「糞尼をこ」「三下ァッ!!!!」
相手の罵声が終わらない内に、ユディトは滑るような足さばきで距離を詰め剣を振るっていた。
高純度の聖銀を鍛えに鍛えて仕上げられた長剣は、軽さと鋭さを極限まで突き詰めた大業物だ。普通なら、祭司の小娘が持ったとて飾りくらいにしかならないが、ユディトの腕前は武器の質に十分見合うだけのものがあった。
最初の一人目の首が刎ね飛ばされるのと同時に、同じく下馬した騎士たちも我先に突撃した。継火手に先陣を切らせた時点で、すでに恥を覚えねばならないほどの失態だ。この上はユディト以上に働いて見せなければ、煌都の守護者としての面目が立たない。
無論、闇渡りたちも黙ってやられるつもりは無かった。唯一の脱出路を求めて、死に物狂いで襲い掛かってくる。その敵意は必然的にユディトに集中した。
「我が焔よ、抗う者を薙ぎ払え、
だが、ユディトは彼らの攻撃を歯牙にもかけず、かえって法術でまとめて薙ぎ払った。剣を振るうと同時に炎の散弾が眼前を焼き払い、火達磨になった闇渡りたちが地面を転がる。それを踏み越えて、また新たな敵が飛び出してくるが、彼女は練達の技で斬撃を捌き、返しの薙ぎで斬り捨てた。
それ以上ユディトが剣を振るう機会は無かった。後続の騎士たちが彼女の前方を守り、脱出に失敗した闇渡りたちを一挙に押し込めたからだ。継火手が直に剣を振るい、敵を討ち取ったことは、彼らの士気をこの上なく湧き立たせた。
別の方向から逃走しようとした者も、周囲を囲んだ四百騎の騎馬によってたちまち刈り倒された。戦闘が終わり、掃討へと状況が推移したことを確認してから、ユディトは長剣の血を振るい落とし、鞘に納めた。
「っ……!」
だが、切っ先を鞘の口に当てようとした時、それが手の甲を浅く裂いた。右腕がガクガクと震えていた。
「……!」
ユディトは誰にも気取られないよう、左手で右腕を強く握り、震えを殺し剣を納めた。
◇◇◇
彼女の気丈な振る舞いに気付いている者がいた。
密かにユディトの周囲を警戒していたイザベルは、必然的に彼女の動きも視界にとらえていたのだ。
「イザベル、どうかした?」
「……いや、私じゃないよ。あっち」
軽く顎を揺らすと、妹のイザベラも「ああ」と手の平を打った。
「ユディトちゃん、人斬りは初めてだっけ」「お嬢様だからな」「そりゃそっか」
イザベラは杖にもたれかかったまま、ふわぁと
(人を斬って震えるなんて、ついぞ忘れてたな)
果たしてそんな日があったのかどうかさえ、イザベルは分からなかった。
彼女たちは、自身が何故ウルクの暗殺者などをやっていたのか、良く分かっていない。物心ついた時にはすでに、地下世界で人殺しの訓練を受けさせられていたからだ。一応、官僚の娘であることは分かっているが、どういう経緯で大坑窟に送り込まれたのかは分からない。
人斬りが、何となく悪いことだと分かってはいたが、「じゃあそれ以外の生き方をくれるのか?」というのが、彼女たちの共通した意見だった。
どの道悪さをして生きていくしかないのだから、道徳など気にしていても仕方が無い。そういう意味では、彼女たちはシオンの血こそ受け継いでいるものの、考え方は闇渡りそのものだ。
そんな彼女たちにとって、継火手ユディトはどこまでも新鮮な観察対象だった。彼女を見ていると「正解ってこんな感じなんだな」と思わされるし、何より茶化すのが楽しい。
(それに……)
依然眠そうに瞼をしばたたかせている妹を見やる。イザベラは「うにゅ?」と素っ頓狂な声を漏らした。
自分たちが、今もこうして命を長らえていることについて、全く感謝していないわけではないのだ。
「……何だって私が」
イザベルはかぶりを振った。本来ならこの場にいるべき男に対して、文句の一つも言ってやりたい気分だ。
(慰める、ってわけじゃないけど)
彼女は、戦闘の推移を見つめている主人に歩み寄った。ユディトはちらりと彼女の方を見やったが、すぐに視線を正面に戻す。だが、努めて冷静に振舞おうとしているのは、イザベルの目から見ても明らかだった。
「ユディト様、あまり難しく考えすぎない方がよろしいかと」
「……」
エルシャで最も美しい継火手は、剣の柄尻をそっと撫でた。まだいくらか震えが残っている。苦笑しながら「貴女にそんな気遣いをする心意気があったなんてね」と憎まれ口をたたいた。
「立派だったと思います。本当なら、エルシャに引きこもっていても良かったはずなのに、こんなところまで出張って、自ら手を汚して……」
「私がやらなければ、他の人に
「そういうものでしょうかね。私は、ユディト様はもっと楽をしても良いと思いますよ。不良になれば良いんです」
ユディトの口から、溜息と笑い声が同時に流れ出た。
「貴女が言うと説得力があるわね」
「本気ですよ。貴女は真面目過ぎます」「そーそー、もっと楽ちんに生きたらいいじゃん」
いつの間にか近くにやってきたイザベラが、イザベルの肩にもたれかかった。そんなくだけた様子の姉妹を見ていると、ユディトはどうしても、自分とカナンの関係を想起せずにはいられなかった。
「第一、ギデオンもギデオンです。こんな大変な時だというのに、貴女をほったらかしにするなんて」
言えないなら言ってやろう、そんな気持ちでユディトの心情を代弁したつもりだった。
「仕方がありません。ウルク方面の偵察に行ける人間なんて、あの人をおいて他にいませんから」
「そりゃあ、そうかもしれませんけど……」「泣いて引き留めても良かったんだよ?」
ユディトは瞼を伏せた。口元こそ微笑を浮かべようと努力しているが、目じりに浮かんだ寂しさだけは隠しきれていなかった。
「ほら、そんな顔をするくらいなら、本人の前で言っておけば良かったんです」
「……言わないで」
戦闘は終結し、騎士たちは脱出した者への保護を始めていた。彼らの多くは家財道具さえ満足に持ち出せず、ほとんど着の身着のままで夜の中に放り出されてきた。
そんな人々を前に、個人的な感情で思い煩っていること自体が不謹慎だと、ユディトは思っていた。
(……でも……)
どうしても、南東の方角に意識が向いてしまう。こんな風に震えを納められない時は、どうしても。