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第112話 前世の記憶

「ん……?」


 騒がしくも心地いい事務所にいたはずなのに、気づいたら体が浮いていた。だけど驚くこともなく、感覚的にこれは夢だとわかる。夢だと気づかないまま見ることもあるけど、たまに夢だと直感することもある。そういう感覚が今の自分にあった。

 見ているのは、かつての記憶。前世の自分が推しの配信を楽しんでいる場面が第三者視点で映し出される。懐かしい記憶にほっこりしながら、その様子を眺めていく。

 配信が終わってSNSを漁っていた頃だろうか。なぜだか胸騒ぎがする。これから何が起こるというのか、ふわふわと働かない頭を必死にフル回転させる。前世……推し……引退……


「この子また炎上してるなぁ」


 前世の自分がそう呟く。画面には推しというほどではないけどよく見ていたVTuberのSNSプロフィールが表示されている。その子は度々過激な発言を繰り返すタイプでそれが受けていたのだが、その過激な発言が誤解を生むこともあってじわじわとアンチがつくようになった。推しであるそるとんともよく絡んでいたから、たまに飛び火したりすることがあってハラハラしていた。

 そういえば、そんな子がいたなぁ。前世の自分の呟きを見て、他人事のように思い出す。そして、ふと気づく。


「あ、あれ? 待って、そるとんはそんなこと言ってない!」


 前世の自分も困惑していて、どうやらこの胸騒ぎは間違ってなかったらしい。だんだんと昔の記憶がおぼろげに浮かんできていた。

 その子が何度目かの炎上をした時に、そるとんの名前を出してしまっていたのだ。今となってはそれがわざとなのかつい出しちゃっただけなのかはわからない。だけど、名前を出してしまった以上後には引けない。その子はダメな方へと進んでしまった。


「そるとんについてあることないこと書かれてる……」


 かつての自分は呆然とするしかないみたいで、がっくりと肩を落としている。正直、私も同じ気持ちだった。こんなくだらないことで、そるとんは引退してしまうことになったのかと。そして、観測していたはずの自分がそれを忘れていたことも許せなかった。

 引退の原因はわかっていたのだ。それなのに、自分の心を保つために見ないふりをしていた。そんな自分がどうしようもなく憎らしかった。


 今となってはもうどうしようもない。私が見ているのは過去の記憶なのだから。過去は決して……変えることはできないんだ。


「ねぇ」

「……え?」


 声をかけられるなんて思わなかったから、反射的に間抜けな声が出た。過去の自分がこちらをしっかりと見つめている。その目には、強い想いが込められているように見えた。


「ねぇ、見ていたんでしょ?」

「えっと……見るつもりはなかったんだけど……」


 意図せず着替えを見てしまった時のような反応になってしまう。アニメやドラマを観ていたら、その画面にいる人がこちらに話しかけてきたかのような非現実感で混乱する。いや、夢の中だからどちらにしろ現実ではないのだけど。


「思い出したんでしょ? そるとんなら大丈夫だって、根拠もなく勝手にそう思って応援できていると自惚れていた自分を」

「……それ、は……」

「まあ、それは私にも刺さる言葉だけど」


 言葉が詰まる。過去の自分が言っていることは全て本当のことだったから。あの頃の自分は能天気にもそるとんならきっと気にせず配信を続けてくれると思っていた。だからこそ忘れていた。見ないふりをしてしまった。


「だからこそ、お願いがあるんだ」

「え?」

「私ができなかったこと、今のあなたならまだ間に合うから」

「……うん」


 なんとなく、過去の自分がなにを言うか検討がついていた。自分自身だから、という言葉で片付くのかもしれない。だけど、それ以上にもっと深く大きな共通点があるような気がした。

 大きく息を吸って、ゆっくりと口を開く。過去の自分へ「もう大丈夫」だと伝えるために。


「そるとんのこと、今度はちゃんと向き合うよ」


 私には悪意と向き合う覚悟ができていなかった。そるとんのことをメンタル頑丈な神のように扱っていた。だけど、そるとんも人の子であることに変わりはなくて。私が向き合いたくなかったから、気づかないふりをしていた。

 それに、今なら推しは手の届く範囲にいる。ただのリスナーではなく、同じ活動者として。私を見つけてくれた、幼なじみとして。もう大丈夫。前を向く覚悟ができたから。


「頼んだよ」


 過去の自分が指を鳴らすと、私の意識はぷっつりと途絶えた。そして再び目を開けた時にはさっき見たばかりの天井が視界に広がっていた。ゆっくりと身体を起こして天井を見つめたまま呆然とする。それから何度か瞬きをしてから気づく。


「……しおりお姉ちゃん?」

「あー、良かった! うなされてたから心配したよ」


 しおりお姉ちゃんがおろおろと心配そうにこちらを見つめていた。その様子がなんだかおかしくて笑ってしまう。


「ふっ、あははっ」

「え、え、なんで笑ってるの?」

「あー、ごめんごめん。でも安心して。いい夢だったから」

「そ、そう? なら良かった……のかな?」


 納得のいかない顔でしおりお姉ちゃんが頷いている。本当にいい夢だった。嫌な過去を思い出した夢だけど、あんな未来を迎えないために必要なものだとわかったから。


「ありがとう。しおりお姉ちゃん」

「え、なにが?」

「ううん! なんでもない!」


 不思議そうに首を傾げるしおりお姉ちゃんに抱きついた。ふわりと甘い桃の香りが漂ってくる。いい匂いだ。その香りで、起き抜けの頭がようやく覚醒してくる。


「……そういえば、あの二人は?」


 さっきまで共に過ごしていたはずのまりとひすいさんの姿がないことに気づく。私が寝ている間に別の部屋の探検にでも行ってるのだろうか。


「それがね、この事務所の近くに銭湯があるみたいでかなちゃんがなかなか起きないからって二人でそっち行ったよ」

「……あの二人らしいや……」


 自由奔放というかなんというか、マイペースな二人に呆れた声が出る。しかし、銭湯か……行ったことがないので、実際どんな感じか気になるところだ。しおりお姉ちゃんと一緒に行くのも悪くないかもしれない。

 それに、また暴走するしおりお姉ちゃんも見てみたいという欲求もある。肌が密着した時のなんとも言えない柔らかさを覚えている。他の人もいる中でそんなことをするかはわからないけど。私は覚悟を決めて、しおりお姉ちゃんに言う。


「私たちも、銭湯行かない?」


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