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第六服 二虎競食(弐)

みてきそ


 虎益丸が高国の言葉に続けて言う。


「左様、左様。甥御殿は次の京兆家の当主ぞ。槍働きなど、家来らのするものよ」


 高国のたしなめに大人びた口を挟んだ虎益丸はまだ九歳で、稙国の十二歳年下、野州家先々代当主細川安房守政春晩年の子であり、元服前にして野州家現当主で、今も高国の左に坐っていた。稙国にしてみれば叔父と言われても、一周りも年下で子供の頃から面倒をみているため、弟としか感じない。


 高国が言った「六郎」とは京兆家当主のみょうである。家督すれば六郎太郎ではなく六郎と呼ばれることを意識しての呼び方だ。稙国の自尊心をくすぐる響きでもある。稙国の母は細川典厩家の右馬助政賢のむすめで岳父政賢の離反前にまかっていた。持国や聡達丸の母は継室で、政賢女との離別後に迎えた丹後守護一色左京大夫義有の妹である。そのためか、高国の子等は一門からあまり支持されていなかった。稙国が武功を焦るのもそこに因がある。


「虎益叔父上! 大人の話に口を挟むな!」

「よいよい。今は身内しか居らぬ。虎益も早く元服させてやらねばのぅ」

「甥御は叔父の話を聴くものじゃ~」


 高国の手前、叔父上と付けたものの、普段なら「虎益!」と呼び捨てにしていただろう。虎益丸が勝ち誇ってわるいたが故に、稙国は顔を真っ赤に染め上げた。怒る稙国も大人気ないが、虎益丸を少しばかり甘く育てすぎたと高国は顔をしかめる。二人の弟たちは稙国の赤ら顔を見て笑いを噛み殺していた。


「二人ともいい加減にせよ。……とみに太郎細川稙国、そなたは明年家督する身。これしきのことで顔色を変えて如何いかがする。大将は凶報であっても眉一つ動かさぬものぞ」


 此度は、畠山稙長の後詰が目的だ。戦をするのは稙長である。それに、畠山義宣が挙兵するとすれば、地盤の強い奥河内――錦部にしごり郡の日野や長野の辺りであろう。彼処あそこならば、総州家贔屓びいきの高野山こんごうにも近い。そこまで兵を入れて万が一にも稙国に土を付けさせる訳にはいかなかった。如何にして義宣を引きずり出すかが肝腎である。


五郎左柳本賢治ならば、その辺りの機微も分かろうて)


 最も信頼する香西元盛は猪武者であるが故に、戦功も多いが怪我や兵の消耗も大きい。こうした駆け引きには向いていない。細川尹賢にいて戦を重ねた柳本賢治ならば、適切な対処が適うだろう。


(あとは……)


 二人の抜けた穴をどう埋めるかであるが、ここは義晴の信任厚い武田伊豆守元光に警固を頼むのが最善であった。それには義晴から書簡を出してもらうのがよい。


(儂からは豆州武田元光殿に軍催促を頼むとしよう。さすれば、上様義晴よりの警固を断れまいよ。豆州武田元光さえ警固に来てくれれば、後顧の憂いなく河内・和泉を睨めるというもの)


 高国の意識は河内に向いた。


 河内国は、現在の大阪府南東部に位置する国で、河内源氏――清和源氏の嫡流が本拠とした国であった。源氏の本拠は石川荘にある。


 旧くは和泉国を含む国であったが、天平宝字元年西暦757年和泉国が分立すると、こま山地・こんごう山地の西側に沿った南北に細長い地域となる。河内東部は両山地で大和国と隔てられ、西部に広がる平野は和泉国へと続いていた。南には和泉山脈があり、その向こうが紀伊国である。和泉山脈と金剛山地は続いており、峠がその分岐点となる。北部は山城国と摂津国と接しており、近江から続く街道や川筋は一度河内を経由するため、全国屈指の交通の要衝であった。それ故に戦火も絶えない。


 古代に淀川・大和川から流入する土砂が堆積して広がって潟湖を形成し、しんいけふこいけという広大な水域が北河内に残る。山城国八幡を基点とする東こう街道は、洞ヶ峠から入って河内国を南北に縦貫し、奥河内の長野で西高野街道と合流して高野街道となり、紀見峠を抜けて橋本を経ると高野山への詣でで多くの人が行き交っていた。西高野街道は堺に通じており、途中で四天王寺から繋がる下高野街道、平野から出る中高野街道と合流する商人の道だ。

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