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【第二一五節/天火 上】

 人間の本性は、その者の持つ最も強い望みと相似を成している。


 相似はあくまで相似であり、望みを知ったとてその者の全てを知ったことにはならない。


 しかしその者について把握しようとするならば、それを知ることが最短の道であることもまた事実である。中には強い望みなど持ち合わせない人間もいるし、あるいは望みの方向性が千々に乱れている者もいるが、それはそれで一つの傾向であろう。


 継火手カナンには、他者の追随を許さない強靭な願いがあった。



 真実や真理、理想……すなわち嘘の介在する余地のない純粋なるものへの望み。彼女の数々の言葉を突き詰めれば、そういったものとして要約出来るだろう。



 翻ってそれは、己自身、そして己を取り巻く世界への疑惑でもある。ここに嘘があり、彼処かしこに真実がある。ここに悪があり、彼処に善がある。なべて秘められているものは明らかにされねばならない。



 故に、少女は歴史の中を旅していた。



 目の前を様々な風景が、それぞれ泡沫となって押し寄せてくる。



 それら泡沫には、創世の歴史、発展の歴史、戦禍の歴史、爛熟の歴史……これまでカナンの教わってきた常識が映し出されていた。時や場所などまるで気にせず、無節操に飛び込んでくる。



 それはあたかも、写実的な絵画に動きをつけたかのような生々しい質感を伴っていた。どういう仕組みなのか、音や匂いすらも感じ取れる。幻想の泡をすり抜けるたびに、情報そのものとしか言いようのないものがカナンの脳内に直接送り込まれてきた。


 常人であれば、あまりの情報量に耐え切れず発狂していただろう。


 だが、カナンはそれら全てを受け流していた。何もかも嘘であると喝破しているからである。いくら耳元で嘘をがなり立てられようと、それらが最初から嘘と分かっていれば、呑み込まれず踏みとどまることが出来る。



(……私を見ている者がいる)



 激流のように押し寄せる幻影の中にありながら、カナンは確かに、誰かからの視線を強く感じ取っていた。


 生まれ育ちの故に、覗き見られることには慣れ切っていた。



(これを見ている私を見る……良いわ、それでも)



 胸の内から湧き出る激情が、彼女をいつになく強気にさせた。




「まやかすな! 私が知りたいのは、こんな紛い物の歴史ではない!」




 カナンの声は幻影の奔流を貫いて響き渡った。


 瞬間、浴びせかけるように押し流されていた泡沫が、まるで慣性という基本法則を忘れ去ったかのようにぴたりと空中で制止する。騒々しいほどに切り替わっていた光景は、差し替えるのを忘れてしまった紙芝居の如く、同じ絵図だけを映したまま動かない。


 これは一つの応答であるとカナンは解釈した。


 そして、再び闇の彼方に向けて呼びかける。




「我が名はカナン! 遥か昔に創り出された、継火手の血を引く者である!


 答えよ、汝らは継火手の創造主か!?」




 矢を射るような心持で放った言葉に対して、闇の奥から呟くような声が返ってきた。




『然り』




 老人を思わせる、痰交じりのしゃがれた声だった。


 カナンは自分の頬が熱く上気するのを感じた。だが、イスラといる時に覚えるような感覚とまるで異なっている。興奮には違いないが、喜びとは全く無縁の感情が根底にあった。


 カナンは再び言葉の矢をつがえた。




「真実を見せよ! 偽りの歴史ではない……全ての始まりに、何があったか!!」




 それを問うた瞬間、胸の内が軽くなると同時に、言い様の無い不安が隙間風のように滑り込むのを感じた。


 ずっと知りたかったことであると同時に、それを知ってしまったら自分の中の価値観が崩壊するのではないか……それはただの予見などではなく、確信に近かった。ディルムンでのシオンとの邂逅を経た今、ろくな答えが返ってくるとは到底思えない。


 しかし最早、それを知らずに生きていくことなど出来はしないのだ。


 返答は、言葉としては返ってこなかった。


 代わりに、凍り付いていた記憶の泡沫たちが次々と弾けるように分裂を始めた。分かたれた泡は別の泡と結びつき、それまでとは異なる幻想を浮かび上がらせる。そして先ほどと同じように、激流となって流れ始めた。


 だが、映し出されたものは全く異なったものとなっていた。

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