迎撃し易い隘路に部隊を配備し、数の不利を補うというユディトの戦術は正しい。現に他の方法で戦っていたならば、とうに戦線は崩壊していたことだろう。
だが押し寄せる夜魔の圧倒的な物量の前では、たとえどのような立ち回りを選んだとて焼け石に水である。傷つくことを恐れない夜魔たちは、その身を槍でずたずたにされようと、何の躊躇も無く突撃してくる。
ある所ではグレゴリの突進によって押し潰される部隊があり、またある所では背後を取られて挟み撃ちに遭う部隊があった。頑強に抵抗を続けている者たちも、倒しても倒しても無尽蔵に湧き出してくる敵の前に傷つき倒れていく。
戦火はすでに人の住んでいる場所にまで及び始めていた。後退する兵士と市民とが入り混じり、一部では血を見るほどの事態に陥りつつある。家屋や人の焼ける炎のために、燈台の光が無くとも周囲を見渡せそうに思えた。
(やっぱり無駄だ、こんなこと)
頭の片隅でそう思いつつも、イザベルは一心不乱に曲刀を振るった。妹の天火で包まれたそれは、他の兵士たちと違い簡単に夜魔の身体を斬り裂く。背後からはイザベラが援護の法術を飛ばし、姉に群がろうとする敵を吹き飛ばしていた。
だが、こんな快調な戦い方は長く続かない。二人とも実戦慣れしてはいるが、両者共に己の才覚が平凡であることを自覚している。ベイベルやサラのような異能を目の当たりにし続けてきたのだから、当然と言えば当然だろう。
むしろ、そうして自分たちの力や限界に見切りをつけられるからこそ、揃って生きてこられたとも言える。
今もまた、イザベルは自分たちの力が事態に到底追いつかないであろうことを悟っていた。
自分たちの力は有限。対して敵の数は無限とも思える。しかもこのような乱戦の中にあっては、いつ何が起きるか分からない。
(頃合いを見て逃げ出す……それが一番かな)
ユディトには済まないと思う。いささか厳しくはあるが、彼女は良い上司だった。妹共々拾ってもらったという恩もある。
それでも、自分たちにとってはお互いこそが全てだ。
確かにエルシャは防衛戦の真っ最中で、そこかしこに夜魔が徘徊している。仮に脱出を成功させたとしても、その後も困難が待ち構えているのは当然の帰結であろう。
しかし、彼女には夜の世界で生き抜いていくだけの自信があった。それだけの技術はイザベラも同様に備えている。伊達にあのウルクの地下で生き延びてきたわけではないのだ。
「……イザベル、前!」
「っ!」
妹の注意で、はっと我に返った。すぐ目の前に四体のアルマロスが立ち塞がっている。そのうち二体は、仲間を抱えながら後退しようとしていた兵士に向かっていた。
「チッ!」
舌打ちしつつアルマロスに斬り掛かる。しかし剣に慣れた夜魔だけあって、簡単に捉えさせてはくれない。二対一という状況も不利だ。
普段ならここでイザベラからの援護が入る。だが、アルマロスの斬撃を四度、五度と回避しても、法術は飛んでこない。
一瞬、先にイザベラがやられてしまったのかと、胸が縮み上がる思いがした。そんなことは無く、法術が片方のアルマロスを焼き払った。
もう一体に止めを刺して振り返ると、イザベラが兵士たちに礼を言われているのが見えた。どうやら、先にあの兵士たちを助けるために法術を使ったらしい。
何度も頭を下げる兵士に向かって、イザベラは鷹揚な仕草で「敬えよぉ? 死ぬまで敬えよぉ?」としきりに自分の功績を誇っている。
「……何やってるのよ、イザベラ」
去っていく兵士たちに手を振る妹に、イザベルは呆れ交じりに言った。
「ごめんね、でもイザベルだったら大丈夫だと思ったから」
「それは良いわよ。でも、イザベラが人助けをするなんて……」
指摘されたイザベラは、少し照れ臭そうに「えへへ」と笑い、鼻の下を指で擦った。
「いやぁ、案外悪くないもんじゃん? 正義の味方って」
「そういうガラじゃないでしょ、私たち」
「ガラじゃないことをするから楽しいんだよ」
妹の考えていることは手に取るように分かるし、うとましく思うようなこともほとんどない。双子として、生まれた時から今までずっと一緒にいるのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。
だが時々、自分と彼女とが全くの別人だと思い知らされることがある。
さっきまではユディトの前で一緒に「嫌々」言っていたが、今のイザベラは明らかに楽しんでいる。自分がどちらかと言えば慎重なのに対して、妹には抑えきれない刹那主義者の気があるのだ。
「……分かってるの? そんな呑気なことを言ってる場合じゃないのよ。早く逃げないと、私たちも」
「本当にそう思ってる?」
「え?」
イザベラからの予期しない問いかけに、イザベルは一瞬口ごもってしまった。先ほどまでのヘラヘラとした態度はどこへやら、妹はいつになく真剣な面持ちで姉を見返していた。
「イザベルだって本当は、正義の味方になりたいんじゃないの?」
「なれるわけないでしょ。私たちは元暗殺者なのよ」
「そんなのどうでも良いじゃん。あたしたちが成りたいって思ったら、それが全てなんだよ。元々何をやってたかなんて関係ないし」
「そんな勝手な……!」
妹の滅茶苦茶な言い分に呆れながらも、イザベルはどこかで否定しきれずにいた。あるいはしたくないと思ったのか、言葉に出してしまうのが怖かったのか。その辺りの感情の機微は、自分でも良く分からなかった。
「あたし知ってるよ。イザベルは、本当は……」
一瞬の後、イザベラは己の無警戒ぶりを罵ることになった。あろうことか二人揃って、戦場の真っただ中にいることを忘れかけてしまったのだから。
だが、果たして完全に集中していた状態でも、その攻撃を回避出来たかは怪しい。
イザベラの言葉が終わる直前、彼女の背後に黒い影が立ち上がった。注意の言葉も間に合わない。もし姉の表情を読み取ったイザベラが身体を捻っていなかったら、最初の一撃で即死していただろう。
影の振るった爪が、イザベラの背中を切り裂いた。
「イザベラ!!」
よろめいた妹の身体を咄嗟に抱き寄せる。左手に生暖かい血の感触が広がった。耳朶に直接、痛みによる呻き声と荒い吐息が伝わってくる。否応なしに浮かんだ死の想像を振り払いながら、イザベルは右手の曲刀を敵に向かって突きつけた。
だが、初めてその敵の姿を見た時、イザベラの負傷すら吹き飛ばすほどの驚きが彼女を殴りつけた。
その夜魔は、一見するとアルマロスに近似していた。だが特徴となる剣は手に持っておらず、右前腕そのものが鋭利な曲刀と化している。左腕は不自然に肥大化し、先端は盾状の広がりと、三本の鍵爪とを備えていた。
何より頭部が特徴的である。普通、不気味に光る赤い眼球がいくつも埋まっているのだが、その夜魔は面のような物を被っていた。どこか嗤っているようにも見える特徴的な仮面である。
そして二人とも、その仮面を嫌というほど目にした過去がある。
「
ウルクの地下を守護する無言の兵士たち。特殊な薬物を強制的に服薬させることで生み出される、無言無音の戦闘人形。彼らは大神官ベイベルの恐怖と支配を象徴する存在だった。
それが今、過去を捨てたはずの自分たちの前に再び現れたのだ。イザベルの困惑は無理からぬことであった。
(……所詮、過去からは逃げられないということ、か)
気が付くと、二人の周囲は不死隊の夜魔によって完全に包囲されていた。どうやら一斉に襲い掛かって確実に止めを刺したいらしい。
イザベルは強く妹の身体を抱き締めた。
四方から一斉に黒刃が迫る。
だが、それらが二人の身体に触れる寸前、金色に輝く刃が縦横無尽に踊り、その全てを斬り落としていた。
夜魔たちは一瞬驚いたような素振りを見せたが、それすらも長く続かず、一瞬のうちに灰へと変わっていた。イザベルもまた、何が起きたのか正確に把握するまでに少し時間を要したほどだ。
「無事か?」
ギデオンが立っていた。