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【第二一九節/継火手カナンの叛逆 中】

 人型の生き物を殺したにも関わらず、カナンは大して痛痒を覚えなかった。あまりの異形故に同族と思えなかったこともあるが、何にも増して怒りが彼女の理性を鈍らせていた。


 それでいて、戦闘に関する合理的思考はどこまでも冴えわたっている。先ほどの一連の動作にしても、自分でも驚くほど鮮やかに実行出来た。


 身体から天火が抜け出たわけではない。依然として身体強化の効力は続いている。左手の剣で軽く右手の甲をなぞっても、傷跡は綺麗に修復された。


 再び頭の中で法術の文言を思い出そうとする。しかし、出来ない。言葉は形にならず霧散する。


(天火そのものへの干渉ではない……こうして考えることも出来る。阻害されてるのは、何?)


 残った三体の人造天使たちが魔法陣を展開させた。カナンを遠巻きに取り囲みながら、自ら踏み込もうとはしてこない。いずれも、あの鳥頭の天使と同じ末路を辿りたくはないのだろう。


 あのような造り物にさえ生命に対する執着がある。それを思うと、さすがに少々哀れになった。命を与えられながら、その本分を全う出来ず眠らされ、喜びも悲しみもなく戦わされるのはあまりに惨めであろう。


 だからといって、カナンは手を抜くつもりは無かった。


 最初に術を完成させたのは牛の首を持つ天使だった。足元に投射された魔法陣に反応して地面が湧き立ち、巨大なゴーレムとなってカナンの前に聳え立つ。


 しかしその術が完成するよりも先に、カナンはゴーレムの股下に滑り込んで突破していた。即座に跳ね起き、同時に剣を投擲して雄牛の天使の詠唱を妨害する。厚い頭骨にはかすり傷にしかならないが、背後で仕上がりつつあったゴーレムが音を立てて崩壊した。


 その土煙に押されるかのような勢いで、カナンは杖を振り上げ殴り掛かる。


 だが、その間に割り込んできた獅子頭の天使が、掲げた盾でカナンの殴打を防御した。


 さらに動きの止まった彼女目掛けて、人型の天使からの攻撃が降り注ぐ。空中に展開した水色の魔法陣から無数のひょうの弾丸が襲い掛かる。一粒あたり小石ほどの大きさがあり、勢いがついていることもあって、十二分に凶器足り得た。


 肩や手足を打たれながらも頭だけは防いで何とか効果範囲の外に出る。一旦距離を置こうとするが、唐突に地面から生えでた石の壁が、彼女の動きを阻害した。


 身体がぶつかると同時、獅子頭の天使が炎の弾丸を放つ。咄嗟に蒼炎を展開するが、術として組み上がっていないがために密度が薄い。僅かに敵の攻撃を受け止める時間稼ぎは出来たものの、呆気なく突破されてしまう。


 幸い、稼いだ時間を使って射線から転がり出ていたが、着弾時に発生した爆風で吹き飛ばされる。体勢を立て直した時には既に、三体の天使が術式を完成させる間際だった。


 炎の弾丸が、氷の槍が、間断なく降り注いでくる。カナンは走って逃げまわり、時には炎を纏わせた杖で敵の攻撃を逸らすが、油断するとすぐに進行方向を封鎖される。足元を泥に変えられ、危うく氷柱に貫かれそうにもなった。


 氷柱のかすめて行った左肩に、血が滲む。カナンが意識するまでもなく傷跡は修復されるが、さすがに真正面からもらえばただではすまない。


 そして、このまま逃げ回るだけでは、いつか必ず直撃を食らうだろう。


 走りながらも、カナンは思考を最大限に働かせて打開策を探る。それが全て筒抜けであろうと、無策では状況改善のしようも無い。


 もしイスラがいたならば、いくらでもやり様はあったかもしれない。完全版であるシオンですら、二人掛かりならばあっさりと退けられたのだ。ましてや出来損ないの人造天使如きに苦戦する道理など無い。二人で同時に突撃して、一体ずつ確実に仕留めていくことも出来ただろう。


 しかし、その選択肢を棄てたのはカナン自身だ。


 こんな自分を見られたくなかった。


 ただ怒りに身を任せて、力を振るう自分の姿を。


 今まで積み上げてきた言葉の数々を、自ら裏切っている姿を。


 その愚かさを自覚しながら、なおも戦う手を止められない有様を。


(来て欲しくない……)


 不在はすぐに知れ渡る。イスラが必死になって追いかけてくるのも簡単に想像出来る。


 だからこそ、彼がここにたどり着くまでに決着をつけたかった。


(そのためには)


 どうしても法術が必要だ。天使たちは、すでに遠距離攻撃に徹する方向で戦術を固めてしまっている。手元に杖以外の得物がない以上、確かに厄介な状態だった。


 その上、後ろには倒すべきエデンの樹が控えている。


 先ほど能天使の閃光エクシアス・ブレイズを防いだのは、察するに人型天使の使っている水魔法に類するものだろう。初めて目にする種類の術だが、トビアの風術やペトラの土魔法を既に見ているだけに、そこまで驚きは無い。そういうものがあってもおかしくはない。


 恐らくは熱を奪う魔術の応用といったところだろう。炎を扱う継火手からすれば、確かに厄介な代物だった。


 しかし撃ち抜けないことはない。それはすでに証明されているし、シオンがそうであったように、樹にせよ天使にせよ自分よりも強力な力は持ち合わせてはいない。


 もし自分やベイベルのような色違いの天火と同等の力を持っていたなら、彼らがこんな迂遠な計画を立てる必要など無いからだ。


(法術を……法術さえ撃てれば……!)


 だが、いくら頭の中で術式を組み立てようにも、一向に固まってくれない。


 複数の環を展開して敵を斬り刻む術、圧縮した天火を光線として放つ術、六枚の炎の翼を展開する術……絵として想像することは出来ても、どれ一つとして名前が浮かんでこない。詠唱の文句の一単語すら口に出せない。そのもどかしさが、なお一層カナンを苛立たせた。


 それでも、一つでも使える法術は無いかと記憶の中を攫い続ける。


「……っ!」


 意識が、思考に傾き過ぎていた。


 いつの間にか召喚されたゴーレムが、彼女の進行方向に腕を振り下ろした。


 石畳の床が弾け、飛礫が身体を叩く。動きが止まった所に、他の天使たちの術が殺到する。


 自分の法術は、一つとして組み上がってくれない。



私の・・、術では……!?)



 絶体絶命の危機に陥った時、カナンの思考は奇跡的なほどの冴えを見せる。


 と、言うよりも、絶体絶命の危機という体験の記憶そのものが、彼女に一つの閃きをもたらした。


 かつて自分を最も追い詰め、死すら覚悟させた相手。


 彼女・・は一体何をやっていたか?



『……העליונה שלך』



「麗しき者よ、汝が力を此処に! 天女の鞭イシュタルズ・ロッド!!」



 思考を読んだ樹が拘束呪文を唱える。しかしそれが完成するよりも先に、カナンは直感的に浮かんだ術を発動させていた。


 左手を蒼い炎が覆う。カナンが振り払うと、それはあたかも生き物のように宙を切り裂き、押し寄せていた敵の術をことごとく叩き落とした。


 正確には、かつてベイベルが使った術とは別のものである。いかんせん思考の順序そのものが異なるので、ベイベルが想像したものと、カナンが今この場で即興的に編み出した術とでは、細部に大きな隔たりがある。


 しかし一度その目で見たこと、文言や名前から連想される姿。そうした手掛かりを元に、カナンは反射的に一つの新しい法術を生み出したのだ。


 大事なのはまさにその一点である。ベイベルの法術は、彼女自身が考案したもの。エデンの樹の知らない術であるということ。


(いけるっ!)



「我は御前みまえに伏す者也! 巧みなる歌と踊りと共に、全焼のにえを差し出さん!」



『אם אתה לא זוכר אותי, הלשון שלך צריכה להיאחז בלסת……』



豊饒神の饗マルドゥックス・フェイ……!」



 次いで発動させた術は、しかし途中で妨害を受けたために不完全なものとなった。また、元々複雑な術であったためか、再現度もかなり低い。ベイベルが使った術とでは雲泥の差がある。


 しかし、そんな法術の水子のような技でも、一応は完成を見た。


 カナンの周囲に無数の火の玉が浮かぶ。よく見ると、火球の一つ一つは小さな妖精のような形態をとっている。何とか人型と分かる程度で、子供の描き殴った絵をそのまま形にしたような歪ぶりである。


 それで十分だった。



「行けっ!」



 歪な火の妖精たちが、一斉に敵に向かって飛翔する。狙うは牡牛の首を持つ天使。相手もそれを察したのか、自分の四方を岩の壁で塞いで防御する。


 しかし、けたたましい笑い声をあげる妖精たちは、自爆もいとわずに石壁へと突撃した。


 カナンの蒼炎は、威力だけならばベイベルさえも凌ぐ。牡牛の天使は自ら棺桶を作ったも同然だった。


 石壁の一点が穿たれ、妖精たちが我先にその中へ飛び込んでいく。連続して響く炸裂音に交じって、断末魔のようなものが聞こえたような気がした。石壁そのものは攻撃が止んだ後も健在だったが、中身が果たして蒸し焼きになったか丸焼きになったか、あるいは爆発四散したかは知らない方が幸せだろう。


 二人目の天使を葬った頃には、カナンも先に唱えた二つの法術を思い出せなくなっていた。ベイベルが使った他の術も同様である。再び手札が無くなった。


 だが、一つ分かったことがある。


 手札を封じられてしまったなら、山札から引けば良い。


 その山札が存在しないならば、今この場で作ってしまえば良いのだ。

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