目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

【第百九八節/ディルムン攻略戦 五】

 ディルムン城外での戦闘は、依然として続いている。兵士たちは休む間も無い。


 だが、総司令官であるカナンが先頭に立って戦っている以上、誰も後には引けないし、そもそも撤退可能な場所も存在しないのだ。


 そうして前線に立った兵士が倒されたり、負傷すると、その不安や恐怖を嗅ぎ付けた夜魔たちが次々と辺獄から湧き出してくる。いくら倒しても終わりが見えない。その徒労感と絶望感が、一層多くの夜魔を呼び寄せる。


 カナンやオーディスもこうした事態には当然気がついていた。現在の最高戦力がカナンである以上、彼女を戦線から引き抜くのはあまりに危険な行為だった。事実、彼女は一騎当千と言っても過言ではない働きをしているが、逆に言えば全軍の士気全てを担っているような状態だ。


 当初はヒルデが穴埋めに入っていたが、元々の天火の質と量が段違いであり、交代と同時に目に見えて劣勢になる。もう一人の継火手であるコレットに至っては、後方で負傷者の手当てをするのに手いっぱいで、とても戦闘には加われない。


(エマの苦労が、ようやく分かった……!)


 迫りくるアルマロスの剣を受け流し、天火を纏わせた杖でその頭を叩き潰す。グレゴリに踏みつぶされそうになっている兵士が見えたので、細剣を投擲して灰に変える。得物が一つ減った所に、またしてもアルマロスが、二対同時に襲い掛かってきた。


 杖を両手持ちに構え直す。流れるような足さばきで片方の剣を躱し、間合いの差を活かして反撃を加える。すぐにもう一体の敵が突きを放ってくるが、カナンは攻撃に使った遠心力を利用して回し蹴りを繰り出し、剣の軌道を逸らせた。


 即座に右手を天火で覆い、アルマロスの首を手刀で叩き折る。


 ここまでやって、ようやく額の汗を拭くだけの余裕が出来た。


 だがいくら倒しても倒しても、敵の途切れる気配は全く見えない。何度か法術を使ってはいるものの、使えば使った分だけ敵が現れる気さえする。


(いざとなったら、熾天使級の法術を使う)


 カナンの中では、それだけの覚悟が出来上がっていた。


 だが、まだしばらくは、杖だけで戦わなければならない。




◇◇◇




 前線の戦いが苛烈になる一方で、後方における戦いも熾烈を極めていた。


 老若男女を問わず、動ける者は全て動員して戦闘の下支えを行っている。ある者は料理を作って配給し、ある者は弩に矢を装填し、またある者は突破してきた敵を投石や槍で撃退している。


 だが最も過酷な現場となったのは、負傷兵たちの野戦病院であろう。次々と運び込まれてくる怪我人を相手に立ち回っているのは、主に普段娼婦として働いている若い女性たちだった。


「しっかり両腕を掴んどきな! あんたも! 男だったら泣くんじゃないよ!」


 太腿を刺された兵士を三人がかりで押さえさせ、娼婦のラハは手早く傷口に軟膏を練り込み、包帯をきつく巻き付けた。


 だが、頭のどこかでは「こいつはもう駄目だ」と悟っている部分がある。辺獄に入ってこのかた、自分の職業が娼婦なのか看護婦なのか分からなくなっていた。それくらい多くの怪我人を見ていると、自然と治る者と治らない者の区別もついてくるものだ。


 負傷した部位、流れた血の量、脈拍や呼吸、顔色……最初は何も分からなかったが、慣れてくると自然とそうした情報に目がいくようになる。


 あらかじめ看護についての手ほどきを習ってはいたが、実際どの程度役立っているのかは分からない。結局のところ、明暗を分かつのは本人の体力や時の運であったりする。二ミトラほどの大男があっさり死ぬこともあれば、子供みたいな体型の兵士があっさり起き上がって戦場に戻っていく。


「ふぅ……」


 水桶に突っ込んである杓を使い、両手の血を洗い流す。直接桶に手を浸すことは禁じられていた。誰がどんな病気を持っているか分からないからだ。


 もっとも、用意してある杓はほとんど汚れ切っていた。ラハは近くで洗濯をしていた女の子たちを呼びつけて、一緒に洗うよう指示した。


「まったく、あたしも何やってるんだか」


 そう愚痴っている間にも、次々と患者は運び込まれてくる。


 戦場の騒乱の中にあっては、聖女も娼婦もあったものではないのだ。




◇◇◇




 ディルムンの燈台内に張り巡らされた階段は、自由に飛び回る『蛹』を相手取るのに最適な地形だった。


 無論、足場は強度という点で信が置けず、イスラが駆けた後に崩れてしまうような箇所もあった。だが、それでも延々と上をとられるよりは遥かにマシだ。頭を押さえられているのでは勝負にもならないし、閉所であの鎌の連撃を回避することも出来ない。


 第一、崩れるのが怖いなら、それより速く動けば良いだけだ。と、イスラは考えた。


 階段の真下から飛び出してきた『蛹』が、六本の腕を一斉に振り下ろす。飛び退っていなければ、階段もろとも輪切りにされていただろう。


 宙に浮いた状態で梟の爪ヤンシュフを射出し、振り子のように動きながら別の階段へと降り立つ。粉砕した瓦礫を弾きながら、敵は執拗にイスラを追跡する。


 命がけの追いかけっこを続けながら、イスラは頭の中で、この敵の特徴をまとめてみた。


 一つ。飛ぶ。極端に速くはないが、駆け足では逃げ切れない。

 二つ。強度は非常に高く、聖銀製の武器でも有効打にはならない。

 三つ。タロスと同じ性質を持つ。天火を使うのは危険。

 四つ。思考は単純で、読み易い。

 五つ。天火を持つ者を脅威と捉える。


 やはり突破口は四つ目と五つ目であろう。


「じゃあ、こいつはどうだ……?」


 体内の天火を明星ルシフェルへと流し込む。励起された刀身が炎を湛え、光となって暗がりの神殿を内側より照らす。


 灯火に引き寄せられる羽虫のように、銀色の『蛹』が飛び込んでくる。その直前で、イスラは刀身にため込んだ天火を空中に放出させた。


『蛹』は狙わない。


 かつて大坑窟で、魔女ベイベルが同じような技を使ったのを見たことがある。本人曰く技以前のものらしいが、継火手でないイスラからすれば立派な技だ。


 放たれた天火は波動となって空中を走り、神殿の内部構造を炙る。媒体を失った天火はすぐにその熱量を減じて霧散していくが、そのほんの僅かな間、『蛹』の知覚は確かに混乱させられた。周囲を覆う天火を脅威と判断すべきか、それとも天火を捨てたイスラを叩くべきか、判断に時間を食ったのだ。


 人間であればまず迷わない局面だ。しかし、機械仕掛けの兵器では所詮この程度の知能が限界である。


 いかに旧世代の人間が優れた技術力を誇っていたとはいえ、ついに機械に人間同様の知能を与えることは出来なかったのだ。


 その技術的な限界点こそが、かつてギデオンがタロスを破るために突いた穴であり、そしてイスラはそのことを良く憶えていた。


 機械仕掛けの番人が再度脅威目標を更新した時には、すでにその赤い眼球を明星の金色の刃が貫いていた。


 投擲された明星には梟の爪ヤンシュフが引っ掛けられている。すぐさま武器を引き抜くと同時に、再度遠心力を利用して空中の敵に返し斬りを当てる。およそ剣術と呼べるものではないが、イスラに技術論的なこだわりは全く無かった。


 聖銀製の混血児ヒュブリスは悲しくなるほどあっさり弾かれたが、逆に明星の斬撃は面白いくらい簡単に『蛹』の装甲を斬り裂いた。数えて三発目で左半身の腕が、四発目で右半身の腕が全て切断され、五発目の袈裟斬りでついに浮力を維持できなくなった。


 投げ網を操る漁師のように梟の爪ヤンシュフの鋼線を手繰たぐっていたイスラは、一旦武器を手元に引き寄せた。『蛹』は今にも地面に落着するかに見えたからだ。


 だが、機械の側は依然戦意を失っていなかった。イスラごと巻き込むべく、ふらつきまじりに突進を仕掛けてくる。


「……往生しろ!」


 足場が崩れる寸前、イスラは『蛹』の背面へと飛び乗り、直接その体躯に明星を突き立てた。内部まで刃が達した手応えが伝わってくる。


 離脱する自信はあった。後は飛び降りて、梟の爪ヤンシュフを引っ掛けながら勢いを殺していけば良い。


 だが、『蛹』は止まるどころか、神殿の壁面に向かって前進を続ける。劣化した壁面をぶち抜いた時は、さすがにイスラも肝を冷やした。


 空気の質が変わる。ディルムン上空の冷えた大気が、イスラの肌を撫でた。


 そして地上に目をやった時、街の外延部で巨大な蒼い火柱が立っているのが見えた。『蛹』はそこを目指していた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?