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【第二二九節/火産霊進撃 下】

 大量の犠牲者を出し、自らも重傷を負いながら、ラエドは何とかパルミラ全軍を大燈台前に集結させることに成功した。司令部も神殿前に移し、各部隊の損害報告を収集していた。


 しかし、もたらされる情報は全て絶望的なものばかりだ。指揮系統はズタズタに寸断され、辛うじてラエド個人の声に従っているような状況である。そもそも、老将軍一人の指令で事足りる程度に数が減ってしまっている。今まで策を講じ続けてくれた参謀長も既にいない。


(撤退か……あるいは徹底抗戦か)


 継火手からの手当てを受けている間もラエドは己に問いかけ続けていた。皮膚に直接張り付いた鎧を引き剥がされた時も、大して痛みを感じなかったほどだ。


 どちらの道も悲惨である。常識的に考えれば少しでも戦力を残して再起を図るのが妥当だ。そのための撤退は決して恥などではない。


 しかし、このパルミラは無二の防衛拠点である。一度陥落すれば奪還は不可能だろうし、この街の城壁で防げなかった敵を他の街で凌ぎ切れるとは思えない。


 何よりこの状況下で撤退を選択したところで、その過程でどれほどの犠牲が出るか分からない。陥落の可能性を考慮して脱出用の船や筏は用意させていたが、それに全員が乗り込むことは出来ないだろう。一部の兵士は陸路から出て行かなければならないし、船に乗った者たちも敵に追い付かれる可能性がある。火産霊イフリートの砲撃は無論脅威だが、その熱波の影響圏を脱してしまうと、むしろティアマトのような飛行型の夜魔の方が恐ろしい。安全圏まで出る頃には、半数に減った戦力が、さらに半数以下になっているだろう。


 ならば戦うか。


 冗談ではない。城壁があっても火産霊を止められなかったのだ。補給線も防衛兵器も何もかも破壊され、大燈台は最早丸裸だ。


 せめて何か一つ。何か一つ、火産霊に通じると思われる攻撃手段があれば、反撃も撤退もやりやすくなる。現在、パルミラ市街地は炎の悪魔が暴れまわっているせいで半ば空白地帯と化している。あれさえ何とか出来れば、夜魔共が踏み込んでくるまでの間に脱出なり防衛線の構築なり試み得るだろう。


(しかし、そんな手段などどこにも……!)


 ラエドは片手を頭に当てた。周りでは参謀や兵士たちが戦いたいと懇願している。あるいはその声に応じてやるべきかもしれない。どの選択肢を採ったところで結果は大して変わらないのだ。


 それならば、大勢の人間が最も望む形を叶えてやるべきか……。



「将軍! ラエド将軍!!」



 決断という欲望に囚われかけていたラエドに、その声は殊更鮮烈に響いてきた。


 一人の継火手が駆けてくるのが見えた。何故であろうか、彼女の姿は他の者たちに比べてくっきりと浮かび上がっているかのようだった。



 あたかも、舞台上の主役に光が向けられるかのように。



 継火手マスィルは士官たちを押しのけてラエドの前に進み出た。


「君は……」


「第三区画担当の継火手、マスィルと申します。将軍、どうか私の策をお聞き入れ下さい」


 肩で息を切らしながらも、マスィルは一息に言い切った。名乗るまでもなく、居合わせた多くの者が彼女のことを知っていた。何かと話題に事欠かない継火手である。カナンを除けば、パルミラで最も知られている継火手と言えるだろう。


 とはいえ、彼女は継火手の一人に過ぎない。不躾な申し出に顔を顰める者も中にはいた。


 それはマスィル自身も分かっていることだ。軍の協力が得られるならそれに越したことは無いが、聞き入れられないならたとえ自分一人でも決行する覚悟だ。今からやろうとしていることは、それほどの無茶なのである。


「……この状況を打破する方法がある、と?」


「あの怪物を撃破します」


 マスィルはちらりと背後を振り返った。その視線の先には、パルミラ市街を蹂躙する火産霊の姿がある。


 誰も何も言わなかった。ある意味驚きもしたが、中には露骨に呆れ顔を浮かべている者もいた。それが出来ればとうの昔にやっている。


 だが、ラエドだけは動揺しなかった。マスィルの覚悟を試すかのように、火傷で覆われた顔で真正面から視線を合わせる。彼女はその厳しい眼差しを受けても、全く揺るがなかった。


「具体的には」


 老将軍が進言を許可したことも衝撃的だったが、マスィルが語った内容は輪をかけて驚愕された。


「出来るのかね、君に」


「やってみせます」


 直に話す機会はさほど無かったが、このさっぱりとしたやり取りだけで、ラエドはマスィルのことが好きになっていた。彼女は「ただし」だとか「かもしれない」といったまどろっこしい言葉をつけ足さない。無論、不安が無いわけではないかもしれない。しかし自分の発言と行動に絶対の責任感を持つからこそ、誤魔化すことなく真っ直ぐに「やる」と言ってのけるのだ。



「良いだろう。君の提案に賭けてみよう」



 一同の困惑など構わずに、マスィルは「ありがとうございます!」と頭を下げた。


 しかしラエドとしても、何をするべきかという方向性が定まったのは有難いことだった。どの道、どんな選択をしても過酷なのである。その点、マスィルの提案は実に派手で景気が良かった。敵に圧倒されている今だからこそ、大技をぶつけて流れを取り戻せれば面白い。


「問題は、どうやって奴の注意を逸らすかだが」


 あらかた焼くものを焼き払い、火産霊は最後の標的……大燈台へと狙いを定めつつある。あるいは燈台が破壊されている間に準備を整えるべきか。ラエドは部隊の配置を変更させようとした。


 だが、ここでラエドやマスィルの想定を超える出来事が起こった。


 真っ直ぐ大燈台に向かおうとしていた火産霊が、進路を変更させ、ティベリス川の下流に正面を向けたのだ。そして、その水面めがけて光線を乱射する。爆発と同時に何本もの水柱が立ち上がり、巻き上げられた水滴は燈台の光に照らされ、街の上に虹を描き出した。


 その虹の下をくぐって現れた、ネフィリムともアフタブートとも異なる黒い巨人が、手に持った槍を火産霊に向けて突き出した。

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