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第二百二話 汝、狩人か? ②

 鬼姫、名取美遥の狂言を前に全員が蚊帳の外へと放り出される。


 それを真っ向から受け止めるのは渡辺真才ただ一人。今にも殺し合いが始まりそうな顔つきで両者の殺意が交錯する。


 真才だけが、名取の殺意を笑みに変えていた。


「……っ」


 来崎は唇を噛み、自分がその枠の中に入れない悔しさを静かに拳へと乗せる。


 将棋戦争を長くやっている者ほど、自滅帝の凄さは身に染みて分かる。相手は頂点の存在。名実共に格上の名手。そんな本人を前にして、自らを対等に見積もるなど、愚行どころの話ではない。


 だが、名取は対等に、より上に自分を重ねた。


 自滅帝に出会えたことに興奮し、尊敬もしている。しかし、それでいて自分が自滅帝より劣っているとは一切考えていない。


 名取美遥にはそれを為すに足る狂気ぶきを持っているから、だからどれだけの格上だろうと彼女の自信は傷つかない。


 信念──。今も昔も、来崎には信念が無い。


 ふと横を向き、自分以上に面食らっている東城を見て同情する。


(……告白より、きつい)


 当然、先程の真才の発言が異性として名取に向けられたものではないことは、この場にいる誰もが理解している。


 ……驚きのあまり口をあけて漠然としている高木以外は、理解している。


 だが、将棋を一番上に持ってきている真才にとって、その告白は異性に対する一般的なものよりも遥かに重視していることは明白だ。


 それが……いとも簡単に、反射的に出てしまうほどの相手。


 出会って間もない初対面の相手に、彼が好意を抱いてしまうほどの将棋観。それは、強くなるために絶対に捨てなければいけないプライドを、強くなった今も持ち続けている精神力に他ならない。


 これほど悔しいことがあるだろうか。


「それじゃ、みなさんもまた明日~!」


 名取は最初に見せた零れるような笑みに戻り、手を軽く振りながら会場へと小走りで向かっていった。


「お、おいおい相思相愛ってマジか!? 先生、良かったっすね!? ひとめぼれの告白なんて大抵失敗するものッスよ!? 」

「空気読めよ」

「はぁん!?」


 空気を読めない高木を隼人が抑えつつ、一行は名取の軌跡を追うように会場へと歩みを進める。


「どうかね勉君、色物ばかりと油断するには惜しい大会だろう?」

「……そうですね。オレも気合を入れ直します」

「部長がマジになるほどか……クッソ、俺ももっと強くなんねぇとな」

「おい隼人ー、お前この合宿の趣旨忘れてんじゃねーのか? 疲れをとって遊ぶのも大事なんだぞ?」

「お前この部で一番弱いんだから一番気合入れるべきだろ。"AIに55手負け男"くん」

「は? キレたが?」


 高木と隼人がいつもの喧嘩を始める。


 そんな風にふざけ合う男性陣とは別に、その前の列を歩く女性陣はピリついた空気を放っていた。


 唯一、葵だけは縁石の上を楽しそうに歩いている。


「楽しそうね、葵」

「東城先輩は楽しくなさそうっすね~」


 小石を投げたら隕石を落とされたような返しをされる。


 ムッとした東城は、何か一つでも言い返してやろうと顔を上げるが、結ばれた口元が解けることはなかった。


 毒気が抜けたような表情を浮かべる今の葵に、何を言っても負ける気がしたからである。


「……何が、アンタの背を押したの?」

視えない・・・・っすか?」


 葵は一瞬だけ虚空に目を移す。東城はそれが何なのか理解できなかった。


「今日は暑いっすよね」

「……ええ」


 葵は両手を広げてクルっと回る。


 ほんの少しの間、背に受けていた熱を全身が感じ取る。


 影は動かない。


「たまにはこの日差しを浴びてもいいかなって、そう思っただけっす」

「……そう、勇気を出したのね」


 東城は葵が見上げた空の彼方を、見れはしなかった。


 晴天を背に受け前に進んでいるその笑顔に、雨天に打たれ前に進むことを誓った自分との対比に心が痛くなる。


「逆に、東城先輩は何に悩んでるんすか?」

「べつに、何にも悩んでいないわ」


 即答で切り返す東城に、葵の視線は不意に向けられたその一瞥と交差する。


「ふーん」

「それにほら、もうすぐ着くわよ」


 目が合った東城は、その曇り掛かった瞳を僅かに見開いて会場の方へと移した。


 観光か、大会への参加者か、そこには大勢の人集りができている。


「うわ、みんな外で将棋してるっすよ!」

「すげぇな……屋外で将棋ってみたことねーぞ……!」


 葵と高木が一足先に会場の方へと向かっていき目を凝らした。すると、多くの者達が多種多様に将棋をしていることに気が付く。


 本を片手に棋譜並べをしている中年の男、カップルで参加している若い男女、フード付きのパーカーを被って目元すら隠している青年、テーブルを囲ってひたすら将棋戦争をプレイしている4人組の学生たち。


 老若男女、年齢も性別も関係なく跋扈しているネット将棋民ならではの光景。


 ただひとつわかるのは、その場にいる全員が将棋戦争のプレイヤーであるということである。


「普段の大会と少しだけ雰囲気が違うわね、ネット将棋の大会だからかしら」


 普段の大会は多少なりとも知っている顔ぶれがいるため、ピリつく空気はライバルを主とした対抗意識が強い。


 しかし、霜楓杯に参加する面々は名取美遥のような異例を除けば全員顔も名前も知らない者ばかり、完全アウェーのバトルロワイヤル状態である。


 地区大会に参加した当時の真才もこんな気分だったのだろうかと、東城は新鮮な気持ちに浸る。


「っていうか、あの後輩口調コンビ勝手に受け付けまでしてるじゃない」


 道なりに下った先、道路が砂地に包まれた海辺の会場へと繋がっており、既に二人は受け付けの場所まで行っているようだった。


 そんな中で、東城はふと来崎の方を見る。


「……来崎?」


 少し後ろで一人、驚いた顔でスマホを覗き込んでいる来崎。東城は歩幅を緩めて来崎の傍まで近寄る。


「どうしたの?」

「……え? あ、み、見てくださいこれ!」


 東城が話しかけると、来崎は慌てて先程まで凝視していたスマホの中身を見せてきた。


「え、嘘、これって……」


 それを見た東城も来崎と同じような表情になる。


「み、真才くん!」

「?」

「じ、自滅狩りが参加しているわっ!」


 東城は来崎のスマホを真才に見せつける。見せつけている途中で親指がホームボタンに触れてしまい、来崎のお気に入りの壁紙が映った。


 ピシッと硬直する来崎だが、真才は気にせず続けた。


「あー……そうみたいだね」

「そうみたいだねって……知ってたの?」

「うん、俺も知ったのはついさっきだけど……」


 続々と参加者が増えていく霜楓杯のページに、双子かと空目してしまう名前が載る。


 ──『自滅帝』の数行下に書かれている『自滅狩り』の名前。


 それは過去、真才を幾度も苦しめてきた狩人の参加表明である。


「こんな偶然、あるんですね……」


 確率がゼロでないとはいえ、あまりにも奇跡的なマッチング。自滅狩りはこれまでも将棋戦争で度々真才をスナイプしてきた過去があるため、この霜楓杯も狙って参加した可能性すらある。


 しかし、東城は懐疑的だった。


(偶然……ねぇ)


 心でそう呟く東城と同様に、何かを察している真才は静かに後ろの方へと目を向ける。


「……」


 真才に視線を向けられた鈴木哲郎は、ニコッと微笑んだ。


「まぁ、この前の100連勝が掛かった勝負でも勝てたわけですし、今の真才先輩なら相手にならないんじゃないですか?」


 そう言う来崎に、真才は少し嬉しそうに返した。


「その肝心な相手が見えていればね」

「……?」


 それは全国大会へ向けた最後の課題、根源的な問題へと突き当たる。


 将棋戦争では対戦相手の名前が表示される。それは現実の将棋大会でも同じで、常に相手の顔と名前が分かる状態だ。


 相手を知るということは、相手の戦い方も知っているということ。それは一種の個性に分類され、個性は手札を増大させる。


 真理、対人間において繰り出される悪手とは、それを咎められて初めて悪手として昇華する。


 つまり、相手にその悪手を咎められなければ、その手はひとたび最善手へと変わることもある。


 相手を知るということは、相手に通用する悪手が存在するということ。特に自滅流のような定跡を逸脱した戦法は、その余りある手札を用いて巧みに戦っていくのが基本戦術である。


 しかし、相手が誰だか分からなければ対策も事前準備も意味を為さない。


「東城さん、明日の霜楓杯のルール、見た?」

「み、見てないけど……どうせ現地で説明されるだろうし……」


 真才は来崎に目を向けると、来崎も首を横に振る。


(……なるほど、格好のエサってわけか)


 真才は後ろを歩く鈴木哲郎に向けて、背中で大きくため息を吐く。


 その後ろで、鈴木哲郎はニヤリと口角を上げた。


(そう、この大会は匿名性も重視したネット将棋の予選会。大会は全て番号で区別され、相手の本名も将棋戦争用のIDも運営以外には知ることができない。──真才君のように有名人でなければね)


 WTDT杯、世間に大きく認知されるその大会に真才が参加を決めた時点で、今回の合宿計画は進められていた。


 現状、真才は即対処すべき大きな弱点がない。……それこそが今の真才の欠点である。


 いち指導者として、部員全員の実力を伸ばすのは当然の義務。しかし、真才だけ勝手に動き勝手に成長してしまうため、鈴木哲郎本人からすれば真才はあまりにも指導者殺しだった。


 だからと言って、勝手に成長するならそれでいいと放任してしまうのはド三流もいいところ。真才にとっては今の現状そのものが一番下の土台であり、そこからどう自分を上に導いてくれるのかを期待している。


 ──ならば、彼の行動によって出る結果、それ自体を想定したプランを考えなければならない。


 もちろん、真才だけを贔屓せず、他の面々もきちんと成長できる舞台を備えて。


(私も断片くらいしか把握していないがね、今の東城君をああさせたのは真才君、君の仕業だろう? 私は彼女の個人戦を勝たせる方針を整えていたのに、君は全く逆の方針を取って横やりを入れた。しかも、それが結果的に"正解"とは……全くもってチャレンジャーだよ、君は)


 一つ先を読めば二つ先を読まれる。哲郎がWTDT杯の行く末を予測して建てた計画に、まるでその計画を作らせるよう誘導していたかのような行動をとられた。


 全国大会までの短い猶予期間、その直近で最大の問題となっていたのは東城美香の棋力問題である。


 加えて、これまで長く囚われていた定跡への固執から解放され、オールラウンダーの資質が芽生え始めている。


 この二つを同時に開花させていくには、完全な上位互換を持つ者に指導してもらうのが一番手っ取り早い。


 ──舞蝶麗奈、天竜一輝と並ぶ西地区王者のオールラウンダーに指導してもらえれば、ある程度良い方向へ進むと考えていた。


 しかし、いくらなんでもこの短期間で二兎を追うことはできない。舞蝶麗奈は天才的なオールラウンダーの使い手であっても、天竜一輝のように突出した棋力はない。


 このまま黄龍戦の個人戦を迎えれば、東城美香の優勝は間違いない。だが、あやふやに成長した実力のまま勝利を実感させることは、そこで地に足を付けることを意味してしまうと鈴木哲郎は知っている。


 ──なにより、個人戦の全国大会は、団体戦の全国大会の前日・・である。


 哲郎の中に色々な考えが巡った。最高の未来も、最悪の未来も。そして、それを防ぐために思いつく最低な手法も。


 だが、どれをとっても"正解"ではない。偶然に任せて起こる結果は、よく言えば人事を尽くして天命を待つだけ、悪く言えば神頼みである。


 それを、神への冒涜など知ったことかと言わんばかりに天を握り潰した真才の考えと言ったら、末恐ろしいものである。


(……あの上北の暴れ馬を動かすなんて、一体いつから準備していたんだか)


 これを、環多流の一件と、葵の一件と、そしてWTDT杯という大舞台の一件を脇に抱えながらこなしただなどと、鈴木哲郎は未だに信じられない想いだった。


 そして今も、当の本人は哲郎の考えに気付いたうえでどう楽しむかを考えている。


 そう、今も──。



「み・か・ど・ちゃ~ん♪ 会いたかったわぁ♡」


 一同は前方、見えない何からぞわっとした悪寒を感じ取ったかと思えば、その声は背後から聞こえた。



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