「はぁぁ……お湯が疲れた身体に染みる〜……」
そんなしおりお姉ちゃんの幸せそうな声をドア越しに聞きながら、ふかふかの白いタオルで身体を拭く。気の抜けた声を聞いていると、先程の出来事は夢なんじゃないかと思えてくる。だけど、腕を掴まれた感覚だけははっきりと覚えていて、なんだか不思議な気分。
「うーん……やっぱり夢じゃないんだよね」
しおりお姉ちゃんにあんな一面があるとは思わなかった。本人は最後に冗談だと付け足していたけど、どうもその言葉をまっすぐに受け取れない。
普段から優しくしてくれるしおりお姉ちゃんのことが大好きだ。だけど、あんな一面を見た後だと、今まで以上に意識してしまいそう。あの優しくて温かみのある声とは真逆の、獲物を狩るような鋭い視線。そんなものを向けられては、私の胸が高鳴ってしまうのも仕方がない。
「はぁ……」
そう、これは不可抗力だ。決して、しおりお姉ちゃんのことを変な目で見てるわけじゃない。だけど少しだけ……ほんの少しだけ、私の知らないしおりお姉ちゃんがいることに寂しさを感じてしまった。
身体を拭き終わり、着替え用の服に袖を通す。ダボッとしたゆとりのある服は、ジャージやパーカーなどのラフで着やすいものを好むしおりお姉ちゃんらしい。まあそういう私もカチッとした服はあまり好まないけれど。
「さっぱりしたぁー……って、かなちゃんまだいたの?」
「うん、ちょっと考え事してて」
しおりお姉ちゃんがお風呂から上がったみたいだ。とてもスッキリしていて、まるで疲れごとシャワーで洗い流してしまったようだった。そして、先程まで考えていたことが再び脳裏を過る。ふとしおりお姉ちゃんを見ると目が合った。お風呂上がりで顔が火照っているのがはっきりとわかる。
……なんだか、色っぽいなぁ。
しおりお姉ちゃんの顔を見て思わずそんなことを思い浮かべてしまった私は、慌ててその思考を振り払うように首を左右に振る。そんな私を不思議そうに見つめるしおりお姉ちゃんから目を逸らしながら、話題を変えるために口を開く。
「そ、そういえばしおりお姉ちゃん。明日はどうしようか? ご飯どんなのがいい?」
「んー……やっぱり今日みたいに作業しながら軽く食べれるやつがいいかなぁ」
今日はサンドイッチを作ったけど、軽く食べられるものは他にあるだろうか。しおりお姉ちゃんの好みに合うものを作るためにも、もう少し考える必要がありそうだ。
「わかった。じゃあまた明日も適当に作るね」
「ありがとう。えへへ、楽しみだなぁ……」
嬉しそうに笑うしおりお姉ちゃんの顔を見て私も微笑む。……やっぱり私、しおりお姉ちゃんの笑顔が好きだ。どんな人でも一瞬で癒やしてしまいそうで、なんだか不思議な魅力がある。
そんな笑顔を見ていると、さっきのお風呂での出来事が嘘だったかのように感じてしまう。あの時確かに恐怖を感じたのに、今目の前にいるしおりお姉ちゃんは普段と何も変わらない。
「あれ、もうこんな時間かぁ。そろそろ寝なきゃだね」
スマホで時間を確認すると、もう11時を回っていた。家に帰るつもりだったのに、いつの間にか夜が更けてしまっていたようだ。これ以上しおりお姉ちゃんの家にお邪魔するのは忍びないが、夜間に一人で出歩くのは危険だろう。例え少しの距離だとしても。
お母さんに「今日はしおりお姉ちゃんの家に泊まるね」とメッセージを入れ、しおりお姉ちゃんにその旨を伝える。そうすると、なぜかしおりお姉ちゃんはポカンと口を開けていた。
「元から泊まってくんだと思ってた」
「え!? そうなの!?」
「え、逆になんで泊まる気じゃなかったの……?」
しおりお姉ちゃんは当然のように私が泊まるものだと思っていたらしい。当初では、ご飯作って配信だけ済ませたらすぐに帰るつもりだった。だけど確かに、お風呂もいただいておいて「今日は帰ります」はおかしかったかもしれない。
それに、しおりお姉ちゃんとまだまだ話していたい気持ちもあったから、結果的には泊まっていくことになってよかったのかもしれない。しおりお姉ちゃんといる時が一番落ち着くから。
「ごめんね、じゃあ泊まっていくね」
「よーし、じゃあ一緒に寝ちゃう?」
「確か空き部屋にベッドあったよね。ホコリとかなさそうだったしそっち使わせてもらおうかな」
「……かなちゃん、冗談躱すの上手くなったね」
しおりお姉ちゃんがボケに回る時はよほど疲れていて、テンションがおかしくなっている。だから、ボケを流すのが一番しおりお姉ちゃんのためになる。それに、本当に一緒に寝たらお風呂での出来事を思い出してしまいそうだ。
せっかく忘れそうと頑張っているのに、また意識してしまうと今度こそ心も身体も耐えられなくなってしまいそうだ。だから今日は一緒に寝るのはやめておこう。しおりお姉ちゃんも別に残念じゃなさそうだし。
「まあ、一緒に寝ないにしても髪一緒に乾かそ」
「そうだね。あんまり長いこと濡らすのは髪によくないしね」
しおりお姉ちゃんの提案で、私たちはリビングの椅子に座り髪を乾かすことにした。しおりお姉ちゃんが先に座って「かなちゃんおいで〜」と手招きしていたので、その足の間に収まるように座る。
しおりお姉ちゃんの手にはドライヤーとブラシが握られていて、髪を乾かす準備は万端だった。私の髪は肩までのミディアムなのでそんなに時間はかからないと思うけど、しおりお姉ちゃんは丁寧に時間をかけて髪を乾かしてくれる。
「かなちゃんの髪、相変わらずさらさらだねぇ」
「しおりお姉ちゃんにそう思われているなら光栄だよ」
「ふふん、素直でよろしい」
まるで子供をあやすように頭を撫でられる。しおりお姉ちゃんに髪を梳かれるのはとても心地よい。なんだか安心するというか、心が安らぐような感覚がある。
それからお互いに会話もなく、ただ髪を乾かすドライヤーの音だけが響いた。だけど、不思議と退屈な感じはしない。むしろ心地いいくらいだ。
「……よし、終わったよ」
「あ、ありがとうしおりお姉ちゃん」
「いえいえ〜」
とは言ったものの、私がこの心地良さから抜け出すのは惜しかった。もう少しこのままでいたい……そう思っていた時、しおりお姉ちゃんが後ろから抱きしめてきた。そして私の頭に顎を乗せながら呟く。
「んー……やっぱりかなちゃんの髪いい匂いがする」
「そ、そうかな? 私は自分じゃわかんないけど……」
「いい匂いだよ〜? シャンプーの匂いする」
「それは風呂上がりだからじゃない!?」
軽くツッコミを入れると、しおりお姉ちゃんはペロッと舌を出す。しおりお姉ちゃんに振り回されるのは変わらないようだ。