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【第百九八節/ディルムン攻略戦 一】

 辺獄という環境の常ではあるが、人間の予定通りに夜魔が動いてくれることなどあり得ない。


 オーディスの立てた作戦に則って挺身隊が出発するまでに、三度に渡る襲撃があった。


 当初は少数の夜魔が攻めてきただけだったが、二度目の時にはいきなり難民たちの間にアルマロスが湧き出て、十名の死傷者が出てしまった。


 それらは即座に駆けつけたヒルデとギスカールによって処理された。しかし一度恐怖に火がつくと、連鎖的に拡散していくものである。


 よって、三度目の襲撃には、ネフィリムも混ざった大規模な一群が攻め寄せてきた。当初確認出来ただけでも、数は二百体をくだらない。総勢が何とか千人を超える救征軍にとっては、なかなかに辛い数だった。


 その上、主力の一角であるアブネル隊は、ディルムンに潜入する準備に時間を割かれ、本格的な戦闘に参加出来ない。仮に余裕があるとしても、本番前に負傷して戦線離脱するのでは、本末転倒というものだ。


 軍事上の総責任者であるオーディスの手元には、約五百名のウルバヌス兵、闇渡りを中心に構成された前衛部隊三百五十名、そして輸送作戦に従事していない操蛇族約二百名程度の手札しかない。しかも、イスラやアブネル、クリシャといった強力な札が抜け落ちた状態での防衛線だ。


 だが、こうなることはあらかじめ予想していたことだ。


 すでに岩堀族の技師たちに命じて、ゴーレムや石壁を使った防塁を四か所設営済みである。敵が現れるごとにいずれかの防塁で受け止め、その間に遊撃隊を送り込んで殲滅する。というのが、オーディスの描いた絵図だった。


 しかし、分かっていても避けられないことはいくつかある。その中で最も頭を悩ませたのは、当の総指揮官であるカナンが、遊撃隊として戦場に突撃してしまうことだった。




◇◇◇




 四つの防塁のうちの一つに、二百体以上の夜魔が殺到してから数分。ゴーレムが破壊され、夜魔たちが石壁や建材で造った小さな城壁を乗り越えようとしていた。


 幸い、大物のネフィリムは、空中から投げ槍や弓、落石で攻撃する操蛇族に引きつけられて脚を止めている。それでも百対二百では、あまりに分が悪い。


 濁流が堤防を越えて氾濫するように、溢れた夜魔たちが石壁を乗り越え雪崩れ込んでくる。地面に転げ落ちながらも、這いずるようにして向かってくる様は、滑稽さと気味の悪いさを兼ね備えていた。


「怯むなァ! 持ちこたえれば、すぐに援軍が来る!!」


 自ら進んで前線に入ったゴドフロアは、老齢を感じさせない剛剣で次々と夜魔を薙ぎ倒していた。指揮をとりつつ戦闘を行えるという点ではアブネルと似通っているが、彼が戦術や連携を主体に戦うのに対して、老騎士は己の武術で人を引っ張る種類の指揮官だった。


 どう勘定しても将軍になれる器ではないが、ゴドフロアは別に構わないと思っていたし、将軍よりは騎士と呼ばれたいと思っている。そういう現場主義的な気質はラヴェンナの貴族社会とそぐわなかったが、こうした戦地にあっては見事に発揮された。


 そして騎士にとっては、仕えるに足る主人がいることが何よりの喜びである。


 継火手カナンが二百の増援を連れて戦場に到着した時に、一番大きな鬨を上げたのは彼だった。


「遅くなってすみません!」


「何の! お待ちしておりましたぞ、法王様!」


 法王、という言葉にカナンはやや苦笑するが、すぐに表情を引き締める。石壁を乗り越えた夜魔の一体が、こちらに向かってきていた。


「ヒルデさん、コレットさん! 負傷者の救護をお願いします! 闇渡りの皆さんは、私の後に続いてください!」


 カナンは乗っていた馬から飛び降りると、右手に細剣を、左手に杖を構えて夜魔を迎え撃った。「行くぞ、プフェル!」「はいはい」居残り組の闇渡りたちも伐剣を抜いて後に続く。若手の闇渡りほど、アブネルの選抜隊に入れなかったことを悔やんでいきり立っていた。


 だが、彼らの意気込みは結果として空振りに終わった。


 カナンは防塁の中に飛び込むやいなや、自らの蒼炎を纏わせた武具で次々と夜魔を屠っていく。一見すると全くかみ合わない二種類の武器を、ごく自然に並立させてしまうところに、カナンの並外れた器用さが現れていた。


 蒼い残光が躍るのに合わせて、夜魔の身体が次々と灰に変えられていく。あるいは頭を打ち、またあるいは胴を裂き、傍から見ている者も把握出来ないほどの速さで敵を薙ぎ払っていく。


 その間、カナンは一発の法術も使わなかった。武器を覆わせる程度である。長期戦になる可能性を考慮すれば、こんなところでいたずらに消耗は出来ない。


 それでも、さすがにネフィリムだけは話が別だった。それに、武芸だけで二百体以上の夜魔を殲滅することも出来ない。


(一発だけ……!)


「我が蒼炎よ、御怒りの奔流となり悪を滅せよ、出でよ断罪の光! 能天使の閃光エクシアス・ブレイズ!」


 権杖の先端に魔法陣を展開させたまま、カナンは大きく腕を振りかぶった。辺獄の空を一条の光線が切り裂く。カナンはそのまま杖を振るい、最低限の出力に絞ったそれで、ネフィリムごと夜魔の大群を薙ぎ払った。


 光が闇を裂いた時、一瞬だけディルムンの方に向かう影が見えた。カナンはその行方を案じるように溜息をついたが、すぐに新手の夜魔が現れたため、そちらに注意を向けざるを得なかった。

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