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第二百一話 汝、狩人か? ①

 バスが大きく揺れ、低いエンジン音がゆっくりと収まる。そして運転手の到着を告げる声が車内に響いた。


 ──どうやら霜楓町に着いたらしい。


「うおお……海じゃん! 日本の海じゃん! 青いぞ!」


 バスのドアが開くや否や高木が真っ先に飛び出し、同時に感嘆の声を漏らす。


 厳密には海ではなく湖なのだが、そんな正論をぶつけることすら余計に感じるほどの光が停留所の傍まで差し込んでいた。


 そんな高木につられるように何人かの部員も次々とバスから降り、まるで解き放たれた鳥のように各々の方向に目を向ける。


 俺も重い腰を上げてバスを降りた。


 外に出ると、夏場特有の熱気とともに潮の香りが鼻腔をくすぐる。バスの中より熱い空気のはずなのに、澄んだ風が気持ちよく顔を撫でてきた。


「田舎って聞いたけど、すげぇ綺麗だ……」


 緩やかなカーブを描く海岸線にはいくつかの漁船が並び、遠くの方では小さな防波堤が突き出している。反対に海の方を見ると、夏の陽光が真上から降り注ぎ、光を反射して水面が煌めいている。


 余計な混ざり物が一切なく、空に溶けるように重なる水平線。目の前には、ただただ透き通るような幻想的な景色が広がっていた。


「……良いところだな」


 腕を組みながら海辺を眺める武林先輩に、誰もが首を縦に頷いた。


 海岸のすぐそばには古びた木造の商店がぽつぽつと並び、海辺からすぐの階段を上った先には観光客用の売店なども並んでいる。


 そんな昔ながらの海辺の町並みはどこか懐かしく、妙に落ち着つかせる癒しの雰囲気を醸していた。


「真才先輩、見てくださいあれ! 海沿いに将棋の駒のオブジェあります!」

「オブジェって……」


 来崎が興奮気味に指差す先には、霜楓町を象徴する『かえで』の文字を将棋の駒風に象った巨大な石像が観光客向けに設置されている。


「観光地化してるわけでもないけど、ちゃんと将棋と結びついてる町って感じがするわね」


 東城がツッコミ待ちと言わんばかりのナウいサングラス掛けながら、冷静に周囲を観察している。


 ……これが、霜楓町か。


「では、行こうか!」


 武林先輩が先程ちょうど来崎が指さしていた『楓』のオブジェがある先、海の家と繋がっている大きな会場へと視線を向けた。


「確か、あそこが霜楓杯の会場っすよね?」

「そうだ! そして我々が泊まる場所でもあるぞ!」

「あんなところから海を見れるのかよ……絶対絶景だろ!」

「確かに良い景色が見れそうだ、兄貴にも見せてやりたかったな」


 隼人の言葉に、それまで気にしていなかった高木が反応する。


「そういやお前、兄がいたんだったか。俺がこの部に入って来た時から一回も見たことねーけど、インフルか?」

「まあ、そんなところだな」


 当たり障りのない返事をする隼人。


 結局、兄の魁人は体調不良で休んだのだろうか。実のところ俺もその辺りの詳しい事情は知らない。


 確か部活中、魁人の欠席について鈴木会長と隼人が何か話していた気はするが、当時の俺は高木との終わらない対局に心血を注いでいたせいもあって聞き耳は立てられなかった。


 ただ、今回はあくまでも全国大会へ向けた準備がメイン。各々が最善のパフォーマンスを発揮するためにどうしても外せない用事があるというのなら、それは休養だろうと仮病だろうと仕方ない。少なくとも俺個人はそう思う。


 それに……。


「──ちょっと! ちょっとちょっとちょっと! そこの人!!」


 霜楓杯の会場に向かおうと全員が歩き出した瞬間、突然背後からやけに高い声が跳ねてきた。


 誰かと思って振り返った瞬間、全員がの目が思わず見開く。


 ──見るからにそれは、やたら派手な少女だった。


 髪はふわっとした淡いピンク色。肩の辺りで跳ねるボブヘアが陽の光でキラキラと艶を出し、白と赤の将棋駒柄のパーカーを着ている。そして、肩から将棋盤型のポシェットをぶら下げているというあまりにも奇抜な格好をしたその少女は、真っ直ぐな黄金色の瞳で口元に絶えず笑みを湛えていた。


 一見すると霜楓町への観光客か何かのようにも思えるその少女だが、俺の目の前に駆けよるや否や興奮渦巻く形相で俺の顔を覗き込む。


「うっわ! ほんっっっっっとに来てた! 真才さんでしょ!? WTDT杯のときの! 自滅帝ってあなただったんだ!? うわーーっほんものーーっ!」


 思わず足が半歩下がる。


「え、えっと」

「真才さん! あたしWTDT杯のアリスターとのあの決着の一手、あれ家で30回は見たよ! あの異様な反則返し! 死をも辞さない玉上がり! あんなの実戦で指せるなんて本当信じらんない! 見ててめっちゃ興奮した! うおおお本物だあああ……!」


 彼女は手をバタバタさせながら俺の周囲をくるくる回り出す。嬉しそうに、まるで子犬のような仕草で。


「……あの、誰?」


 冷静に問いかける東城に、少女は誇らしげに胸を張った。


名取なとり美遥みはる! あ、将棋戦争のIDは内緒だよっ? あたしも明日の霜楓杯出るから! もし当たったらよろしくねっ!」


 どうやら観光客ではなかったらしい。思いっきり敵だった。


 それにテンションが高い、初めて会った時の来崎より高い。


「名取……って、去年の桜花杯おうかはいで優勝した"鬼姫オニヒメ"じゃないですか」

「ゲッ、どこかで見た顔だと思ったら鬼姫かよ……」


 来崎が驚いたようにその名を口にすると、隼人が身に覚えがあるのか嫌そうな顔をする。


(コイツ……)


 どうやら高木も知っているようで、声にこそ出さないもののその名を聞いて驚いている。


 ──『鬼姫』か。1年の後輩組が知っているということは、中学生の部で活躍している子なのだろうか。


「なんかそう呼ばれてるみたい~! 『鬼殺おにごろし』ばっかで舐めてるって。でもそれでちゃんと勝ってるんだよ?」

「……!」


 俺は彼女のことを全く知らなかったが、その言葉を聞いて思わず鳥肌が立つ。


 しれっと流しているが、言っていることがヤバすぎる。


 鬼殺し──それは、有名な奇襲戦法の代表格である。将棋を始めたばかりの初心者でも定跡を習う上で一度は聞いたことがある。そんなレベルの認知度だ。


 しかし、有名であるがゆえに対策が横行し、有名であるがゆえに昨今では通用しない時代に入ってしまっている。


 そんな中で、鬼殺し一本で勝ち続けるなど普通はできる芸当じゃない。


「ふふっ、その顔わかるよ。頭のネジが飛んでる、バカを見る眼をしている」


 名取は嬉しそうに口元を隠しながら笑うと、その小柄で綺麗な顔を俺の顔面へとさらに近づけた。


 息があたり、唇が触れるほどの距離になる。


 全員がぎょっとするなか、名取は俺の目に自分の目を入れてしまうんじゃないかと思えるほどの気迫で近づき、夏場の煌びやかな空気をどん底に突き落とす言葉を吐いた。


「──自滅流はマイナス200点の世界、でもあたしはマイナス700点の世界。ネジが飛んでるのはあたしの方だね~?」


 その笑顔に悪寒を感じた。下手なホラーより恐怖を感じた。


 自分が不利になる戦法マウントに持ち出してくるなど、気が狂い過ぎている。


 目下もっか、最善を追求するこの時代において序盤の評価値マイナスは片腕を切り落として戦うも同義だ。


 それは、人がより機械的な判断ができる感性を持ち、より精密な形勢判断が行えるようになってきたからこそ出てしまっている差異でもある。


 絡め手や奇襲戦法が減少傾向にあるのは、それにまつわる多くの情報が誰でも簡単に手に入る時代に入ってしまったから。


 だから、彼女の言葉がより狂気的に感じるのだろう。


 強い戦法ぶきを携えて勝ってきた者より、ボロボロとも思える鈍器で勝ってきた者の方が恐ろしいに決まっている。


 ……俺は思わず。そう、自然に。口角を上げてしまった。


 初対面の挨拶は、しっかりしなければ。


「──俺、君のこと好きかも」

「気が合うねぇ、あたしも真才さんのことだぁいすき」



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