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【第百六六節/「才能以外の」】

 難民団の居留地に、薪を割る軽快な音が響き渡る。もろ肌脱ぎの男たちが一列に並んで斧を振るい、積み上げられていた丸木を次々と砕いていく。


 煌都ラヴェンナの近くに大きな森や林は無い。従って、今彼らが割っているのは、旅の道中で仕入れてきたものだ。重いうえにかさばるため持ち運ぶのも容易ではないが、それだけに金になる。城壁の外側にある集落はもとより、城壁内の人間もわざわざ買い付けに出てきていた。大燈台ジグラートの明かりを頼る人々にとって、木を伐るために森や林まで出向くのは、とても恐ろしいことなのだ。


 もちろん、買い付けに出てきた人間たちは、警戒心をあらわにしていた。夜の世界は怖いが、闇渡りも同様に怖い。カナンによって統制されているとはいえ、本音を言えば闇渡りたちを隣に置いた生活などしたくない。


 薪割りに集中している闇渡りたちも、無論その視線や警戒心には気付いていた。だが今さらそんなことを気にする者は誰もいない。


 そして何より、今は部外者よりも、淡々と薪を割っていくイスラに対し敵愾心を燃やしていた。


 他の連中と同じように上半身をはだけさせたイスラは、一定の調子を崩さず、次々と薪を割っていく。白い肌には玉の汗が浮かんでいるが、息は少しも乱れていない。


 その隣では、闇渡りのアブネルが持前の剛力を発揮していた。だが、顔には渋面を浮かべてる。元々が酷い悪人面なので、不機嫌な顔をすればより一層恐ろしく見える。薪の買い出しに来ていた人々は、怖さ半分、興味半分といった様子で、彼の姿に無粋な視線を投げかけている。


「アブネル、あんたに聞きたいことがある」


 手を止めず、イスラが言う。アブネルは「話しかけるな」と唸るが、気にしなかった。


「あんたは闇渡りのサウルを一番近いところで見てきた男だ。だから、サウルの戦い方だって知ってるはずだ」


「……俺の言ったことが分からなかったか?」


「教えてくれよ。あんたなら……」


「うるっせぇぞバーカ!!」


 全く関係の無い別の闇渡りが罵声を浴びせかけた。それに同調するように、他の者たちも悪態をつき始める。声を大にして罵る者もいれば、ぶつぶつと恨み言を漏らす者もいた。いずれにせよ、イスラに対して友好的な人間は一人もいない。


「手前は俺たちの仲間でも何でもねぇ。そんな野郎に、闇渡りの戦い方を教える義理がどこにある?」


「隣にいられるだけでも不愉快だ」


「さっさと俺の視界から失せろ!」


 周囲から罵声の集中砲火を浴びながらも、イスラは飄々としている。この程度の罵詈雑言など慣れたものだ。斧を切り株に喰い込ませ、「あんたらは黙っててくれ」と一蹴する。当然、周囲の男たちは斧を振り上げていきりたったが、イスラの視線はアブネルにだけ向けられている。


「何故、そんなことを知りたがる?」


 アブネルは薪割りを続けながら言う。


「必要なことだからだ」


「どんな?」


「……これからの戦いのことを考えたら、当然だろ?」


 嘘は言っていない。辺獄の瘴土に入った後のことを考慮すれば、あらためて闇渡りの戦い方を学んでおくのは有意義なことと言える。


 まだ、ギデオンとの決闘を明かすわけにはいかない。


「ふん……果たして、その辺獄行きとやらが本当になるかも疑わしいものだがな。俺たちの目から見ても、ここ数日事態が動いているようには見えないが?」


「そんなことは関係無い。どっちに転ぼうと、俺は自分のやるべきことをやるだけだ」


「だから、サウルの技術を盗みたい、か……」


 カンッ、と乾いた音と共に、アブネルに割り当てられていた最後の薪が割れた。首にかけた手ぬぐいで汗を拭きながら、彼は呟くような声で「無理だな」と答えた。


「無理?」


 イスラはオウム返しに聞き返した。拒否とはまた異なった意味合いの返答だ。


「俺も貴様のことは嫌いだ。だが、そもそも誰であっても、あいつの真似は出来ない」


「……」


「サウルの戦い方の本質は、悪意を最大限に活かすことだ。相手の弱みを瞬時に見抜き、そこに最も効果的な一手を打つ……言葉にすれば生易しいが、実際にはどんなえげつない手を使うことも厭わない」


 アブネルは以前、サウルが煌都の巡察隊に襲われた時の話をした。十五名からなる精鋭部隊を相手に、闇渡りの王はひたすら逃げに回った。三日にわたって追撃を行った巡察隊は、最終的には五人ずつの小隊に分かれて包囲する作戦を採った。


 それが拙かった。相手が逃げ回っているだけに、どこかで油断が生じていたのかもしれない。その頃になるとサウルの危険性は徐々に広まり始めていたが、脅威というのは実際に相対しないと実感出来ないものだ。


 敵が分散したと見るやサウルは反撃に転じた。分かれた小隊のうち、最初の一つは奇襲をかけて殲滅する。無論察知はされたが、ここでサウルの狡知が働いた。


 残った二隊が現場に急行した時、そこには四人分の死体と、一人の重傷者が残されていた。念入りに両脚の健を断った状態で、だ。


 誰であっても罠と判断出来る状況だ。だが、生き残った仲間に向かってどこからともなく矢が射かけられるとなると、我慢せよという方が無理だろう。


 そうして助けに行った者が射ぬかれ地面に転がり、それを助けに行ったらまた射かけられ……あとは、怒りに冷静さを失うか、あるいは恐怖で浮足立った者しか残らなくなる。サウルにとっては、兎を仕留めるよりも楽な狩りであったことだろう。


「あれは最早、一種の才能だ。我々凡人に真似は出来ん」


 薪を紐で縛り、軽々と担ぎあげる。これ以上アブネルの言うべきことは無いと、そのごつごつとした背中が語っていた。


 だが、それで「はいそうですか」と納得出来るほど、イスラは物分かりの良い青年ではない。戦いの技術を才能という簡単な言葉だけで片付けてしまうのは、どうしても納得がいかなかった。


 そういう所でムキになってしまうのは、彼がまだ若いせいでもあるのだろう。世の中に才能の格差があることは、カナンの隣に居るイスラとしては、痛いほど理解している。だがそれで引き下がっていたら、いつまでたっても彼女の隣に並べない。


「才能が全て。そう言いたいのか?」


「……そうは言わん」


「じゃあ、あんたの考えてる才能以外・・・・の事を教えてくれ」


 いい加減にしろと周囲が色めき立つ中、イスラも薪の束を担ぎ、アブネルの背中を大股で追いかける。集積所で乱暴に薪を積み上げて行く間も、無言のアブネルに向かってひたすら催促を繰り返した。


 最終的に、折れたのはアブネルの方だった。


「貴様が、俺から何かを学ぼうとする理由が分からん。一度俺に勝っているだろう?」


「だから何だよ。俺の知らないことをあんたが知ってる。その事実は変わらない」


「若造の分際で、どこまでもしゃらくさいことを……」


 アブネルは大きく溜め息をついた。ぶん殴って黙らせてしまいたいが、カナンの面子を考えると、そういうわけにもいかない。


「……貴様のしつこさに敬意を表して、一つだけ教えてやる」


 アブネルは転がっていた薪を手に取ると、イスラに対して左足を前に、右足を後ろにして腰を落とした。左手は顔の前で止め、棒を持った右手は右足と同じ方向に向けて大きく伸ばす。


 今更教えられるまでもない。イスラですら知っている、伐剣の構え方の基礎中の基礎。あるいは第一の構えとも呼ばれるものだ。かつてエルシャでギデオンと相対した時も、この構えで向かい合った。


「この構えに、闇渡りの戦い方の全てが詰まっている……サウルはそう言っていたが、貴様に講釈までする義理は無い。後は自分で考えろ」


 そう言うと、アブネルは棒を放り投げた。コンと乾いた音が響き渡った。

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