辺獄内部を進む救征軍を真上から見下ろすと、凧形の四角形を成していることが分かる。
アブネルが率いる前衛部隊は鋭角にあたる箇所にあり、やや突出している。闇渡りに加え、大坑窟の生き残りを合わせたこの部隊の数は、約四百。
やや離れて、大多数の難民と司令部の置かれた本営があり、その左右両翼を固める護衛部隊がある。この護衛部隊は、ウルバヌスで合流した五百名のラヴェンナ兵で構成されており、当初はそれを半分に分けて運用していた。
だが、現在最も損害が多いのがこれらの部隊だ。すでに左右合わせて三十名以上の脱落者が出ている。
さもあらん、この世で最も危険な領域を旅しているのだ。瘴土に慣れていない兵士たちにとって、あまりに過酷な旅だった。前回の救征軍に参加した者は、この辺獄という環境の厳しさを再確認させられることとなった。
それでも何とか旅を続けていられるのは、カナンやヒルデ、そしてコレットといった継火手たちが、頻繁に彼らを鼓舞するからだ。
特にカナンが前線に立つと、それまで萎れていた士気が爆発的に回復した。彼女自身の戦いぶりもさることながら、その姿が在りし日のエマヌエルを思い起こさせるからだろう。「寝ている場合ではない!」とばかりに、飛び起きてくる者までいる始末だ。
また、本隊に組み込まれた六千名近い難民のうち、比較的元気な者や志願者には武器が配布されていた。
もっとも、これは護衛部隊が突破された際の最後の手段であり、カナンはそのような事態になることを最も恐れていた。
そして、そんな全軍の補給と殿軍を務めるのが、クリシャ・ツィルニトラに率いられた操蛇族三百名だ。
少数の補助員以外はほぼ全員が戦闘要員であり、騎乗している
純軍事的に見れば、この部隊こそが第二次救征軍の生命線と言えるだろう。
前回の遠征が失敗した要因の一つに補給の問題がある。いくら戦いに勝っていようと、補給を途絶えさせた軍隊は敗北を免れない。無論、オーディスもエマヌエルもそのことを熟知していたが、そこには経験が伴っていなかった。故に失敗した。
だが今回は違う。オーディスは苦杯と引き換えに、得難い経験を積んでいた。そして、操蛇族による空中輸送という解答にまでたどり着いた。
現状、彼の戦略は完璧に機能している。懸念されていた飛行型の夜魔も現れず、物資の損失率は驚くほど低い。せいぜい荷崩れや転落くらいのものだ。
そう、方法論自体に失敗は無い。だが、それでは府に落ちないことがあった。
(何が起きている……?)
物資の受け渡しを監督していたオーディスは、渡された帳簿を見て眉根を寄せていた。
「オーディス、どうかしたか?」
渡した当人であるクリシャが、彼の顔色を敏感に読み取った。オーディスはすぐに仮面を被り直し「何でもない」と
しかし、内心では迷いを生じさせていた。
帳簿の記録が合わないのだ。
正確には、帳簿そのものはちゃんと整合性が取られている。しかしそれはあくまで字面の上だけだ。実際の物資そのものは、それと分からないよう徐々に減少させられていた。
あるいは、梱包材と称して藁を敷き詰め、肝心の物資の総量を誤魔化しているような有様だ。
最初は
仮に難民たちを干上がらせるようなことがあれば、その時は反転してラヴェンナの諸都市を強襲すれば良い……とは、さすがに行き過ぎだと思うが、しかし自分たちにそういう
であれば、何故わざわざこんなせせこましい方法をとってまで、物資をくすねる必要があるのか?
「クリシャ。何か変わったことは無かったか?」
「うーん……特に無い、かな。相変わらず平和な旅だったよ。おれも早くカナン様のために戦いたいんだけどね」
「補給戦も大事な
「ん……いや、ちょっと待て!」
そう叫ぶなり、クリシャは懐から一枚の紙切れを取り出した。長らく押し込んだままになっていたせいか、くしゃくしゃに丸まってしまっている。
「ハルドゥスって人から渡されたんだ。お前に見せろって。
出発間近だったからおれもバタバタしてたんだけど、あの人はもっと慌ててるみたいだったな。知り合いか?」
オーディスは紙を広げ、書面に目を通した。走り書きになっているが、要点は掴める。
「……ああ、友人の一人だよ。コレット嬢の様子を教えてほしいとだけ書いてある。また私の方から手紙を出すよ」
ご苦労だったと言い添えて、オーディスはクリシャに休息を促した。自身は補給物資の確認に戻る。
その手の中で、オーディスはハルドゥスの走り書きを握り潰し、ポケットの奥深くへ押し込んだ。深い考えは無い、ほとんど反射的な行動だった。
冷静になるには、しばらく時間が必要だった。確認が終わり、本隊へ戻る前に、オーディスは再度紙片を開いて文面を読んだ。
当然だが、書かれていることは変わっていなかった。
『ラヴェンナにて異常事態発生。至急引き返されたし』