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【第二四〇節/黎明の聖戦 二】

 戦局は一気に動いた。無論、悪い方向へと。


 初めて見た時はさすがに驚愕したが、イスラもカナンも、今やこの程度で馬脚を乱すほど軟弱ではない。どちらも強者だったことに違いはないが、一度は乗り越えた相手だ。対処の仕様はある、と思った。


 現にイスラは、その二人の動きそのものは見切ることが出来たのだ。カナンへと向けられる執拗な連撃を、身をもって防ぎ続けた。


 だが、数合剣を重ねることで、イスラは現状の厄介さに気付かざるを得なくなった。


 読めないのである。


 より正確には、実際に剣が振るわれるその瞬間までどちらの・・・・攻撃が飛んでくるか分からないのだ。


 ギデオンの神速の踏み込み、それ自体は反応出来る。サウルの変則的な機動も目で追える。だが、上段からの斬り下ろしが直前で下段蹴りに化け、柄での連続殴打がいきなり正統派の横薙ぎに派生するなど、敵の手数は縦横無尽を極めた。事前に手の内を読むのは到底不可能に思える。


 しかも、それらの攻撃には全てベイベルの黒い天火が付与されている。恐らくはオーディスの肉体的素養では再現できない動きも、天火による強化で強引に成立させているのだろう。


 つまり、危険度は二人に比べて遜色ないどころか、部分的には上回ってすらいるのだ。カナンの援護が無ければ、すでに継戦能力を削ぎ落されていただろう。


(不甲斐ない……っ!)


 守るはずのカナンに助けられている有様はあまりに情けない。彼女がイスラを援護せざるを得ない現状は、攻撃に回すべき天火を無駄撃ちさせられているようなものである。


 客観的に見れば、イスラはむしろ良く持ちこたえていると言えたであろう。後衛に徹しているカナンは、イスラの焦れを感じつつも、素直に彼の働きぶりを評価していた。そして仮にこの前衛後衛の陣形が崩されれば、そこから一気に敗北へと転落するであろうことも理解していた。自分にはイスラほどの反射神経も、戦闘に向ける直観力も備わっていない。良くて四合、五合が限界だ。


(だからその分、考えるのよ……!)


 自分たちの持っている手札と、敵の持っている手札。


 自分たちの目指すべき勝利条件と、敵の目指したい勝利条件。


 イスラへの援護を絶やさず、カナンはそれらについて思考を巡らせる。


 自分たちの保有戦力は限られている。残り四枚になってしまった熾天使の羽衣ラファエルズ・ローブと、イスラの振るう明星ルシフェルこそが要だ。


 対して敵の保有戦力は未知数である。確実なのは、自分たちよりも圧倒的に選択肢が多いということ。ギデオンやサウルの技術に加えて、ベイベルの黒い天火。元々エデンの賢者たちが習得していた魔法も加えれば膨大な攻撃手段が存在する。


 しかも、手元にはオレイカルコスの剣である月桂樹アウレア・ラウルスが握られている。こちらの天火は決定打とならないだろう。かと言って、刀創も自己回復によって防がれてしまう。一度は吹き飛ばした腕さえ再現されたのだ。


(でも、私の天火は依然脅威として機能してる)


 それは、敵の戦い方を見ればおのずと分かることだった。彼らはあくまで自分の首を刎ねることに拘っている。もし自分の蒼炎が脅威になり得ないなら、こうまで執拗に突破を狙う必要は無いだろう。


(そもそも、こういう展開になっていること自体おかしい)


 援護射撃を送って両者の間を引き離しつつ、カナンはある違和感を形にしようと試みていた。


 自分が初めてエデンの樹と対面した時、彼らは直接自分の思考を読み取る術を持っていた。だが、今の彼らがそうしている素振りは見受けられない。


 もし彼らが思考を読めるとするなら……いや、戦術論の基礎中の基礎を紐解けば、自ずと分かるはずだ。すなわちイスラとカナンを仕留めるための確実かつ最良の方法が。




「……どうやら、黒炎を手懐けるのに苦労しているようですね?」




 オーディスの濁った眼が、一瞬自分の方に向けられたのを感じた。「今です!」「言われなくても!」イスラの突進は、だが空を切る結果となった。オーディスの腕から伸びたつたのような物が、彼の身体を明星の間合いの外へと引っ張り上げた。


梟の爪それまで真似っこかよ」


 さすがに、イスラは呆れ交じりの呟きを禁じえなかった。



「でも、一つはっきりしました。何故ベイベルの黒い天火を持ちながら、それに頼った戦い方をしないのか。私たちの思考を読む力があるのに、それを使わないのか。


 恐らく、そのどちらを実行するにも、今の彼らの状態では処理能力が足りないからではありませんか?」



 オーディスは何も言わない。自らの不利を言明する必要など無いだろう。


「どうやら図星のようですね」


 してみると、エデンの燈台の中で暴れ回ったのもあながち無為ではなかったのかもしれない。そもそも彼らは、自分たちの元にベイベル以外の誰かがたどり着く可能性をほとんど排除していた。だが怒りに我を忘れたカナンと戦闘になり、本来ベイベルのために使うはずだったいくつもの機能を喪失させられた。


 今現在の彼らは、絶好調とは程遠い状態にあるのではないか。



「……だとしても、貴様らは我々には勝てない」



 月桂樹アウレア・ラウルスの纏う禍々しい黒炎が、その火勢を一層強めた。先ほどよりも明らかに力が強まっている。


 彼らの処理能力が低下しているのは紛れもない事実だ。だが、今こうしている間も、彼らは着実にベイベルの黒炎を制御下に置きつつある。それが一定の閾値を超えてしまえば、最早打つ手は無い。


(だから、どうすれば勝てるかを確かめないと!)


 オーディスが仕掛ける……その気配を感じ取ったカナンは「イスラ」と彼の名前を呼び、それからあえて一歩前に出た。


 彼女のその仕草から、オーディスの攻撃が開始されるまで、一秒も無かっただろう。だが、彼女が背中を見せた一瞬に送られてきた暗号を、イスラは見逃さなかった。


「……!?」


 だが、カナンが立てた戦術を即座に実行することは出来なかった。


 敵の攻勢の激しさは、まさに段違いと言う他に無いものだった。


 剣の一振りと同時に、黒い炎の津波が押し寄せる。カナンは両翼の天火を防壁として展開するが、炎と炎とが衝突して視界を奪われた一瞬のうちに、凶刃はもうすぐそこにまで迫って来ていた。「っ!」カナンとしては、防壁を即座に解除するしかない。敵はオレイカルコスの剣を握っているのだ。切り札である天火を吸い取られてしまったら、その時点で勝ち目が無くなる。


「させるかッ!」


 横から飛び込んできたイスラが、肩で彼女を間合いから押し出した。首筋を狙った刺突が、彼の左肩を抉った。その程度の手傷は勘定に入れてある。明星ルシフェルで月桂樹を打ち払い、次いで混血児ヒュブリスを振るってオーディスをカナンから引き離す。


(……と来ると、次は!)


 本体の後退に連動し、下段から打ち上げるように放たれた鞭にも、イスラは対応して見せた。明星で斬り払い、さらに前進しようとするが、その眼前にまたしても炎の壁が姿を現す。


「チィ!」


「大丈夫、撃ち抜きます!」


 イスラは即座にその場から飛びのいた。同時に、彼の立っていた空間を貫いて、一筋の光が黒い波を突き抜ける。


 そしてその光は、あらかじめ射線上に構えられていた月桂樹によって吸い取られ、飛ぶ斬撃に変化して撃ち返された。カナンは飛び退るが、爆発の衝撃に身体を浮かされ、爆散した鳥籠の組織をもろに浴びる羽目になった。


 全身に自分のものではない血潮を纏いながら、カナンは可能な限り素早く反撃姿勢を取る。敵はすぐに来る。姿は見えずとも、この空間に満ち満ちた敵意が凝縮して、一本の槍となり己の身体を貫かんとするのが、分かるのだ。


(……でも、この直線的な殺気は……)


 それは、完全に感覚的な領域の話である。


 イスラが持っているような危機察知能力とは異なり、カナンは感じ取った事物の裏側を洞察しようとする。それは、物事を読むことに長けた人間だけが持ちうる、一種の癖のようなものだ。


(私が想像する通りなら、この一手はきっと通用する)


 爆炎を纏って現れたハザルの攻撃は、上段からの斬り下ろし……そう見せかけた、鞭での殴打。だがカナンは対応出来た。彼らが自分に対してぶつけるならば、当然サウルの方の技術だろう。


 顔面を狙った一撃を左手で受け止める。焼くような痛みが奔ったが、無視した。


 だが初撃を凌ぎこそしたものの、続く連続斬りにまでは対応しきれなかった。サウルそのもののような変幻自在の剣線の前では、いかに彼女が杖術に優れていようと防ぎきれない。そもそもすでに剣の間合いだ。カナンは、全身の肉を少しずつ削がれる恐怖に耐えなければならなかった。


「死にぞこないが!」


 月桂樹と短刀とが、それぞれカナンの杖と細剣とを払いのけた。「ッ!」剣を握ったままの拳がカナンの頬を打つ。体勢が大きく崩れる。その胸に目掛けて月桂樹が刺し通そうとした瞬間、ハザルは驚愕させられた。


 カナンが両手の武器を捨て、自由になった両腕でオーディスの右腕を……月桂樹を握った腕を抑え込んだからだ。彼女にしてみれば、元より全て織り込み済みである。


「チッ!」


 捨て身のカナンに対して、左手に握った短剣を振り下ろそうとする。だが、ハザルはこの時になってようやく、イスラが姿を消していたことに気付いた。


 梟のヤンシュフが短剣に絡みつき、器用に手中から捥ぎ取っていった。


 オーディスの短剣を回収しながら、イスラは先ほどカナンが提示した作戦を思い返した。一歩前に進み出た彼女は、左手に細剣を握ったまま親指と人差し指を立てて、そしてくるりと回転させたのだ。



 すなわち、前衛と後衛の交代。



 守るべき自分カナンを前に立て、守る役目のイスラを後方に下がらせる。



 ハザルが第一の脅威としてるのは、カナンの保持する蒼炎に他ならない。なればこそ、抹殺する機会があればそれに拘るのは必然と言えるだろう。


 無論、すこぶる危険な賭けには違いない。だがいつまでもイスラが前衛でカナンが後衛のままでは、千日手に陥ってしまう。時間が敵の味方である以上、多少強引ではあっても戦局を動かさなければならない。


 何より、この策はここで終わりではないのだ。


「イスラ、やって!!」


「避けろよ!?」


 イスラは明星に梟の爪ヤンシュフを接続し、オーディス目掛けて全力で投擲した。すでに刀身の中には、隠れていた間に天火を流し込んでいる。今や明星は、飛翔する不死鳥のように煌々と輝いている。こんな法術がある、と言われれば、何も知らない人々は信じてしまうかもしれない。


 直撃の寸前、カナンはパッと両腕を離した。「!?」オーディスの顔に困惑を浮かばせながら、ハザルは何とか月桂樹で飛刀を斬り上げる。


 だが、胴ががら空きになった。彼らが宿主を守るべく剣を下ろすより、カナンが連射した閃光が殺到する方が早かった。


 黒炎の幕が蒼炎を妨げるが、そんなものお構いなしにカナンは、翼一つ分の天火を弾丸に変えて撃ち続けた。その苛烈さと破壊力は、ツァラハトにおけるどのような兵器も到底比較にならない。黒炎によって威力を減衰させられようが、一瞬こじ開けた穴に次弾が飛び込んでは本体の肉体を消し飛ばしていく。


 あわよくば再生不可能なところまで削り切るつもりだった。だが、月桂樹による防御が成功し始めると、カナンは攻撃を停止せざるを得なくなった。これ以上は逆効果だ。何とかしてあの武器を制圧する必要があり、現に一瞬の間抑え込むことが出来たものの、もう二度と通用しないだろう。


 だが、イスラもカナンも、今の一連の攻撃の中で一つ明確な手応えを感じていた。


 防御のための黒炎が重点的に充てられていた箇所。月桂樹の刀身が守っていた箇所。



 オーディスの右肩。



「そこか……!」


 相手の回復を待たずして、イスラは再び前衛に立ち、そして斬り込んだ。

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