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【第百九八節/ディルムン攻略戦 三】

 二つ首のやからは、さほど強力な敵ではなかった。


 不揃いな腕は長さこそあるものの、腕力そのものは普通の人間とさして変わらないだろう。ただ、正気の人間ならば、自分自身の身を守るためにある程度力を抑えるものだ。筋や腱が切れていたり、あるいは骨を砕いてまで走り続ける者はいない。


 だが、彼らにはそうした自己防御に関する欲望が欠如していた。文字通りの死に物狂いである。


 枷を外された力は、同時に猛烈な勢いを生じるものだ。その勢いに押され、一人の闇渡りが押し倒された。


 そして倒れた闇渡りの首筋に、人頭の方が歯を突き立てる。鹿の頭の方は何もしない。ただ、例の嘲るような眼光を湛えたまま、もう片方の頭の醜態を見守っている。


「何やってんだよ!」


 イスラは明星ルシフェル混血児ヒュブリスを振るい、圧し掛かっていた二つ首を次々と斬り伏せた。「す、すまねぇ!」助けられた相手がイスラであるにも関わらず、その戦士は反射的に礼を言っていた。


 アブネルが負傷者の襟首をつかみ、自分の背後へと引きずり込む。すかさず他の闇渡りたちが壁となって布陣し、二つ首たちに相対した。


 そんな中、イスラはふと違和感を覚える。息つく間もなく二つ首たちは襲い掛かってくるが、一体、また一体と斬り伏せるたびに、違和感は確信へと変わっていった。



「……こいつら、夜魔じゃない!」



 普通の夜魔ならば、撃破した時点で灰と化す。しかし、今相対している敵は、斬ってもその姿を消さない。肩や首から生えている見者ハサイェの首が消えるだけで、もう片方の人間の首の方は残るのだ。


 暗さ故に判別し辛いが、血液の色も人間に近い。やや黒ずんでいるが、夜魔特有のタール状の体液とは明らかに異なっている。


「アブネル!」


 イスラと同じ懸念を、アブネルもまた抱いていた。だが、彼は努めて冷静であることを己に課していた。


「騒ぐな。やることは別段変わらん。二対一を徹底し……!」


 彼は反射的に横に跳んでいた。絶望的な死線を幾度も潜り抜けて鍛えられた危機感地能力が、無意識のうちに彼の身体を動かしていた。


 つい先ほどまでいた場所を、伐剣が薙いでいた。彼が助けた闇渡りが、右手に剣をぶらりと提げていた。「貴様!」だが、アブネルは即座に異変に気付いた。



 その闇渡りの首筋が泡立ったかと思うと、見者ハサイェの首が皮膚を突き破って出現した。



 さすがに、他の闇渡りたちも驚愕する。いずれも都外巡察隊士以上の経験と力量を持った連中だが、これほどまでにおぞましく、また心肝を寒からしめる出来事は初めてだった。


 噛みつかれれば、怪物になる。それは、ただ死ぬよりもずっと恐ろしいことだ。しかも、その怪物とはつい一瞬前まで仲間だった存在である


 イスラは直感的に、前回の救征軍が何故失敗したのか……すなわちエマヌエル・ゴートが何故死んだのか理解した。彼女はこれ・・にやられたのだ。


 不意打ちに対応出来なかったのか、それとも部下の姿をした夜魔を斬れなかったからか。よく見ると、二つ首の中にはラヴェンナ製の鎧を着た者も散見される。彼らもまた、この醜悪な怪物たちに呪いをうつされた者たちであろう。


「チッ」


 アブネルの判断は早かった。今、自分が躊躇えば、間違いなく全滅する。


 大ぶりな伐剣を振り上げ、せめて一撃で葬ろうとする。「待て、アブネル!」しかし、その刃が届くより先に、突進したイスラが明星で見者の首の方を斬り落としていた。それでもなお、憑依された闇渡りはイスラに噛みつこうとする。


「だったら……!」


 右手の明星で相手の頭を殴り付けてよろけさせ、混血児を取り落とした左手にカナンの蒼炎を纏わせる。そして、聖なる炎で燃える左手を、斬り落とした方の傷口に突っ込んだ。


 闇渡りの体内に侵入した天火は、そこに残っていた夜魔の残滓を悉く焼き尽くした。闇渡りが膝から崩れ落ちる。イスラはその身体を受け止めた。呼吸は荒いが、「恩に着るぜ……」と確かに人語が聞こえた。


「今度こそちゃんと休んどけよ」


 他の者に押し付けると、イスラは混血児を拾い直して前線へとんぼ返りした。彼に先を越された時点で、すでにアブネルは全体の指揮に戻っていた。


「……悪くない仕事だ」


 アブネルがそんなことを言った。イスラはギョッとしたように彼の横顔を見る。まさか夜魔にやられてはいなかろうかと、心配になった。


「勘違いするな。貴様の行動で、他の連中が安心した。この状況下ではそれが何より大事だ」


「そりゃ、どうも」


 彼の言う通り、あの二つ首の特性は非常に危険である。ただでさえ精神が揺らぎやすい瘴土の中で、噛まれたら怪物になるという恐怖と戦うのは、いくら熟練兵でも至難の業だ。


 そしてその恐怖が夜魔を呼び寄せる。結果として、二つ首と夜魔、両方を相手にしなければならなくなる。そうなりかねない事態を、イスラはたった一手で防いだのだ。指揮官の立場からしてみれば、たとえ気に食わない相手だろうと称賛せざるを得なかった。


 イスラの殊勲があったとはいえ、依然として二つ首の脅威が薄れたわけではない。彼らは続々と横穴から姿を現し、その身に憑依した呪いを捨て去ろうと殺到してくる。


 彼らにとって、呪いうつしも死も、等しく救済に繋がるのだ。恐らくは理性などとうの昔に消失しただろうが、発狂しても呪いは見逃してはくれないのである。


 もう一人、防御に失敗した者が手首を噛みちぎられ、傷口から鹿頭が飛び出した。位置的にイスラも救援に回れなかった。闇渡りたちは即座に状況を呑み込み、夜魔に取りつかれた仲間に引導を渡した。


 イスラ、ペトラを含めて残り二十九人。しかも、ここにいる者は一人当たり十人以上の戦力価値がある。あと四、五人倒されれば、撤退の判断を下すべきだとアブネルは考えた。


 しかし、まだその時ではない。


「野郎ども、入り口近くの敵をどかせろ! ペトラ!」


 あいよっ、とペトラが魔導書を開く。そこに挟んであった鉄欠を掴み、闇渡りたちが作った空間に向けて投擲する。


「我、真理を探る者也。巌の壁よ、立ち現われて我らを護れ!」


 地面に突き立った鉄欠の紋章が光を放ち、大人の背丈以上の石壁へと姿を変えた。湧き出る敵が尽きないのであれば、出入り口を塞いでしまおうという魂胆である。


 石壁の後ろからはしきりに拳を叩きつける音や、悲鳴、咆哮が聞こえてくる。しかし二つ首の腕力は所詮人間並みであり、いくら頑張ったところで石の壁は砕けない。


「このやり方でどんどん塞いでいくよ! それまで、やられたら承知しないからねッ!!」


「了解っす、姐さん!」

「頼りにしてますぜ!」


 アブネル率いる一団は、その後も敵を排除しつつ、じりじりと前進を続けた。湧き出す敵の数を抑制出来たこと、手の内がある程度明らかになったことも相まって、それ以降犠牲者が出ることはなかった。




◇◇◇




 とはいえ、楽な仕事で無かったのは確かである。


「糞面倒臭かったな、マジで……」


 誰かの言ったその一言が、二つ首に対する感想のおおよそを表していた。他にも「年増の淫売を思わせるしつこさ」だとか「尻を狙うオカマ野郎」といった罵倒も散見される。


 いずれにせよ、彼らは大いに疲れさせられた。理性のたがが外れた相手は恐ろしい。経験豊富な彼らはそのことをよく理解していた。


 闇渡りたちの世界で、言葉と言葉をもって和解が成立することは珍しい。大抵は戦いで決着をつけることになる。


 しかし闘争の文脈の中には、死への恐怖という共通言語が織り込まれている。自分が死を恐れる時、相手もまた恐れている。


 奇妙な話だが、殺す=殺されるという殺伐とした関係性の中には、相手に対する絶対的な信頼が内在しているのである。互いに絶対に倒さなければならない敵だが、人間性の底の底の部分では相通じているという確信。


 だが、二つ首にはそれが無い。


 彼らは口々に何かを叫んでいた。今もまだ、石壁の後ろから聞こえてくる。それは何かを痛切に訴えかけているようだが、どこまでも一方的なものに過ぎない。彼らの姿が中途半端に人間に似ていることも、かえって遠さ・・を意識させる。


 自分たちが殺し、殺される時にさえ抱いている人間性、対話可能性……それが彼らには欠如しているのだ。


「連中の断末魔、憶えてるか?」

「思い出させるんじゃなぇ」

「ガキの悲鳴みたいだったな」

「俺はジジイの呻き声に聞こえた」

「……胸糞悪ぃ。まるで俺たちが悪者みたいじゃねぇか」

「悪者だろ? 俺ら」

「そりゃそうだが……ちょっと意味合いが違うな」


 闇渡りたちが感想を共有する間、イスラも物思いに耽っていた。大体は彼らと同意見だが、一つ引っ掛かる点があった。


 ペトラがそんな彼に「どうしたんだい?」と声を掛ける。


「いや……あいつら何だったんだろうな、って思ってさ」


 明星と混血児で、一体どれくらい斬ったか分からない。一つ確実なのは、夜魔を斬る手応えではなかったということだ。


「あれは人間の、それも鍛えていない奴を斬った時の手応えだった」


「あんたもそんな経験があるのかい?」


「一度だけ、な。森の中で迷って、気が狂った商人を斬った時だ。あれと……いや、あれよりもっとヤワな感じだった。

 ペトラは何か分からないか?」


「あたしだって知らないよ。ただ、ここは何か変だね」


「変、って?」


「ただの燈台の動力部じゃないってことさ。少なくともウルクの地下はこんな風じゃなかったし、パルミラの燈台を見学させてもらった時も全然様子は違ってた。まるで、何かの工房みたいに見える」


「工房……」


「ただ、それにしちゃあ設備みたいなものが見当たらない。ひょっとしたら、あいつらの出てきた部屋の奥に何かあったのかもしれないけど……」


 二つ首たちの這い出てきた部屋の奥に何があったのか、調べる術は最早ない。真実を見極めたいのであれば、この先に進むほかないのだ。


 間もなく、高さ五ミトラ程度の大きな扉が姿を現した。


 驚いたことに、開かれている。


 何とか残った力を振り絞って押し開けたのであろう、身体を半身にしてようやく通れる程度だ。明星の光を近づけると、手形の血痕が付着しているのが見えた。指の長い、華奢な手だった。


(ここまで来たのか……)


 武器を手放し、傷を負ったままここまでたどり着いたエマヌエルは、恐らくこの先で力尽きたのだろう。


「開けろ」


 闇渡りたちが数人がかりで両開きの扉を開いた。重々しい音が響き、積もっていた埃が舞い上がる。


 そこは、円形状の広大な広間だった。部屋の周囲には他に四つ、つまり計五か所の扉が設けられている。高さは二十ミトラほどもあるだろうか。明星の光で、ようやく天井まで照らせる程度だ。無論、光源などどこにも無い。


 床には水脈のように魔法陣が走り、壁面は樹木を思わせる管で覆われている。そして中心部には、明らかに制御盤と思われる物体が鎮座していた。


「なあ、ペトラ」


「何だい?」


「カナンから聞いた話なんだが、ウルクもこんな感じだったんだよな?」


「そうだね」


「じゃあ、あれ・・は何だ?」


 何だ? と言ってイスラが指さしたのは、制御盤の真上。そこに、銀色の巨大な蛹のようなものが浮遊している。


「何だろうねぇ。少なくともタロスには見えないねぇ」


 ペトラは頬に人差し指をあてて首を傾げる。アブネルは無言でイスラの肩に手を置いた。普段は悪態ばかりつく闇渡りたちが、信頼と親愛の念を込めてイスラの背中や尻をバシバシと叩いた。


「…………お前ら、覚えてろよ」


 蛹の頭部らしき箇所に、赤い光が灯った。


 上体の、人間ならば肩にあたる部位が左右に突き出し、その突起から機械音と共に二対六本の腕が展開する。その腕の先には、暗闇の中にあっても炯々けいけいと光を跳ね返す大鎌が装備されていた。


 イスラは忌々しさを溜息に込めて吐き出すと、両手の明星と混血児に秘めていた天火を解放した。蒼炎が両腕を肩まで覆い、彼の身体に力を与える。


 銀色の蛹は、その輝きを刈り倒すべく、眼光を一層爛々と輝かせ突進した。

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