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【第二一三節/エデン到達 下】

「何者かが潜んでいる。そう考えるべきです」


 エデンに着いて最初の会議は、オーディスの切り出した言葉によって始まった。


 ディルムンに隠されていた秘密を知っているのは、救征軍の中でも幹部級の者だけだ。継火手の真相を知ってしまった以上、彼らは他の難民たちのようにエデン到着を喜ぶことが出来なかった。


 もちろん明るい話題もある。エデンの環境が予想の何倍も良好であったことだ。最も心配しなければならなかった食糧事情に関しても、現在進行形で劇的に改善されている。


 しかしそれを差し引いても、やはりうかつに喜べないのが現状だ。燈台があるため夜魔には襲われないが、ディルムンの地下にいた二つ首のような連中が出てこないとも限らない。あるいは、それよりももっと恐ろしい何かが。


「せっかく着いたってのにねぇ……」


 ペトラのそんな一言が、まさに全員の意見を代弁していた。


 カナンは隠し切れない苦渋を、オーディスは不気味なほどの無表情を浮かべている。ペトラは頭を抱えて唸り、ゴドフロアとアブネルは揃って両腕を組み、ヒルデはおろおろと各人の顔を見渡すばかりだ。


「調査する以外にあるまい」


 葬式めいた空気を破ってアブネルが発案する。遠征当初から常に目立たない立ち居振る舞いを心掛けてきたつもりだが、最近はもっぱら会議を動かす役目を負うようになった。どうにも救征軍の上層部には理論派が多く、一歩踏み出すまでが長い。


 特に全員が唸り声を漏らしているような状況では、どんなに単純であろうとも提案して場を動かす必要がある。細かい修正は後からやってもらえば良い。


「ディルムンと同じ方法を採る。俺の部隊を中心に偵察隊を組織し、大燈台内部に踏み込む。兎にも角にも、そこから始めるしか無いだろう」


 妥当だね、とペトラも手を挙げる。


「あたしも賛成だよ。なんたってここは古代都市なんだ。あたしの知識が役に立つかもしれない」


 その時、ずっと黙ったままだったカナンが、ペトラに視線を向けた。



「……私も行かせてください」



 それはほとんど呟き声に近かった。各人が意味を呑み込む前に、ペトラは先んじて「ダメだよ」と返した。


「カナン。あんたは救征軍の頭なんだ。ディルムンの地下がどれほど危険だったか、聞いただろ?」


「分かっています。でも、救征軍で一番の戦力は私です。どんな事態が起きても対応出来る」


「……カナン?」


 ペトラは違和感を覚えた。明らかにカナンらしからぬ発言だ。よりにもよって「一番」などという言葉を使うとは。


 言葉の違和に気付かなかった者も口々にカナンをいさめる。当然だろう。何が待ち構えているか分からない場所に総司令官が出向くなど、下策の中の下策である。


「カナン様、難民たちの疲れは癒えておりません。今でこそエデン到着の喜びに沸き、恵みを享受していますが、万一カナン様の身に何事かがあれば一切が水泡に帰してしまいます。どうか……」


「……」


 ヒルデの説得に対しても、カナンはしばらく黙ったままだった。眉根を寄せて、顔の前で組んだ両指をじっと見つめている。だが、やがて「分かりました」と嘆息交じりに言った。


「少し心が急いていたようです。エデンに来られたから、舞い上がっているのかもしれません」


(どう見てもそんな様子じゃないでしょ)


 ペトラは胸中でそう思ったが、口には出さなかった。


「……ではアブネル卿、人選と準備をお願いします。ヒルデは私と共に情報の取りまとめを。ロタール卿は引き続き周辺警戒に当たってください。

 カナン様も、よろしいですね?」


 オーディスの言葉に、カナンは人形のようにこっくりと頷いた。




◇◇◇




「どうしたもんかなぁ……」


 居留地となった中央広場の噴水に腰かけ、ペトラは両脚をぷらぷらと揺らしていた。


 頭の中にあるのは、当然カナンのことである。ディルムンでの出来事が彼女の内面に大きな影を落としていることは明白だ。そして、未だにそれを消化しきれないでいる。


 自分をはじめとした全ての継火手たちが、人外の者の血を引いているということ。


 意図的に生み出された人造天使たちも、決して自由な存在ではなかったこと。


 ベイベルのことを「人間だ」と喝破したカナンなればこそ、この事実は心底堪えたことだろう。


 ペトラはカナンほどに知的な少女というものを見たことがない。だが、知性に対する信頼が厚い人間ほど、複雑な人格を構成し易くなるという傾向は知っている。知的であるということは、外部に対してだけでなく、自己の内部に対しても常に問いかけを発するからだ。


 乱暴な言い方をしてしまえば、知的な人間とは、自己も含めた世界に対して常に問いを発し続けずにはいられない人種のことだ。教育がその傾向を助長するのは確かだろうが、かと言って高等教育を受けた人間が必ずしも知的になるとは限らない。ただ単に知識を蓄えるだけならば、麦袋を倉庫に積み上げるのと何も変わらない。


 また、知的であることが人を幸せにするとも限らない。むしろ疑問は常に彼らの人格を揺るがし、極端になれば一瞬たりとも安寧を許さない。高名な宗教家や哲学者が、最後には発狂や自殺を選びがちなのは、彼ら自身が問いと返答の反復に耐え切れなくなるからだろう。


 それでも問いを発せずにいられないのは、その行為そのものがすでに彼らの人生の一部と化しているからだ。


 カナンは紛れも無く、そういう類の人間である。


(蒼炎の継火手、ねぇ)


 特別な継火手たちのなかにあって、さらに特別な天火を持って生まれたカナン。


 恐らく、自分の持つ天火が他者と異なることを意識した時から、彼女の問いが始まったのではないか?


 それは彼女自身も頻繁に口にしていることだ。自分は既存の煌都の中で生きられなかった人間だ、真っ白な羊の群れのなかにぽつんと生まれてしまった黒い羊だ、と。もし他の継火手と同じ天火を持っていたなら、彼女はエデンなど目指さなかったかもしれない。



 自分の居場所を得るための旅。それが彼女の根本的な動機だ。



 しかし、そもそも何故居場所を失ったかというと、それは彼女が否応なしに疑問を抱いてしまう人間だから。



 今でもカナンは、内心で「何故?」と繰り返しているのではないか?



(……連れてってあげた方が、良かったのかな?)


 エデンの大燈台を見上げながら、ペトラはそう思った。あの中に全ての答えが待っているかは分からない。そもそも答えてくれるような主体や情報があるかも分からない。


 会議でも言ったように、危険は重々承知している。しかし今になってペトラは、あの時の自分の言葉が正しかったのか分からなくなった。


(でも、確かめ事をするのは調査が終わってからでも良い……別に、急いで答えを見つける必要は無いんだ)


 人生経験を積んでいる分、ペトラは答えを待つという判断が出来た。


「うん、それが良い……!」


「ペトラ!!」


 独り合点した時、大声で名前を呼ばれた。イスラが走ってくるのが見えた。だがその表情は普段とまるで異なっており、焦燥感に満ちている。


 嫌な予感がした。


「何かあったのかい?」


 イスラは顔を赤くし、息を切らせていた。肌が白いだけに殊更目立って見える。何より、どれほど走り回っても涼しい顔をしている彼が肩で息をしていることに、事態の深刻さが見て取れた。



「カナンが居ない、見なかったか!?」



 ペトラもまた、自分の顔が瞬時に蒼褪めたのを自覚した。


「いや……まさか……」


 ペトラが見上げる先を、イスラもつられるように見やった。


 エデンの大燈台が、何事も無いかのように闇の中に聳え立っている。

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