「うぅ……昨日は大変だった」
しおりお姉ちゃんの意外な一面にすっかりやられてしまって、なかなか寝付けなかった。呑み込まれてしまいそうなほどの狂気を孕みながら、それでもなお……しっくりきてしまった。いつものしおりお姉ちゃんとは正反対。絶対言わないであろう『肌を重ねてると、ほんとにボクのものになったみたい……』という言葉。
めんどくさがり屋でありながら私を気遣ってくれる、近所の優しいお姉ちゃん。そんな印象だったのが、あの時だけは獲物を狩る獣のようだった。それなのに、あろうことか似合うと感じてしまった。いつもの雰囲気とは全然かけ離れているのに、それでもしおりお姉ちゃんらしいと。
「うぅぅ……私おかしくなっちゃったのかな」
よくない思考を振り切るように、勢いよく顔を振る。今日はまりと映画を観ようと約束しているのだ。気持ちを切り替えていかないと。
それにしても、待ち合わせ場所に指定した駅前の噴水……いつ見ても謎のオブジェが目を引く。あれはなんの動物だろう。そもそも動物なのか? かろうじて四本足のようなものはわかるが、なんとも形容しがたい不思議な形をしている。
「ごめん、待たせたわね」
「大丈夫だよ。でもまりが待ち合わせギリギリに来るなんて珍しいね」
オブジェをじっと見つめていると、まりが息を切らしながらこちらへ駆け寄ってくる。いつもは私が遅れる側なのに、今日は珍しくまりが遅れてきた。まりはいつもしっかりしていて、遅刻するようなタイプではないから意外だ。
「ちょっと準備に手間取ってしまって」
「準備?」
「あ、ええ。気にしないで。それより早く映画館いきましょう!」
まりが私の手を取って歩き始める。まりの手のひらからじんわりと体温が伝わってくる。なんだか今日はやけに積極的だ。映画館のあるショッピングモールは、この辺りでは一番大きな施設で、ここなら大抵のものは揃ってしまう。なにか欲しいものでもあったのだろうか。
まだ目当ての映画が始まるまでは時間がある。そんなに急がなくてもいいのに。
「ねえ、まり。今日なにかあるの?」
「え!?」
「いや、なんか……いつもと様子が違うから」
「そ、そうかしら。別にいつもと同じだけど……」
まりが私から視線を逸らしながら答える。やっぱりおかしい。何か私に隠そうとしている? 嘘をつくのが下手くそなまりのことだから、考えてることがわかりやすい。そんなまりが私に何かを隠し通そうとするなんて、余程のことだろう。
でもまあ、誰にでも隠し事の一つや二つはあるだろう。私はそれ以上深くは追求しないことにした。それに今日は映画を楽しもうと約束していたんだし、今ここで問い詰めても仕方がない。
「まり、映画楽しみだね」
「えっ……ええ! とっても楽しみ!」
急な話題転換で、少しわざとらしかっただろうか。だけど、追求を免れたまりは嬉しそうに顔をほころばせているからいいとしよう。
「ポップコーン買う?」
「もちろん! 塩とキャラメルで迷ってたんだけど、どっちにしようかしら……」
「私はバター醤油がいいなぁ」
「バター醤油もいいわね!? 選択肢が増えちゃったわ」
そんなことを言い合いながら、まりがルンルンと鼻唄を歌いながら映画館へと歩いていく。よっぽど映画を楽しみにしていたのだろう。いつもは控え目なまりがこんなにはしゃぐのも珍しい。よほど見たい映画だったのだろうか。
「なんだか今日は上機嫌だね」
「え、ええ。そうかしら。まあ、楽しみではあるけど……」
まりは私に背を向けたまま、歯切れの悪い返事をする。やっぱりおかしい。いつもなら『そう? いつも通りよ』とでも言ってのけるだろうに。
映画館に着いても、やはりまりの様子はどこかおかしかった。いつもよりよく喋るし、笑ってもいる。だけど、どこかぎこちない。テンションがから回ってる感がすごい。
「まり、なんだかいつもと違う」
「え!? そ、そうかしら」
「もしかして体調悪いの? 風邪?」
「い、いえ! そんなんじゃないわ! 大丈夫!」
いつもハキハキと話すまりが、少しおどおどしながら返答している。これはやはり変だ。もしかしたら熱でもあるのかもしれない。そっと額に手を当てるが特に熱くはないようだ。
どうやら熱があるわけでは無いらしい。一体何が原因なんだろう。まりの様子がおかしいことはわかるが、それが何に起因するものなのかは皆目見当もつかないのだ。
「ほんとに大丈夫なの?」
「え、ええ。心配をかけてごめんね」
結局そのまま映画を観ることにした。ポップコーンも食べて、ドリンクも買って準備万端なのに、なんだか落ち着かない。
映画は有名監督の青春アニメらしい。観たことのないジャンルだけど、まりが好きなものを知りたかったから了承した。私がOKを出した時、まりはホッとしたように笑っていた。
「うぅ……涙が止まらないわ」
映画を観終わる頃には、まりの目は真っ赤で潤んでいた。感動系のお話らしいが、私は泣いちゃうほどではなかった。だけど隣で泣いているまりを見ると、なんだか微笑ましくなって思わず涙ぐんでしまう。
「……あたし、この映画のシリーズ大好きなの。とても絵が綺麗でストーリーも繊細でまさに中高生の青春って感じでいいでしょう? あと最後は絶対に感動するのよ」
「そうだったんだね。そんなに良い映画なら私も観てよかったよ」
まりがこんなに泣くほど感動するのだから、きっと本当にいい作品なのだろう。私はあまり映画を観る方ではないけど、これはまた観てもいいかもしれない。
「あ、あの。もしよかったら……また一緒に映画観ない?」
まりが遠慮がちに私の袖を引っ張ると、そんなことを提案してくる。もちろん断る理由なんてなくて、私は二つ返事で了承する。
「うん! いいよ」
「ありがとう! とても嬉しいわ!」
私の言葉にまりは顔を綻ばせる。その笑顔にドキッとする。やっぱり今日のまりはどこかおかしい。だけど、この笑顔を見るとどうでもよくなってしまう。そんな不思議な魅力を感じたのだった。