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第102話 ソロの歌声

「はぁ……はぁ……まだ私には出番があるのに……」

「はっはっは。すまんすまん。あまりにも反応が可愛くてな」


 やっとひすいさんの腕から解放された時は、体温の上昇と心臓の鼓動の早さが尋常ではなかった。やめて欲しかったが、いい感じに緊張と力が抜けた気がする。ここからは私のソロなのだ。さっきのようにひすいさんに頼るわけにもいかない。

 頑張れ、私。ひすいさんに教えてもらったことを思い出せ。私はさっきのように目を閉じ、深呼吸をする。


 大丈夫……いける。


「では、そろそろ行ってきます」

「……うむ。頑張れよ」


 ひすいさんは短いながらも私の背中を押してくれるような言葉をくれた。私はそれに頷きで返し、ステージに上がる。


「お次は、今話題のVTuber――『イニシャルK』のソロパフォーマンスです!」


 まりんのその言葉と共に、盛大な拍手をいただく。私はそれを聞きながらも、集中を切らすことはなかった。ここからは私の時間だ。

 私がステージの真ん中に立ち、お辞儀をすると拍手が止む。そして、ゆっくりと顔を上げると……多くの視線と歓声が私に向けられていることに気付き、つい軽く身震いしてしまう。しかし、ここで怖気付いている場合ではない。私は深く息を吸うと……歌い始めた。


 私の歌声が会場に響き渡る。それと同時に、観客の歓声も大きくなる。私はそれに少し嬉しくなりながらも、歌い続けた。

 選曲は、かつての推しが歌っていたもの。私に生きる希望をくれたもの。私はそれを、今の私の精一杯で表現する。今は活動していない、この世界のどこかにいる推しに向けて。


「成長できたって伝えたい! 何度も、何度だって!」


 ラスサビに向けて私は渾身の力と想いを込めて歌う。


「今日も明日も! 私は頑張るよ!」


 そして、歌い終えると……再び大きな歓声と拍手をいただいた。もうやりきった感がすごい。私は達成感に満たされていた。

 後から聞いた話では配信では五万人を超える同接数を記録したらしい。正直、私には想像のつかない数字で実感が湧かなかった。でもこれだけはわかる。私は……このライブを一生忘れないだろう。


「『イニシャルK』さんでしたー! さすがの歌声に痺れましたねー! では、次の出演者をお呼びしましょう!」


 まりんのその言葉と共に、私はステージから降り控室に戻る。するとそこにはまだひすいさんが居座っていた。


「お疲れ様。初のソロパフォーマンスはどうだったかな?」


 ひすいさんは私に水の入ったペットボトルを渡してくれた。私はそれを受け取りながら、笑顔で答える。


「最高でした」

「そうか……」


 ひすいさんは私の答えに満足したのか、軽く頷くと立ち上がった。そして、私に向けて手を差し出す。私はその行動の意味が分からず首を傾げると、ひすいさんは笑みを浮かべながら言った。


「いいライブだった。これは我からの賛辞だ」

「……ありがとうございます」


 私はその手をとり、握手をする。なんだか改めて認めてもらえたようで気恥ずかしさはあれど、悪い気はしなかった。

 ……それにしても、ひすいさんはソロパフォーマンスをしないのだろうか。私とのペアでだけの出番は、ひすいさんの実績からしたら少なすぎる気がする。私はひすいさんにその疑問を尋ねようとしたが……


「失礼します」


 控え室の扉をノックされ、タイミングを失ってしまった。ひすいさんの「どうぞ」という言葉と共に扉が開かれると、現れたのは音楽フェスの運営スタッフさんのようだった。


「『イニシャルK』さんに『星宮ひすい』さん、お疲れ様でした。本日はご出演いただきありがとうございました」


 スタッフさんは私とひすいさんに向けて、深く頭を下げる。そして、顔を上げると言葉を続けた。


「つきましては、本日出演いただきました『イニシャルK』さんと『星宮ひすい』さんには感謝を込めて、打ち上げをご用意させていただいたのですが……いかがでしょうか?」


 そのスタッフさんの言葉に私は胸が熱くなるのを感じた。こんな私でもお役に立てることがあり、こうやって感謝していただけるのだ。それがたまらなく嬉しかったのだ。私は迷わず参加させてもらうように言おうとしたが、それよりも先にひすいさんが口を開いた。


「感謝する。ぜひ参加させていただこう」

「ありがとうございます! あ、もちろん『潮目まりん』さんにも声を掛けさせていただきまして、承認も既にいただいております」

「いつの間に……」


 MCでせわしなく現場を動かしているはずなのに、いつの間に連絡をとっていたのか。ひすいさんの手際の良さに私は驚いてしまう。


「では、また後ほどお迎えに上がります。本日はありがとうございました」

「こちらこそだ。感謝する」

「あ、ありがとうございます!」


 私とひすいさんはそれぞれスタッフさんに感謝の言葉を述べ、見送る。

 ひすいさんとともにスタッフさんを見送ると、私は改めて感謝の気持ちが込み上げてくる。こんな素敵な時間を与えてくれた全てに。


「……さて、打ち上げはどこで行われるのだろうな」

「さぁ……でも、この規模の企画ができる運営さんです。きっとすごいところですよ」

「うむ……そうだな。我も楽しみだ」


 私とひすいさんはそんな会話を交わしながら、音楽フェスが終わるのを待った。


 そして、打ち上げ会場に辿り着いた時……私は自分の考えが甘かったことを悟ったのだった。

 ――その会場は……私の予想を遥かに上回る豪華絢爛なものだった。まず目に入ったのが巨大なシャンデリア。それはまるで夜空に浮かぶ星々のようで……とても美しかった。次に目にしたのは、壁一面に広がるガラス窓。そこからは東京の街が一望でき、夜景を楽しむことができるだろう。そして最後に目に入ったのは、会場中を埋め尽くす料理の数々。どれもこれも高級感漂うもので……私は少し萎縮してしまった。


「す、すごい……」

「はっはっは。これはなかなかに豪勢だな」


 私の後ろでひすいさんは余裕そうに笑っている。だが、私はそれどころではなかった。こんな場所で食事をするなんて初めてのことだ。正直かなり緊張する。

 その時、ふと私の肩に手が置かれた。私はその感覚に驚き、勢いよく振り返る。するとそこにはまりんの堂々とした笑顔があった。


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