「残念だったな、痩せ狼。全部燃えちまった後だ」
黒焦げになった死体を蹴飛ばしながら、サウルは言った。何かにありつけると思ってた俺たちには
何も全部が全部燃え尽きたわけではなかったが、死体の懐をいくら漁っても、せいぜいパン切れが三つ四つ見つかるくらいだった。腹の足しにもならない。
闇渡りは互いに敵同士だ。弱みや隙を見せたら簡単に殺される。
そういう意味では、俺たちはその時点で既に
「これは、貴様がやったのか」
ダリアがそう聞くと、サウルはあっさり認めた。
「おうよ。楽な仕事だと思ったんだが……どっこい最後に火をつけやがった。お陰で俺も骨折り損だ」
そういう割には、あいつは軽く肩をすくめただけだった。ぼろぼろの俺たちに比べて明らかに身なりも良かった。一目で、自分たちとの格の違いを悟ったよ。
煌都の連中もそうだが、そいつの格ってやつは、大体身なりで分かるものだ。
生活に余裕がある奴ほど清潔で、装備や持ち物の手入れも行き届いている。ましてや、俺たち闇渡りにしてみれば、日常的に使う道具がそのまま生死に直結する。俺も闇渡りとしては長生きな方だが、身の回りのことを
そして余裕があるってことは、生活のためにあくせく駆けずり回る必要が無いってことだ……まあ、ありていに言えば儲かってるってことだな。
ダリアも、そんなことを見逃すほど鈍くはなかった。
「見たところ、生活に困っているようにも見えないぞ。闇渡りのアサ曰く、賢狼は羊を根絶やしにしない。貴様のやったことは無用な畜生働きだ」
笑いたくなるだろ? ……いや、貴女は笑わない、か。
ダリアにはそういうところがあった。石頭で、闇渡りの格言を律儀に守ろうとするような奴だったよ。それに俺たちもずいぶん振り回されたもんだ。
で、それを聞いたサウルがどうしたかっていうと、まあ笑い転げたよ。腹ぁ抱えてな。
「おいおい、闇渡りの台詞とは思えねぇな! それで空きっ腹抱えてるんじゃ世話無いぜ。
どのみち、狼は羊を食わなきゃやってけねぇんだ。お前だってそうだろ、雌狼」
「貴様……っ!」
「噛みつくなよ。俺食ったって美味くねぇぞ。
それよかもっと美味い話があるんだが……おい、そっちのデカいの。そうお前。お前が族長なんだろ? どうするよ。聞くだけ聞いてみねぇか?」
もちろんダリアは「よせ」と言った。
だが、物資はとうに底をついているし、それを得る当ても無い。何より腕利きの闇渡りと仕事が出来るとあれば……俺がどうしたかは、言わなくても分かるだろう。
結局、今、貴女と話しているこの時間に至っても、あの時の選択が正しかったのかどうか分からない。
あの時サウルを拒絶していれば、俺たちはどこかで野垂れ死んでいたかもしれない……逆に、上手く生き延びることが出来ていたかもしれない。どれだけ考えても仮定に過ぎないが。
それに、俺が奴の言葉に乗ったからこそ、今ここにいられるのかもしれない。不思議なものだな、人生とは。
……続けようか。
◇◇◇
「良いか
サウルが猪を仕留めてくるまであっという間だったし、そいつを解体して食材に変えるまでもあっという間だった。
猪の寄り付きそうな水辺に餌を撒いて、のこのこやってきた奴を毒矢で痺れさせる。肝心なのが、生かしたままにしておくってことだ。そうして身動きが取れない状態で、心臓の近くに刃を入れて血を抜く。これだけでもだいぶ違う。
息の根が止まったら腹を裂いて、骨なり筋なりを切り離しながら内臓を抜く。煌都の肉屋みたいに便利なナイフなんぞ無いから、あいつは一から十まで全部伐剣でやって見せたよ。
水辺を狩場に選んだのも、もちろん獲物が寄ってきやすいこともあるが、解体した肉をすぐに洗えるからだ。死んだ後もしばらくは体温が残っているし、それが肉を不味くする。流水に浸したらヤケを防げるんだ。
「背骨は残しとけ。良い出汁になる。細かい骨も釣り針に使えるから捨てるなよ。
……さて、肉はまあ適当に煮込んでも良いんだが、それよかモツだな。こいつが一番美味いんだ」
サウルの言葉に嘘は無かった。確かに、その日あいつが食わせてくれた猪の肝は、それまで食った何よりも美味かったよ。
油を張った鍋に刻んだニンニクと香草を入れて、薄切りにした肝臓や心臓、肺を揚げる。調味料は塩くらいなのに、それがまた、えらく美味かった。腹が減ってたせいもあるだろうがな。
それまでサウルを信用していなかった若衆も、たった一食でイチコロだ。鍋もあっという間に無くなった。
「食えよ。腹減ってるだろ」
ただ一人、ダリアだけは手を付けようとしなかった。はしゃぐ俺たちをよそに、少し離れたところでもそもそと山葡萄を齧っていた。サウルが注いで持っていた皿も「いらない」と突っぱねた。
「何だよ、毒なんて入ってねぇぞ?」
「どうだろうな。貴様は信用出来ない」
「そう思うのは勝手だが、空きっ腹だと力が出ないぜ。最終的にそれで困るのはお前の方だ」
サウルはそう言ったが、ダリアが動かないで困るのは俺たちだった。あいつが隣にいるのといないのとでは、全然違ったからな。
「ダリア、食えるうちに食っておけ。お前だって、ここ数日木の実や植物の茎くらいしか食ってなかっただろ」
「……アブネル。お前、本当にそいつを信用してるのか?」
「信じてなどいない。だが、俺たちは皆そういう間柄だろう? 闇渡りなんて、そんなものだろうが」
ダリアは憮然と鼻を鳴らした。サウルは「良い心掛けじゃねぇか」と俺の肩を叩いた。
「そいつの言う通りだ。俺たちは互いに利用し合う。俺はお前らを上手く利用するし、お前らも俺を上手く使えば良い。知恵比べだ」
「……信義の無い関係に、どんな価値がある」
「そりゃ、それ相応の値段しかつかねぇよ。まあ俺に言わせりゃ、信義ってやつもそこまで大層なものとは思えないがな。
それともお前、まさか人を信じちゃいないよな……?」
貴女には分かりにくい話かもしれないが、俺たちにとってはそれが当たり前のことだった。基本的に、他人に対しては疑ってかかるのが正解だ。頭から他人を信じていたら、どんな酷い目に遭うか分かったもんじゃない。
この時の俺も、サウルを信じてなどいなかった。利用するだけ利用しようと思っていた。
奴が言うに、あの輸送部隊は、都軍の設営していた拠点に物資を運ぶためのものだった。だから、連中の行く先を辿って行ったら必然的に都軍の物資集積所を襲えるって算段だ。
もちろん不自然な話だとは思った。だがそういう例も無いではない。例えば……旧時代の遺跡の調査ともなれば、それなりの設備と準備がいる。もちろん護衛の数も増えるから、単独で襲撃するわけにはいかない。そこでサウルは、俺たちに目を付けたってわけだ。
話を聞いた時点で、奴が俺たちを盾に使うつもりでいることは分かっていた。
だが、それは俺にしても同じことだ。奴が腕利きの闇渡りであることは分かっている。上手くあいつに押し付ける腹積もりだった。
ただ、ダリアだけは違っていた。
「信義を望んで何が悪い。それが、人として当たり前の感情だろう?」
……今思い返しても、やはりあいつは堅物過ぎるな。一体どこでどんな訓練を受けたのやら。
ましてや、その時の相手はサウルだ。この世の中で、
「……つまらねぇ女だな、お前は」
奴は怒った時ほど無表情になる。あの時のあいつは、間違いなくダリアに対して怒っていたよ。
対して、ダリアもダリアだ。伊達に女戦士をやってるわけじゃない。あいつも決して我慢強い方じゃなかった。「何だと」と気色ばんで立ち上がったのを、間に入って必死に抑えたもんだ。
「中途半端なんだよ、お前は。信義だ何だと善人ぶりやがって。じゃあお前が差してる伐剣は何なんだ? そいつで人を殺したことは無いってのか?」
「それは……!」
「あるだろ。そうでなきゃやってけない。それとも、お前が自分で選んだ殺人は、良い殺人ってことになるのか?」
「違うっ!」
「いや、違わねえな。結局手前は、自分の勝手な線引きで善悪を語ってるだけだ。そんな半端者が、よくも俺を悪し様に言えたもんだぜ。悪人になる度胸も無い癖に」
全く、止めるのが大変だったよ。これから曲がりなりにも一緒に仕事をするっていうのに、その矢先に喧嘩をおっぱじめようとする。たまったもんじゃない。
今でも俺は、サウルが間違ったことを言っていたとは思わない。だが、ダリアが怒った理由も分かる。男の世界の中で女として生きるあいつは、誰よりも自分の立ち位置ってやつを自覚していたはずだ。
中途半端と罵られようと、それ以外に選べる道が無かった。それがあいつの生き方だ。頭ごなしに否定されたら、怒りたくもなるだろうさ。
結局、ダリアは料理に手を付けなかった。
◇◇◇
その日の夜……と言うと変だが、ともかく皆が寝静まった後、あいつがふらふらとどこかに出かけていくのが見えた。用便じゃないのは確かだった。その前に、盛大に腹の虫が鳴ったのが聞こえていたからな。
森の中で長い間暮らしていたら、自然と木の実がどこにあるか分かってくる。あいつの場合は、山葡萄を見つけてくるのが抜群に上手かった。いつもそればかり食ってたよ。
その日も、あっさり見つけることが出来た。ちょうど葡萄の実を鞭で絡め取っているところだった。大した腕前でな、間違って実を傷つけるところなんざ見たことが無かった。
ただ、その日はさすがに気まずかったんだろうな。絡め取るところまでは良かったが、受け止め損ねて地面に落としていたよ。
「……何だよ、文句あるのか」
「いや、別に」
「チッ!」
地面に落ちた葡萄は、全部潰れていた。あいつの腹がもう一度鳴った。
「パンが残っているぞ。食うか」
「
「いや。俺のだ」
「…………貰う」
可笑しかったな。多分、あの時も笑ったと思う。怒りながらパンを齧ってたあいつの顔ときたら……。
あの男勝りのダリアも、いくら意地を張っても空腹には勝てなかったらしい。あいつが弱みを見せるなんて、ほとんど無かったからな。その分、いくらか得意げな気分になったもんだ。
まあ、元々飢え死にしかかっていたのは俺も同じだ。パンと言ってもたった一切れで、すぐに無くなった。
それでも……何でだろうな、あいつはどこか機嫌が良さそうに見えた。
いつも
あいつが言った。
「アブネル。おれとお前の間に、信義ってやつはあると思うか?」
正直、面食らったよ。まさかあいつの口から、そんな湿っぽい質問が出てくるとは思っていなかったからな。
だから俺は正直に答えた。お前はもっと事務的に考えているものだと思っていた、と。互いに利害が一致しているから一緒にいるだけだろう、と、な。
今の俺が過去に戻れたとしても、多分同じようなことを答えると思う。俺はそこまで気を使える人間じゃない。それは、そこそこ長い付き合いだったあいつだって、分かっていたと思う。
だが、これだけ歳をとった今なら、流石に知っているさ。人の心はそう簡単に割り切れるものじゃない。特に女って生き物はそうだ。いつも駒みたいに、不安定なところで揺れている。貴女だってそうだろ?
あの時のあいつだって、きっとそうだったんだ。あいつは唐突にこんな質問を投げかけてきた。
「なあ、アブネル。葡萄の花って見たことあるか?」
無い、と答えた。「まあそうだよな。皆、葉か実のことしか見てないもんな」とあいつは言った。そして、あいつにしては珍しく笑いながら、こう言ったんだ。
「葡萄にだって花は咲くんだよ。知ってたかい?」
今知った、と言ったら、あいつは笑いながら俺の脛を蹴った。
「おれが馬鹿だったよ。お前にこういう言い方したって、分かるはずないよな!」
それで満足したのか、あいつは草笛を吹き捨てて帰っていった。
……今になってようやく、あの時あいつが言いたかったことが、少しだけ分かるような気がする。
あいつの言う通り、葡萄といったら、誰もが葉か実のことしか思い浮かべない。
葉の季節から実の季節に移るまでの短い間に、すこぶる地味な花が咲くことなんて、誰も知らないんだ。そう、咲いているのを見かけたとしても、誰もそれを花だと思わない。それくらい目立たないんだよ。貴女も知らなかったんじゃないか?
サウルはあいつのことを半端者だと言った。多分それは間違っちゃいない。
だが、最後の最後に、その評価を撤回するに至った。
あの戦いで……俺が全てを失い、一度死んだあの戦いの中で。