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【第二三三節/世界で最も美しい継火手 中】

「なんてこと! なんてこと!」


 ユディトは地団太を踏みたい思いだった。衆目が無ければ実際にそうしていたかもしれない。


 何しろ、気を利かせたつもりで言い放った撤退命令に従った者が、誰一人としていなかったからだ。


 貧民街の大通りを進むユディトの後ろには今も、ぞろぞろと生き残ったエルシャ兵が付き従っている。


 こうならないためにタマルに指揮権を委譲したわけだが、それが良くなかった。


 タマルは言った。全軍は基本的には・・・・・エルシャから脱出するようにと。そしてその後にこう付け加えた。



「……自らの良心と希望に従って行動してください」



 事実上の指揮放棄だ。これでは任せた意味が無いと思った。


「なんて浅薄なことを」


 右隣を歩くタマルにそうぼやいてみたものの、彼女は苦笑するばかりだった。そしてユディトもまた、そんな顔をされるのも仕方が無いな、と認めるしかなかった。元々、何もかも放り出そうとしたのは自分なのだから。


 身軽になれば、そのままギデオンの元に向かうつもりだった。たどり着けるか、そもそもギデオンが生きているか分からない。ただ、それが自分の意思に対し最も正直な行動であるのは間違いなかった。


 問題は、そんな自滅覚悟の行動に皆を巻き込んでしまうことだ。だから信頼出来る者に引き継いだつもりだったが、とんだ裏切りだった。


「むしろ、あれで皆が言うことを聞くと思う方が甘いですよ」


 左に控えたイザベルにまでそう言われては、ユディトとしても立つ瀬が無かった。


「……皆、本当に良いのですか?」


 振り返り、視界に入る一人一人の顔を見やりながら、ユディトは尋ねた。最初に比べたらずいぶん面子も減ってしまったし、生き残った連中でも無傷な者の方が少ないだろう。タマルと共に駆け付けてくれた継火手たちは外傷こそ無いものの、髪は乱れ顔は汚れ、とても乙女の出で立ちとは言えない姿になっている。守火手を失ってしまった者や、その逆もいた。


 誰もが痛々しさを感じさせる出で立ちながら、不思議と悲壮感を引きずっている者は皆無だった。


 むしろ、ユディトに付き従っている現状に対して、どこか満足感のような空気すら漂わせている。彼女にはそれが不思議でならなかった。


「これは私戦です。私一人が死ぬならともかく、貴方たちまで付き合う必要は無いのですよ?」


「ええ、承知していますよ、ユディト様」


 イザベルはやれやれと肩を竦めた。それから、ふと小首をかしげて「ユディト」と呼び直した。一瞬、聞き間違いかと思ったが、そうではなかった。イザベルは明確に彼女を呼び捨てにしていた。




「これがお姫様のための戦いなら、私もイザベラも尻尾を巻いて逃げています。


 居丈高で、ふんぞり返っていて、自分では危ないところに出て来たりしない癖にあれこれ命令ばかりして、汚れ仕事には手を貸さない。


 自分の大切なものだけが価値を持っていて、他の人にも同じものがあるってことを想像も出来ない。


 誰かが自分のために犠牲になるのは当たり前なのに、自分が誰かのために犠牲になることなんて考えもしない。


 自分だけが輿こしの上にいて、皆が泥の中で藻掻いていても、担いでもらうのが当然と信じて感謝もしない。


 そんな人を、誰が助けたいって思います?」




 ユディトが思わず身を引いてしまうほどの早口でまくし立ててから、イザベルは主人の胸をツンと突いた。そうして後ずさったユディトの両肩を、タマルが後ろから優しく叩いた。




「でも貴女は違う。貴女は私たちのために自らの望みを棄てようとした。だから私たちは、それを拾って差し上げようと思ったんです」




 タマルの手から伝わってくる感触には、一切の嘘が無かった。そこにはユディトに対する全幅の信頼が宿っており、だからこそユディトも彼女の言葉を信じる気になった。



「……私には、貴方たち皆に助けてもらうだけの価値があるのですか?」



 イザベルとタマル、そしてその後にいる人間たち全てに向かってユディトは問い掛けた。


 言葉にして肯定した者は少なかったが、態度は皆同じだった。負傷者やその手当をしている人間以外、誰も踵を返そうとしない。


御利益ごりやくがありそうですから」


 曲刀を握った手で、イザベルは頭を掻いた。



「世界が終わろうって時です。私たちも……私も、どうせなら一度くらい、善玉として戦ってみたいんです。


 恋する女の子を想い人のところに届けるなんて、いかにも美談じゃありませんか。


 それに、自棄を起こしたってわけじゃないですよ。こういうことをした方が、何か上手くいくような……そんな気がするんです」



 買い被りだな、とユディトは苦笑した。自分はそんな大それた人間ではない。誰かから御本尊のように奉られるのは、何とも言えずむず痒かった。


「失敗するかもしれないわよ。私のすることは、全部無駄になるかもしれない」


「そうはなりませんよ。貴女はいつも強引でしぶとくて、易々と折れたりしない。私たちを叩きのめした時だってそうでしたから」


「……それって、褒めてくれているの?」


けなしてますよ。貶せるような貴女だから、力を貸そうって気になったんです」


 ユディトは相好を崩した。



「では、甘えさせてもらいます」



 そして、濁流のように蠢く黒い川を睨んだ。

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