状況は日増しに悪くなっていった。
減り続ける食料、増え続ける病人、それでいて先行きを知らせてくれるものは何一つ現れない。ひたすらエデンから遠ざかるばかりだが、その足取りは重く、歩けども歩けども希望が見いだせない。
かつて朗らかに振舞っていた者や、「こんな旅行は滅多に出来ないぜ!」と嘯いていた洒落者も、次第に威勢を失っていった。彼らの人相が徐々に骨ばったものへ変わっていったのは、何も食料不足のためだけではないだろう。
地図上では町があると書かれている場所にたどり着いても、瓦礫の山しか残っていなかったことも珍しくなくなった。そして人々は、落胆する一方で安堵したものだ。別の難民の群れと出会ったところで、お互いの不安感と焦燥感をぶつけあうだけで、少しも助け合うことが出来なかったから。
いつの間にか難民たちの代表の一人として担ぎ上げられていたフィロスは、逃げ出す機会を伺いつつ、結局身動きがとれずにいた。
知識があるということは、いくらか先々の予測が立てられるということだ。そして、眼前に並べられた様々な情報から、遅かれ早かれこの難民団が破滅するという絶望的な結論以外を導き出すことが出来なかった。
(孤児院は……)
そう考えることも、意識的にやめるようになっていた。
しかし、集団の破滅はもうしばらく先だとしても、自分とソフィアがかなり危険な状況に陥っていることは確かだ。
日々、咳をする者の数が増えている。発熱に伴う食欲低下や意欲低下等々から肺炎のようにも見えるが、難民団の大半は旅行に耐えられる年齢の者で占められている。十代半ばの、最も健康な少年少女が血痰を吐いていることから見ても、明らかに労咳の蔓延が進行している。
それだけでも厄介だが、他にも感染性の腸炎や性感染症の症例も舞い込んでいた。さもあらん、食料不足の低栄養状態のまま陸路を歩き、ろくに入浴も出来ていないのだ。着替えは手に入れるどころか食料と交換してしまったし、体温を保持するための燃料も満足に確保出来ていない。魔法の心得があったとて、市井の人間に使える術などたかが知れているし、そもそも魔力を行使するだけの体力も使い切っている。
それはフィロスにしても同じだ。擬神話術式で空になるまで使った魔力が、いまだに回復していない。正確には、回復しようにも使用を迫られてしまうのだ。
薬も無ければ物資も無い人々にとって、最早フィロスの魔法以外に病を癒してくれる希望は無かった。
そうして、真っすぐ歩くことも出来ない者や、咳の止まらない者が、次々とフィロスの服の袖に縋りついてくるのである。まるで救世主の聖衣に触れようとするかのように。
だが、フィロスは救世主などではない。本当に世界を救えていたならば、擬神話術式などと謳わないで済んだはずだ。彼や、ハザルの賢者たちの行為こそが神話となりそして神となっただろう。現実には、そうではない。
瀕死の病人たちと向かい合いながら、それ以上にフィロスは己自身の心と戦わなければならなかった。
無知な病人たちは、医師の目線から見れば到底愚かとしか言い様のない行動をとる。あまりに無自覚に行われる愚行を目の当たりにするたびに、背筋が冷たくなった。それでいて病を得ると無責任に縋りついてくる人々に対して、怒りを覚えずにはいられなかった。
一体何度、その手を振り払おうと思っただろうか。否、比喩などではなく、何度か実際に振り払ってしまったこともある。
しかしその度に、ソフィアが悲し気な表情を浮かべるところが目に浮かんでしまい、ひどい後悔に苛まれるのだ。
彼女に失望されるのは辛い。同時に、医師としての責務よりも、一個人からの感情を気にしてしまう小心さを自覚するのも辛い。
いつからか、患者たちから「ありがとう」と言われるたびに怒りを覚えるようになっていた。言葉はどこまでも言葉に過ぎない。その一言を口にすれば全てが免責されてしまうと錯覚しているのではないか……そう怒鳴りつけてやりたかった。そして怒りが過ぎ去ってから、隙間風のように虚しさが吹き込んでくるのだ。
自分はこんなにも弱い人間だったのか。こんなにも浅ましく、傲慢な人間だったのか。彼にとって、ただひたすら自分の未熟さを突きつけられる旅だった。ましてや、一回り年下のソフィアが、依然として人としての誇りを保っているのを見るたびに、惨めさはいや増していくようだった。
そして、そんなソフィアに対して妬みに似た感情を覚えていると気付いた時、死にたいと思う程の羞恥心を抱いた。フィロスは自分自身に対して、鬱の診断を下さざるを得なかった。
彼の遭遇した悲惨は、この時期にツァラハト全土を覆ったあらゆる不幸の中の、ほんの数種類に過ぎない。これら多くの絶望をまとめようと思ったなら、それだけで図書館の書架を全て埋めてしまえるだろう。
◇◇◇
ソフィアはまるで泥濘の中に佇む白鷺のようだった。あらゆる穢れの中にありながら、深く深く内省することによって、その精神は清らかさを保ち続けていた。
無論、服も髪も汚れていった。目元には疲れから来る隈がうっすらと浮かぶようになった。眠りも明らかに浅く、歩いている時にふと躓くことが多くなった。
それでも彼女は、まだ笑顔を浮かべることが出来た。他者に対して優しく振舞い、どこからか手に入れた紙片に数式や短い詩句を書き連ねた。
一体、彼女の包容力がどれほどの人の心を救っただろう? 一時的に身体を癒すフィロスの魔法よりも、彼女の言葉や祈りの方が、より深い意味で人を救っているようだった。難民たちはフィロスに身体の、ソフィアに精神の治療を求めて、より深く依存するようになっていった。どこからか噂を聞きつけた他の難民たちまでもが、二人を求めてやってくるようになった。
冷静に考えれば、まだ家にいる方が安全に過ごせただろう。だが、そんな人たちの流れが途切れることはなかった。
なぜなら人は、自分の命が暗闇の中にぽっかりと浮遊しているという事実に耐えられない生き物だからだ。寄り集まらなければ凍えてしまう生き物だからだ。
自分が死にかけていると自覚した時、どこか他所に命があるのが見えると、その側に身を寄せたくなるのだ。その命の欠片が、少しでも自分に零れてくれることを期待して。
現にフィロスは、自分の心と命を削って他者に渡しているように思えるのだった。憎み、怒り、その度に落ち込んで深く傷ついて、時には酒に手を伸ばすようになった。幸い、あの堕落した皇帝のようになり切れるほどの酒量はどこにも無かった。
目覚めるたびに、身体に毛布が掛けられていることに気付いて、その優しさが傷ついた心に一際大きな痛みをもたらした。
だが、ツァラハトを覆った夜は、全ての人間の上に様々な形で試練をもたらした。
フィロスにとってのそれは主に精神的な試練だった。
しかしソフィアは、ある日咳と共に吐き出した血によって、己の身が宿した試練を悟らされたのだった。