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【第百九三節/パルミラ臨戦 上】

「本当に、ありがとう……何とお礼を言ったら良いか……」


 煌都パルミラの中央広場で、トビアは避難民たちに囲まれて握手を求められていた。


 先日、街道で彼らを助けて以来、さらに三つの集団を救助し、ここパルミラまで導いたのだ。城壁にたどり着いたときには、ちょっとした騒ぎになった。


「そんな、僕は当然のことをしたまでです」


 トビアは照れながら頬を掻いた。彼は決して、自ら誇ろうとはしない。


 いくら謙遜を繰り返しても可愛げを損なわないのは、トビアのズルいところだな、とサラは思った。


(トビアは、優しすぎる)


 人知れずユランから降りた彼女は、パルミラの広場をゆっくりと歩き出した。


 パルミラ管区……否、ツァラハト全土に波及しつつある異常は、ここに住む人々も感じていることだろう。既に生活に様々な影響が出始めているに違いない。


 それにも関わらず、中央広場のそこかしこでは、商人たちが何事も無いかのように商いに精を出していた。出店からは様々な香辛料の香りが漂い、花屋の軒先には茎のしゃんと伸びた花々が並べられている。客を呼び込もうとする威勢の良い声や、それとは正反対に黙々と算盤そろばんを弾く番頭たち。


 遠方から商材を運んできた駱駝ラクダの一隊が、すぐ隣をゆっくりと通り過ぎていった。サラはパルミラの普段の様子など知らないが、素人目にも、荷物の量が減っているのは一目瞭然だった。


「……」


 正直なところ、居心地は良くない。ウルクの高官たちの思惑があったとはいえ、直接的にパルミラの混乱を誘発させたのは自分だ。ウドゥグの剣がサウルの手に渡らなければ、彼とて武装蜂起を起こしたりはしなかっただろう。


 自分が壊そうとした日常を目の当たりにするのは、中々にこたえた。


(まあ、自業自得、なんだけど)


 彼女の所在なさげな様子を嗅ぎ取ったのか、露店を出していた中年の男が「おーい、そこのお嬢さん!」と声を掛けた。サラは驚いて、小さく肩を震わせた。


「おのぼりさんかい? 良かったらウチの店を見てってくれよ。パルミラで一番美味い串焼き屋ってのはウチのことさ!」


「え、ええっと……」


 店主の勢いに気おされたサラはおずおずと後ずさりをする。それが良くなかった。彼女のいかにも世慣れしていない雰囲気は、飢えた狼のような嗅覚を持ったパルミラ商人たちをたちまち引き寄せてしまった。


 串焼き屋の店主を「どきな!!」と怒鳴りつつ押しのけたのは、ふっくらとした体形の女商人だった。両手にごてごてとした指輪をこれ見よがしに嵌めている。


「馬鹿な男だねぇ、こんな可愛らしい女の子がわざわざパルミラに来る理由っていったら、一つしか無いだろ!?

 さあさっ、お嬢さん、あたしの店においでよ! パルミラで一番人気の装飾品店だよ! あのデメテリオさんのお墨付きだって貰ってるんだ。 うちのを着けて帰ったら、村中の男なんてみんな骨抜きさね!」


 そんなに男の人にたかられたら困るんだけど、という冷淡な台詞が吐けないほどに、パルミラ商人たちのは強烈だった。


 怪物を自称する少女といえども……否、むしろ真っ当な人付き合いに慣れていない分、パルミラ商人たちの砂嵐のような迫力は、サラを一般市民以上に圧倒してしまった。


「あんたン所のはボリ過ぎなんだよ! ほらほらお嬢さん、あんなババ臭い宝石なんかより、うちの売ってる服の方が……」


 今度は服売りの若い女性が隙間から首を突き出した。装飾品店の女将が「ババ臭いですってェ!?」と声を荒げる。


「あんたの店こそ、質の悪い布を使ってるって噂が出てンだよ! 恥ずかしくないのかい!?」


「鏡見て言いなよ。お、ば、さ、ん」


「…………あの」


 女将の放った「キェー!!」という叫びの前に、サラのおずおずとした声はかき消されてしまった。


 最早客の視線などどこ吹く風で、二人は舌戦を繰り広げている。さすがに売り込みを中断するかと思いきや、競争相手が減ったのを良いことに商人たちはますます前のめりになってくる。


 さすがのサラも、苛立った。



「あ、あのッ!!」



 彼女の精一杯の怒声に、商人たちがぴたりと動きを止めた。掴み合いの喧嘩をしていた呉服屋と女将も、互いの髪を掴んだままサラに視線を向けている。


「お嬢さん、どこの店のを買うか決まったかい?」


 串焼き屋の店主が尋ねる。サラはぶんぶんと首を振った。


「そうじゃ、なくて……っ! その、みんな、大変じゃないの……?」


 パルミラ商人たちは、きょとんとした表情で顔を見合わせた。


「街道は、どこもかしこも夜魔だらけで……ここにだって、何も入ってこないはずなのに……」


 パルミラにたどり着くまでの間に、様々な惨禍を目にしてきた。天火を失って闇に沈んだ集落や、逃げ惑う人々、闊歩する夜魔や闇渡りたち。管区内がそんな有様である以上、満足に商売など出来る状態ではないはずだ。


 だが、彼らはそんな不安などどこ吹く風で店を開いている。いっそ能天気にすら思えるほどだ。彼らのそうした図太さがどこから来るものなのか、サラには分からなかった。


 しかし、パルミラ人にとって、そんなことは自明のことだった。商人たちは「やれやれ」と肩をすくめたり、苦笑を浮かべている。


「そりゃあね、お嬢さん、儂らにとっちゃこれが生きることと同じだからさ」


 いつの間にか全員の足元に潜り込んでいた小柄な老商人が、煙草をふかしつつそう言った。


「儂の親父も、そのまた親父も、この街で商人として生きてきた。奉公に出て身の立て方を習い、食い扶持を稼いで、また新しい奉公人を育てる……そうじゃろ、皆の衆?」


 老人の言葉に、多くの者が頷いた。売っている物は違えど、進んできた道は皆同じなのだ。


「まあ、正直なところ苦しいのは確かさね。けど、あたしらは食わなきゃ生きていけないし、働かなきゃ食うことも出来ない。そして、何かを食うための方法って言ったら、これ以外に知らないのさ」


 乱れた髪の毛を直しながら、呉服屋の娘はニカッと笑った。苦しいと言う割に、その表情には強がりは見て取れない。


「いつだってパルミラを支えてきたのは、俺たち商人さ。この街から商人俺たちを取っ払っちまったら、そりゃあもうパルミラとは言えねえよ」


「そうそう。たとえどれだけ苦しくったって、あたしたちは商人であることをやめたりしないよ。あたしらが元気に商売をやってりゃあ、パルミラだって元気なままなのさ」


 いよっ、と誰かが囃し立てた。そこかしこの露店から拍手が聞こえてくる。


「じゃあ……もし、この街が無くなっちゃったら、どうするの?」


 サラはおずおずと言ってみた。怒られるかもしれない、と思ったが、尋ねずにはいられなかったのだ。


 だが、彼らはあっさりとその質問に答えた。



「その時は、新しい場所に市を立てるさ。そして、そこをパルミラにするんだ」



 それは、衝撃的な言葉だった。燈台を何よりも大切にする都市生活者としては、異端ともいえる発言だろう。


 だが、パルミラの商人たちは目くじらを立てるどころか、賛同するかのように頷いている。


「そんな……燈台がなくなったら、みんな困るでしょう?」


「そりゃあ困るさ。けど……ちょっと前に闇渡りとの戦争があって、皆思い知ったんだよ。俺たちの住んでいる街が、ずっとそのまま残ったりはしないんだって」


「さすがにパルミラが簡単に陥落するとは思わないけど、城壁のあるエリコだって危なかったしねぇ。皆考えずにはいられなかったのさ」


「儂らの日常が乱れない保証など、どこにも無かったんじゃよ。だからこそ、儂らは儂らで、日常を守らなきゃいけない。壊れたら、今度は直さなきゃいけない。それが、今までパルミラという街に守られてきた儂らの成すべきことじゃ」


 サラはぽかんとしたまま、立ち竦んでしまった。自分は彼らに混乱をもたらしたが、その混乱が、彼らにより一層の逞しさを与えてしまったのだ。元々はパルミラの力を減衰させるための陰謀だったというのに、これでは全くの逆効果だ。


(こんな皮肉って、ある?)


 あるいはこれこそが、健全な人間の強さなのかもしれない。サラは人知れず溜息をついた。


「さて、ところでお嬢さん、どの店の何を買うかは決めたかね?」




◇◇◇




 避難民たちと別れたトビアは、ユランの側からサラが消えていることに気付いた。記憶にある街並みに比べていささか数が減ったとはいえ、依然パルミラの往来は人が多い。世慣れしていないサラを心配していると、人込みの中から籐製の籠を抱えた彼女が姿を現した。


「サラ!」


「ごめん、トビア。買わされちゃった」


 サラは遠くを見るような目で報告する。未だかつてない敗北感が彼女を覆っていた。


 両手で抱えた籠の中には、パルミラ名物の焼き菓子が山積みになっている。「あぁー……」パルミラという街について良く知っているトビアは、大体の事情を察した。慣れていなければ、あの圧をやり過ごすのは難しいのだ。


「……ま、まあ、良いんじゃないかな。お土産代わりにもなるし」


「お土産?」


「会っておきたい人がいるんだ。その……君のことも、紹介しておきたいから」


 本来なら真っ先に商人会議へ報告を上げるべきなのだろうが、今すぐ会える面々でもない。場合によっては口頭より書面の方が喜ばれる可能性もある。彼らが興味を持ったなら、その時に改めて出頭すれば良い。


「とりあえず、リドワンを休ませてあげないと。外延部の厩舎を使って良いそうだから、そこに向かおうか」


「うん」


 籠一杯に盛られた菓子を落とさないよう、サラはぎゅっと抱え込んだ。竜が数度羽ばたいて宙に浮き、瞬く間にパルミラの街を見下ろす高さまで上昇する。


 煌々と輝く街並みを眼下にとらえながら、サラはトビアに語り掛けた。


「ねえ、トビア」


「なに?」


「……強い街だね、ここって」


 曖昧な言い方だが、トビアには彼女の言わんとしていることが理解出来た。「そうだね」と相槌を打ち、自分たちが通ってきた方の空を見つめる。


「だから、きっと……」


 そこから来るわざわいとも、戦い抜けるはずだ。トビアはそう信じることにした。

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