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【第百九八節/ディルムン攻略戦 六】

「我が蒼炎よ。この天命を糧となし、至尊の冠となりて御稜威みいつあらわせ。


 永遠とわの威光のしるし也。万民を敷く砦也。


 消えること無き光輝の元、咲き乱れよ、熾天使の荊冠ウリエルズ・ソーン!」



 聖典に記されている熾天使級法術は、全部で四つ。その存在そのものは、継火手やそれに近い立ち位置の人々ならば誰でも知っている。


 万象全てを焼き払う熾天使の炎。それを操ることが出来るのは、わずかな継火手の中でも、さらに一握りしかいない。


 仮に使えるとしても、進んでその力を行使しようとする者はいない。これは命を削る術だからだ。


 だが、この危機的な状況下でそれを使うことに、カナンはさして葛藤しなかった。そんな自分が、どこか異様であることを自覚しつつ、湧き上がってくる力の奔流に形を与える。


 彼女の足元に巨大な魔法陣が展開する。直径は優に三十ミトラを越えるだろうか。複雑な紋様と解読不能の文字によって構成されたそれは、一瞬のうちに蒼い炎の薔薇を活ける苗床に変わる。


 魔法陣を食い破るように幾本もの茎幹が出現する。各々が大樹の幹ほどの太さを持っているが、決して直立はせず、複雑な曲線を描きながら城壁の如く術者の周囲を覆う。


 出現したいくつもの茎幹は、さらに枝から枝へと分岐していき、その先端に蒼い花を咲かせた。


 これだけならば、至極絢爛な術に見えるかもしれない。現に救征軍の兵士や難民たちは、畏怖と畏敬のないまぜになった視線で立ち現れる花冠を眺めていた。


 だが、その花弁の中心に巨大な眼球が浮かび上がった時、誰かが悲鳴を上げた。


 花弁の目が押し寄せる夜魔の大群を睥睨すると、燃え盛る荊が地を這うように拡散していく。


 ただ闇雲に広がっているのではなく、最も近い場所にいる敵を狙うというある種の自律性を備えていた。類似の術として豹天使の爪カマエルズ・ネイル座天使の騎兵スローンズ・キャバリィといった召喚型のものがあるが、それら以上に殲滅に特化した法術である。


 しかし最大の特徴となるのは、術者の天火がある限り、無限に拡散し続けるという一点であろう。


 カナンを中心として展開した炎の荊冠は、津波のように周囲を呑み込み、微塵の容赦も無く敵を灰燼へと変えていく。一つの枝が分岐し、別れたそれらがさらに分岐に分岐を繰り返し、燃え立つ触手を世界の果てまでも差し伸ばさんとする。このような術なので、事前に兵を全て下げなければならなかった。


 荒れ狂う炎熱の中にあっては、無事でいられる夜魔など一体たりともいない。


 小型の個体は、ただ荊が通過しただけで簡単に轢き潰される。グレゴリ程度であっても一薙ぎで片付いた。ネフィリムほどの大きさになると多少は持ちこたえるが、燃えるいばらに絡みつかれれば簡単に地面へと引き倒され焼却される。


 無論、カナンの消耗も大抵ではない。術は範囲を留めず広がり続ける性質を持つが、あくまで術者の天火のもつ限りである。


 熾天使級の法術を使うのはこれで三度目。行使する天火の量は膨大ではあるものの、使うごとに力の使い方が分かるようになってきていた。今ではある程度出力を調整し、天火を残しつつ使うことも可能である。


 もちろん簡単なことではないが、たった二回の発動を経ただけで熾天使級を制御化に置いているのは、カナンの天才を証明する十分な証拠と言えるだろう。


 それでも、いつまでも続けていることは不可能だ。カナン自身、あと二十秒も続ければ、天火の全てが枯れ果てるだろうと読んでいた。



「点いた!!」



 誰かが歓声を上げる。他の兵士や難民同様に釣られて振り返ると、ディルムンの市街に徐々に光が行き渡りつつあった。


「総員、ディルムン市街に入れ! 各部隊は後退が完了するまで援護せよ!」


 すかさずオーディスが指示を飛ばし、難民や負傷兵が移動を開始する。


 入城に際しては、事前に順番が割り振られていたため、混乱は最小限にとどまった。カナンの熾天使の荊冠ウリエルズ・ソーンの発動に際して後退していた各部隊が、逆に彼女を守るように前進しようとする。


「カナン様、もう結構です!」


 逆巻く炎に負けじと、ゴドフロアが声を張り上げる。


「はいっ!」


 カナンは術を解除した。炎の荊が形を崩し、宙に霧散する。周囲にいた夜魔は殲滅されたが、すぐにでも新しい敵が現れるだろう。


 踵を返そうとした瞬間、がくりと姿勢が崩れた。今までは尋常ならざる注意力で術を維持していたが、掛かっていた負担が一気に押し寄せてきた。


「くっ……!」


 それでも気絶することはない。両脚に力を込めて、光を灯し始めたディルムンに向かおうとする。



 そんな彼女の眼前に、銀色の物体が現れた。



 居合わせた全員の脳内が、一瞬で真っ白になった。カナンですら例外ではない。誰しもが、上空から接近していた『蛹』に気付かなかった。


 その背中から飛び出したイスラが庇っていなかったら、間違いなくカナンは押し潰されていただろう。


 度重なる事態急変についていけなかったカナンは、イスラに抱き締められたままごろごろと地面を転がった。白い法服が煤と泥で染められる。ハッと我に返ると、すぐ目の前にイスラの顔があった。


「大丈夫か!?」


「……すみません、一体何が何やら」


 だが、説明しているだけの時間は無かった。


 背後で『蛹』がその巨体を持ち上げる。イスラに散々に破壊された後だが、落下の衝撃も加わって完全に死に体だった。なんとか姿勢を維持しているような状態だ。


 眼球のあった箇所には無残な斬痕が刻まれているが、それでもまだ、何かが自分たちを覗き込んでいる……カナンはそう思った。


 その違和感に反応するかのように、『蛹』の前面に亀裂が走った。


(壊れた? いや)


 亀裂ではない。複雑な線をなぞってはいるが、明らかに人為的に組み込まれたものだ。


 その線に従って『蛹』が装甲を展開させる。その中には、紫色の光を放つ球体が埋め込まれていた。


「あの光……」


 二人とも、その不気味な光に見覚えがあった。かつてアラルト山脈の大発着場を踏破した時、あるいはウルクの大坑窟を脱出した時。そこには確かに、あの紫色の光があった。


「まさか、転移魔法の……!」


 球体の光は、急速にその光量を強めていく。それと同時に、『蛹』を中心とした直径十ミトラ程度の円形魔法陣が現れる。


「カナン様!」「イスラ!」


 オーディスやゴドフロアが、配下の兵士たちと共に駆け寄ろうとする。イスラはそれを大声で咎めると、膝をついたままのカナンを立たせて、魔法陣の外に出ようとした。


「っ!」


 だが、イスラと共に踏み出そうとした時、膝からがくりと力が抜けた。体重を預かっていたイスラの動きも止まる。カナンはせめて彼だけでも逃がそうとするが、すでに手遅れだった。


 魔法陣が一際強烈な閃光を放った後、そこにはすでに、『蛹』の残骸も二人の姿も見当たらなかった。

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