ギデオンらのもたらした情報が届く以前に、エルシャ上層部では今後の対応策がすでに決定されていた。
とは言っても、彼らにとっての生存圏が煌都以外に無い以上、結局はここを死守するために全力を尽くすしか無いのだが。
(もっとも、ここに居残ろうとする者がどの程度いるか)
議会で報告をしている最中も、ギデオンは大祭司たちの様子に目をこらし続けていた。ある者はしきりに髭を撫で、ある者は恐怖を露わにしている。無理からぬことだろう。彼らは今まで凪いだ世界に生きてきたのだから。
エルシャの上層部では、すでに家族を脱出させる動きが出始めている。エルシャより西方にある煌都テサロニカは、今のところ他の管区に比べて夜魔による被害が少ない。移住しようとしたところで簡単にはいかないのだが、そこを無理やりごり押し出来る財力さえあれば、不可能ではないのだ。
だが、これから先に待っているのは嵐の時代だ。暗雲から一時逃れたところで、最後には必ず追いつかれてしまうだろう。
(エルアザル猊下は……)
雇い主の意図を探ろうとした時、まさにエルアザル本人から、彼に声を掛けてきた。
「ギデオン卿。言うまでもないが、我々にはこの街を守り抜く義務がある。そのための策や手段は、一つでも多く講じておくべきじゃろう」
「は……」
主人の意図を掴みかねて、曖昧な返事になった。だが、他の大祭司たちの様子が変わっていない以上、これは既定路線なのだろう。
「君はエルシャにおいて、否、全世界を見渡しても並ぶ者のいない剣士だ。そんな君がこのエルシャにいてくれることを、我々は非常に頼もしく思っておる」
「恐縮であります」
「……我々は君のこれまでの働きに報いると同時に、今後の活躍に対する期待も込めて、君に『エルバール』を授けることを決定した」
その単語を聞いた時、思わずギデオンも顔を上げていた。「剣をここへ!」大祭司の号令と同時に、神殿仕えの祭司たちが一本の長剣を
その剣は、鈍い銀色の鞘に納められていた。鞘には風や雲の彫刻が、柄には羊の頭が彫られている。よく言えば時代を経た、悪く言えば古びた印象を受ける。
「抜いてみたまえ」
しかし
刃渡りはやや長く、一・一ミトラ(約1.1メートル)程度。柄尻まで加えた全長は一・四ミトラに及び、長剣の範疇をやや逸脱している。琥珀のような半透明の刀身の中には、エルシャの大燈台から採られた天火が揺らめいており、そこには次のような詩文が刻まれていた。
『惡をはなれて善をおこない
和睦をもとめて切にこのことを勉めよ』
刀身の全てを純正のオレイカルコスで鍛え上げられた剣、それがエルバールである。エルシャの神殿に祀られていたこの剣は、都市に危機が迫った際にその封印を解かれ、これを扱うに足る剣士に預けられることになっている。
しかし、この慣例が実施されるのは、実に百二十年ぶりのことだ。
「これを預けることの意味を、今更説いたりはせん。君ならば重々承知であろう」
ギデオンは、エルバールを顔の前で構えた。ふと気が付くと、腕に鳥肌が立っていた。試し切りをするまでも無く、身体がこの剣の凄まじさを感じ取っている。
このような経験は、初めて剣という物に触れて以来のことだった。
だがそれと同時に、その重みや柄の感触が、至極自然に身体へと馴染んだ。この剣無くして、何故今まで平気でいられたのだろう。己の陰を置き去りにして、どうして歩き回っていられたのだろう……そう思った。
「……大役を授かりましたこと、心より感謝申し上げます」
エルバールを鞘に納める。その声は、彼にしては珍しく、興奮で震えていた。