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【第百九五節/聖剣エルバール】

 ギデオンらのもたらした情報が届く以前に、エルシャ上層部では今後の対応策がすでに決定されていた。


 とは言っても、彼らにとっての生存圏が煌都以外に無い以上、結局はここを死守するために全力を尽くすしか無いのだが。


(もっとも、ここに居残ろうとする者がどの程度いるか)


 議会で報告をしている最中も、ギデオンは大祭司たちの様子に目をこらし続けていた。ある者はしきりに髭を撫で、ある者は恐怖を露わにしている。無理からぬことだろう。彼らは今まで凪いだ世界に生きてきたのだから。


 エルシャの上層部では、すでに家族を脱出させる動きが出始めている。エルシャより西方にある煌都テサロニカは、今のところ他の管区に比べて夜魔による被害が少ない。移住しようとしたところで簡単にはいかないのだが、そこを無理やりごり押し出来る財力さえあれば、不可能ではないのだ。


 だが、これから先に待っているのは嵐の時代だ。暗雲から一時逃れたところで、最後には必ず追いつかれてしまうだろう。


(エルアザル猊下は……)


 雇い主の意図を探ろうとした時、まさにエルアザル本人から、彼に声を掛けてきた。


「ギデオン卿。言うまでもないが、我々にはこの街を守り抜く義務がある。そのための策や手段は、一つでも多く講じておくべきじゃろう」


「は……」


 主人の意図を掴みかねて、曖昧な返事になった。だが、他の大祭司たちの様子が変わっていない以上、これは既定路線なのだろう。


「君はエルシャにおいて、否、全世界を見渡しても並ぶ者のいない剣士だ。そんな君がこのエルシャにいてくれることを、我々は非常に頼もしく思っておる」


「恐縮であります」


「……我々は君のこれまでの働きに報いると同時に、今後の活躍に対する期待も込めて、君に『エルバール』を授けることを決定した」


 その単語を聞いた時、思わずギデオンも顔を上げていた。「剣をここへ!」大祭司の号令と同時に、神殿仕えの祭司たちが一本の長剣をうやうやしく運んできた。


 その剣は、鈍い銀色の鞘に納められていた。鞘には風や雲の彫刻が、柄には羊の頭が彫られている。よく言えば時代を経た、悪く言えば古びた印象を受ける。


「抜いてみたまえ」


 しかし一度ひとたび刀身を鞘から抜き放つと、音楽的なまでに美しい鈴鳴りと共に、輝く黄金の刃が姿を現した。


 刃渡りはやや長く、一・一ミトラ(約1.1メートル)程度。柄尻まで加えた全長は一・四ミトラに及び、長剣の範疇をやや逸脱している。琥珀のような半透明の刀身の中には、エルシャの大燈台から採られた天火が揺らめいており、そこには次のような詩文が刻まれていた。




『惡をはなれて善をおこない

 和睦をもとめて切にこのことを勉めよ』




 刀身の全てを純正のオレイカルコスで鍛え上げられた剣、それがエルバールである。エルシャの神殿に祀られていたこの剣は、都市に危機が迫った際にその封印を解かれ、これを扱うに足る剣士に預けられることになっている。


 しかし、この慣例が実施されるのは、実に百二十年ぶりのことだ。


「これを預けることの意味を、今更説いたりはせん。君ならば重々承知であろう」


 ギデオンは、エルバールを顔の前で構えた。ふと気が付くと、腕に鳥肌が立っていた。試し切りをするまでも無く、身体がこの剣の凄まじさを感じ取っている。


 このような経験は、初めて剣という物に触れて以来のことだった。


 だがそれと同時に、その重みや柄の感触が、至極自然に身体へと馴染んだ。この剣無くして、何故今まで平気でいられたのだろう。己の陰を置き去りにして、どうして歩き回っていられたのだろう……そう思った。


「……大役を授かりましたこと、心より感謝申し上げます」


 エルバールを鞘に納める。その声は、彼にしては珍しく、興奮で震えていた。

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