してみろよ俺が負かしてやっから!」

「勝てたら将棋の歴史変わるぞ」

「やってやろうじゃねぇか!」


 うん、うるさい。


「ちょっと男子ー? バスの中なんだから静かにしなさーい?」

「東城先輩、真才先輩は静かにしてます」

「あっ、そ、そう? ごめんなさい」

「ミカドっちもこっちに来るっすよー!」


 やだ行きたくない女子の会話こわい。せめて将棋の話の時に呼んでくれ。


「──みんな、ちょっといいかい」


 鈴木会長がそういうと、全員が喋るのをやめて鈴木会長の方を向いた。


「たった今、将棋戦争の公式ページに更新があってね。今回の霜楓杯への参加が決まっている選手のユーザー名が表示されているから、各々自分が参加済になっているか確認してみてほしい」


 その言葉を聞いて、各々スマホを取り出し自分の名前を確認する。


 チャンピオンシップ杯・霜楓杯予選──正式エントリー一覧。


 そう書かれた文字の下に今回出場する選手のユーザー名がずらりと並ぶ。


 その数はざっと30人弱。多いのか少ないのかはよく分からないが、一般的な大会よりは少し多めの人数に思える。


「はぁ、この大会じゃミカドっちと当たる可能性もあるってことっすよね……レナ嫌だなぁ……」

「私は少し楽しみです。真才先輩との真剣勝負、県大会のあの日にぶつかった戦いのリベンジをしたいですから」

「ライカっちは戦闘狂っすね……」


 来崎から熱い視線を向けられ、俺は思わず窓の方へと目を逸らす。


 人に勝っておいてリベンジだなんてよく言えたものだ。


 あの時は時間切れで俺が負けた、結果はそれ以上でもそれ以下でもない。来崎がどう思っているかはともかく、俺は実力で来崎に負けた。


 だから、どちらかというとそのセリフは俺が言いたいんだけどな……。


「……」


 そんな中、高木は何か気になった顔でスマホを眺め、ついにはその疑問を口に出した。


「そういや気になっていたんだが、美香」

「東城よ。次名前で呼んだら殺すから」

「と、東城はこのソーフーハイってのに出ねーのか?」

「アタシは出ないわ」

「ふーん、俺ぁアンタとだけは戦ってねーし、実力が気になってたんだがな」

「……」


 今回の合宿までの一週間、東城は一局も指していない。


 研究や棋譜の見直し、詰将棋や次の一手など将棋に関する活動はしていたものの、対局だけは頑なに避けており、時折考え込む様子が見て取れることもあった。


 今回の大会は全国大会前の準備期間、いわば前哨戦のようなもの。


 負けてもいいと言えば甘い考えだが、必ず勝つ必要ないという意味では参加するだけ得なはずである。


 それを蹴ってまで対局を回避し、合宿には付いていく。……まぁ、東城自身にも色々と考えがあるのだろう。


「まっ、どうせ大会の結果は決まってるようなものだし関係ねーか」

「お前が一回戦落ちるって話か?」

「ちげーよバカ、先生が優勝するってことだよ」

「は? なんでそう言い切れるんだよ」

「だって先生は将棋戦争で最強の自滅帝だろ? そして今日の大会はその将棋戦争をやっている奴らが参加している。だったら先生が優勝するのは自明の理ジメーノリってやつだろ」


 高木が自慢気にそう語り、隼人の心情を複雑にする。


 だが、それを聞いた俺はスマホを眺めながら静かに否定した。


「……いや、俺が優勝する可能性はかなり低い・・・・・んだけどな……」

「……えっ?」


 そんな呟きに気付いたのは、この時は来崎だけだった。


 霜楓杯の参加者一覧ページ──それはリアルタイムで更新されていくようで、俺はついさっき追加された数名の参加者に目を通す。


 色物の名前が並べば、いくら自滅帝といえど霞んで見えることもあるだろう。なりすましもいないわけじゃない。


 ……だが、ソイツだけは違う。


 恐怖がなく、感情もなく、音もなく、ただ静寂の熱気を纏ったまま刺しに来る暗殺者のような棋風。


 最後に戦ったのはいつだったか、確か100連勝をかけた相横歩取りを最後に当たっていない気がする。


 俺は誰よりも将棋を指すのが好きだ。誰よりも将棋を愛し、誰よりも将棋を知りたいと思っている。


 そんな俺が、盤上を挟んで唯一戦いたくないと思ってしまう相手。


 顔も名前も知らないのに、互いに理解を深め過ぎて勝手に『そこ』を置き去りにしてしまう。


 立ち止まっている手を引っ張られるのは、ゆっくり考える"今"を放り投げてしまうようなもの。誰よりも早く走れたって、地面に足がついてなきゃ怖いものだ。


 俺はそんな、追い風の戦場に立たされることを苦手としている。


 ──自分を糧に強くなろうとしている彼を、どこまでも恐怖としている。


 彼にとって、勝つことに意味はない。負けることにこそ意味がある。


 だから、戦うたびに強くなる。戦うたびに将棋の真理に着実に近づく。


 そうして結果的に、誰よりも一番強くなるのだろう。


 誰よりも、将棋を理解するのだろう。


 俺を利用して──彼は必ず成し得てくる。


 ネット将棋のトップランカーは、決して一人ではない。


「はぁ……ほんと、どんだけ俺のこと好きなんだよ」


 俺はそんな言葉を吐きつつも、嬉々と期待の籠った顔でその画面に書かれている名前を何度も確認するのだった。










 第二百話 自滅狩りの参戦


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