「散開!」
アブネルの怒声が響き渡ると同時に、闇渡りたちは一斉に動き出した。二十九人中、十人が負傷兵とペトラを庇って行動し、残った者は銀色の蛹の目を引くべく方々に散らばる。
だが、最初から『蛹』の目標はイスラただ一人だった。彼もそれは心得ている。大坑窟でタロスと戦った時と同じだ。彼らは天火や魔導に反応して襲い掛かる。その力が強ければ強いほど、より大きな脅威目標として排除を試みる。
だから、イスラは殊更強く天火を放出させた。後のことは考えない。ここでこの敵を倒すことこそが、自分に割り振られた仕事だ。
実のところ、燈台の地下にこのような敵が待ち構えていることは、ある程度想定されていた事態だ。何しろタロスという前例がある。アブネルの部隊にも聖銀製の剣は配備されているが、さすがにイスラの明星とは比較にならない。
しかし、当初想定されていたのは、あくまでタロスと同系統の巨人である。相手が浮遊する……ましてや積極的に近接戦闘を仕掛けてくることまでは、想定の範囲外だった。
風切り音と共に接近した『蛹』が、六本の腕を軋ませて刃を振るう。イスラは受けようとはせず、回避に徹した。
(結構、速いな……!)
機械仕掛けの斬撃は素早く重いが、相手を騙したり、出し抜こうとする小賢しさは全く見られない。そういう意味では、一本一本の攻撃は非常に読み易かった。
明星の切れ味ならば、一本、二本は斬り落とせるかもしれない。だが、その間に残った腕の攻撃で膾切りにされるのは目に見えている。さすがにこの段階で、そこまで危険な択は採れない。
「どうにか動きを止めたいけど」
嵐のように降り掛かる斬撃をぎりぎりの所で回避しながら、イスラは周囲の状況を抜け目なく確認する。
地形……屋内ではあるが、空間的な猶予は十二分にあり、はっきり言って『蛹』の動きを掣肘し得る要素にはならない。闇渡りたちが弓で牽制をかけているが、敵は歯牙にもかけなかった。
(ってか、俺がいるのに撃つなよ)
どれだけ嫌いなんだ、と文句の一つも言ってやりたい。ちなみに、その中にはアブネルも混ざっている。「
右手の明星を逆手に持ち替える。「アブネル!!」機械の『蛹』以外の誰もが驚愕したことだろう。イスラは燃え盛る明星をアブネルに向かって投擲した。
「貴様ッ!?」
アブネルは咄嗟に回避する。壁に明星が突き立った。
同時に、『蛹』の標的がイスラからアブネルに切り替わる。闇渡りの棟梁は怒りを込めて唸った。
明星には手を出さず、転がって斬撃を回避する。だが、彼にはイスラほどの身軽さは無い。六本の刃のいずれかに掛かるのも、時間の問題に思われた。
「隙ありッ!!」
敵の注意がそれた一瞬を突いて、イスラが『蛹』の後背に斬り掛かった。聖銀製の伐剣である混血児ならばもしや……と考えたが、斬撃はあっさりと装甲に弾かれ、それどころか纏わせていた天火までも吸い取られてしまう。
(甘くはない、か!)
しかし、その一撃は確かに『蛹』の注意を引いた。その隙にアブネルは離脱する。
六本の刃と共に『蛹』が振り返る。イスラはその真下を潜り抜け、壁に突き立っていた明星を抜き取った。
「イスラ! 貴様、よくも!」
「お互い様だろ!?」
「チィ……!」
今は口喧嘩をしている余裕はない。イスラは斬撃を掻い潜るので手一杯だ。
そしてアブネルの方も、それ以上イスラに
彼らが入ってきた扉以外の全箇所から、例の二つ首たちが身体を揺らしつつ現れた。すでに方々では戦闘が始まっている。アブネルとしては、全体の指揮を執りつつペトラを守る方が大事だった。
これで、先ほどと同じように囮を使った攻撃は出来なくなった。もっとも、混血児では『蛹』を傷つけることは出来ないと証明されてしまったし、逆に混血児を放り投げたところで敵は歯牙にもかけないだろう。敵が恐れているのは、あくまで明星の方なのだ。
(逆に言えば、明星の方なら斬れる……かもしれない)
あの六本の刃を潜り抜けて、明星による一太刀を浴びせる。言うだけなら簡単だが、実際に行うとなると、とんでもない難業だ。
「ここじゃ無理だな」
そう結論付けるやいなや、イスラはくるりと背を翻して元来た入り口へと走り出した。
「おい、どこに行く!?」
「逃げるのかよ腰抜け!」
「小便漏らしたか!?」
「はいはい、漏らした漏らした」
ほーら見ろ、やっぱりだ! という声に見送られつつ、イスラは全力で暗がりの中を疾走する。少しでも速度を落とすことは許されない。真後ろからは、天井、床、壁に全身を打ち付け火花を散らす『蛹』が、猛烈な勢いで迫っている。
(……こいつ?)
イスラはふと疑問を覚えた。だが、それを深く考えている余裕は無かった。
六本の大鎌の一つが赤熱化した。『蛹』が大きく腕を振るうと、そこに装填された天火が炎の刃となって放たれた。
「うおっ!?」
首を下げていなかったら、鼻から上を焼かれていたことだろう。外れた天火は施設の天井に当たり、爆発が振動と粉塵を撒き散らした。
その衝撃に押されるようにして、イスラは縦穴へと吹き飛ばされる。振り返ると、敵も爆風を突っ切って猛追している。
「ついてきてくれるか!」
だが、それこそがイスラの狙いだ。味方が二つ首と混戦に陥っているあの場所では、自分も思うように動けない。
両方の剣に込めた天火を両脚に回す。腕を包んでいた蒼炎が、そっくりそのままイスラの脚へと移った。
そうして強化された脚力で、イスラは一気に縦穴を駆け上る。無論、普通に螺旋階段を登っているだけではすぐに追いつかれるので、所々で
そうなると最早、駆け上がっているというより、飛び上がっていると言った方が適当だろう。
何度も足首を斬られそうになりながら、イスラは階段を登り切った。ほぼ同時に、『蛹』が縦穴から飛び出してくる。六本の刃は、明星以外に明かりの無い聖堂の中でも爛々と輝いている。
「……上等だ」
イスラは軽く上を見やった。いくつもの階段や橋が交差するこの空間の方が、自分の得意とする地形により近い。
ここならば、あの敵に一太刀入れる機会も見いだせるかもしれない。
◇◇◇
片手を制御盤に置き、片手を床に広げた魔導書に当てた状態で、ペトラは復旧作業に没頭していた。周囲では闇渡りたちと二つ首の熾烈な戦闘が続き、アブネルの指揮する声が聞こえてくる。だが、そんな現実の状況を感じている一方で、ペトラの脳はまた別のものを捉えていた。
制御盤に置いた手から、情報が直接彼女の脳内に流れ込んでくる。それは、かつてこの都市を稼働させていた巨大な術式そのものだ。抽象的で、実体の伴わないそれを、しかしペトラの脳は形象として捉えている。
例えるならば、巨大な幾何学模様のようなものだ。それも単純な直線の組み合わせではなく、どこか植物を思わせる有機的な曲線によって構成されている。何の変哲もない枝葉のように見えるものが、実は複数の段階を経て描かれる巨大な総体と相似形を成している。
問題は、その総体の複数個所に欠落や断絶が認められることだ。そこに線を引き直すことが、岩堀族による魔導施設の復旧作業である。
ペトラは並々ならぬ集中力で、その作業に取り組んでいた。少しでもほころびや失敗があれば、術式は正常に作動しない。アブネルやイスラはもちろん、外で戦っているカナンたちのためにも一刻も早く術式を完成させなければならないが、焦りは余計な失敗を生む。
分断されていたものが次々と結びついていくのを感じた。だが、その一方でペトラは何か違和感を覚えた。
(なんじゃ、これ?)
術式の一部に、不自然に切り取られたような箇所がある。明らかに欠損や断裂ではなく、部分全体が丸ごと抜き取られているかのようだ。別にその箇所が無くとも再稼働に不備はないが、明らかに恣意的な穴を前に、ペトラは一瞬頭の回転を止めてしまった。
「おい、まだか!?」
襲い掛かる二つ首を斬り倒したアブネルが、ペトラを怒鳴りつける。事実、長引かせて良い状況ではない。
(ええい、ままよ!)
とにもかくにも、今は前に進めるしかない。ペトラは再び作業に戻った。