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【第二四〇節/黎明の聖戦 三】

 イスラは一気呵成に攻め立てた。


 カナンの天火の力を借りて、元々強靭な脚力を一層強化し、獲物を襲撃する猛獣のように息もつかせぬ連撃を繰り返す。


 身体の修復が万全ではないハザルは、そんなイスラの攻撃を辛うじて凌ぎながら、逃げ回ることしか出来ない。


 ともすればイスラの猛攻は猪突とさえ言えただろう。現にカナンは何度か制止すべきかと考えた。彼の間合いの詰め方はあまりに過激で、横から援護射撃を加えることすら出来ない。下手に手出しすれば誤射しかねない。それほどの超接近戦である。


 斬り払いと同時に後退することで、ハザルはイスラから距離をとろうとする。カナンはそこを狙い目と定めて天火を撃ち込もうとするが、両者が次の一手を打つ前にすでにイスラは行動している。何度いなされようと執拗に食らいつき、決して逃がそうとしない。


 イスラが攻勢に出てから三十秒程度だろうか。彼は常に動き続けている。駆けずりまわり、飛び跳ねまわり、一瞬も身体を休めようとしない。半身を覆う天火は、あたかも吹きすさぶ風の中に置かれているかのように幻想的に舞い踊った。同じオレイカルコスで作れらた剣同士が幾度も交わり、甲高い音が鳥籠の内部を満たす。しかしその音の迫力も、今は明らかに一方的だった。


「凄い……」


 思わずカナンは感嘆の声を漏らしていた。鬼気迫る、とはこういうのを表するのかと思った。しかも本物の修羅というのは、冷酷なまでの美しさも備えるのだな、とも思った。


 自分の与えた天火を纏わせているのだが、カナンは、その蒼い炎が真実イスラ自身と一体化していると認めざるを得なかった。


 世界を北へ北へとひたすら進んでいくと、そこには氷に閉ざされた大地が広がっているという。その天空には時折、極光と呼ばれる光の垂れ幕が幾重にも織り上げられるとか。カナン自身は想像でしかそれを思い描いたことは無いが、今のイスラは、まさしく極光を纏っているかのようだった。


 恐ろしく吞気な感想かもしれないが、カナンはこのような光景を自分一人しか見ていないことが勿体なく思えた。世界一の名優の芝居を、たった一人で見ているかのような贅沢さだ。


 しかし攻め立てられる側はたまらない。イスラの執拗さと勢いは、ハザルに戦術を切り換える余裕さえ与えなかった。


「何故! 何故だ……ッ!?」


「……!?」


 何故と言われても、イスラのやることは変わらない。ただひたすらに剣を振り続ける。守りの構えをとる月桂樹を何度となく叩きのめし、崩した箇所から少しずつ傷を負わせていく。



「何故、世界に対してこころざしを立ててもいないような貴様が、これほどの力を!」



 旧世界の破滅と絶望を味わったハザルたちにとって、一介の闇渡りがこれほどまでに自分たちに食らいついてくることは、いっそ不気味ですらあった。



「何が貴様をそうまで駆り立てる!?」



 明星と月桂樹の刃が交わり、干渉し合う天火が周囲に舞い散った。ハザルの語気と共に強まっていく荷重に対抗して、イスラも全身に力を漲らせる。



「駆り立てるって、そりゃあ……そんなの……!」



 手首を返して月桂樹を滑らせ、円を描くようにして鍔迫り合いを解く。ハザルは斬り返しを警戒したようだが、飛んできたのはイスラの頭突きだった。今しがた見せた見事な受け流しとは打って変わって、あまりに武骨で粗野な攻撃だった。



「生きていたいからに決まってるだろッ!!」



 肉体を洗脳していようと、頭部に加わった衝撃は誤魔化せない。イスラもまた、敵に取り繕う暇を与えるつもりは無かった。


 咄嗟に展開された黒炎の壁を斬り開きながら、その奥に退こうとするハザルに喰らいつく。



「世界を救うとか変えるとか、啓蒙するとか! そんな大層なお題目が無かったら、戦っちゃ駄目だってのかよ!


 違うだろッ!?」



 顔面を狙った蹴りを紙一重で躱し、うねりを上げて振るわれた回転斬りを屈んで避ける。剣の軌跡と共に放たれた熱波を、明星から放射した天火で吹き飛ばす。



「大袈裟なんだよあんたらは! 世界なんて、手を伸ばせばすぐそこにあるものだろうが!


 今、生きているここが……生きるってことが、それが、世界と関わるってこと、そのものだろ!?」



「何が言いたいッ!!」



「分かんねえ!」



「ならば嘴を挟むな!!」



 オーディスの左腕が翡翠色の光に包まれた。見覚えのある光、と思った時には既に術は発動していた。


 なまじ激しく動き回っていたがために、イスラの身体は一瞬、完全に硬直した。地上にいながら溺れるという感覚はそう体験出来るものではない。戦士として十分練達の域に達したイスラでも、これには戸惑わざるを得なかった。


 だが、今は一対一で戦っているのではない。イスラの連撃を見ていることしか出来なかったカナンが、ここぞとばかりに踏み込み、両者の間に割って入った。


 さっきのお返しとばかりにイスラを押しのけ、杖で牽制を掛ける。


 カナンが矢面に立つ間、魔法の発動した領域から何とか転がり出た彼は、血溜まりに手をつきながら呼吸を整えた。


 彼女自身分かっていたことだが、旗色はすぐに悪くなった。イスラが一方的に攻め立てていたため弱くも見えたが、ギデオンとサウルの技術は、確実にハザルの手に馴染みつつある。最早カナンの技術だけでは手に負えない域に達していた。


 それでも何とか戦線を支え続けられたのは、彼女の意地に他ならない。こめかみを短剣の切っ先がかすめ、月桂樹の刃が左前腕を裂き、黒い天火が皮膚を炙ろうとも、カナンは怯まなかった。



 イスラを馬鹿にされたまま、引っ込みたくはなかった。



「分かってる……上手く言葉に出来なくても、私には分かる。分かるよ、イスラ……!」



 剣を受け流すが、蹴りまでは対応出来なかった。一番下の肋骨に嫌な軋みと痛みを覚えた。


 それでも、油汗を浮かべながら、カナンは反撃の方法を探る。


 長剣である月桂樹は、刀身の長さに比例して柄も長く作られている。まともに斬り結ぶと簡単に武器を壊されてしまう以上、カナンにはそこ以外に狙い目が無かった。


「ええいっ」


 杖の柄を月桂樹の柄に当て、継火手の膂力でもって一気に敵を突き飛ばす。同時にカナンは片膝をついた。


「任せろっ!」


「けほっ……そうします……」


 再びイスラの連撃が始まった。


 ハザルとて身体の回復はとうに済ませている。しかし、今のイスラの動きは確実に、彼らの対応出来る範疇を上回っていた。


 彼が腕を上げ続けてきたのは、無論理由の一つであろう。


 ギデオンとサウルの技術が、所詮は借り物に過ぎないこともまた事実であろう。


 だがそれ以上に、イスラの並外れた戦意の高さが、技術の差を補っていた。しかしそれを認めるということは、意思の力によって長い時を生きてきたと自負しているハザルたちにとって屈辱だった。


 先ほどの意味の良く分からない問答も含めて、いよいよ彼らはイスラを不気味に思いつつあった。


 人造天使であり、支配者階級の一人であるカナンがこの場にいることは理解出来る。


 だが、この闇渡りは一体どこから湧いて出てきたのか?


 押してこそいるものの、イスラにとって楽な戦いではないはずだ。周囲には常に黒い天火が舞い踊り、相対する敵からはかつて戦った強敵の技が飛んでくる。その緊張は決して軽いものではない。ましてや、そうした精神的負担を抱えながら、肉体をとことん酷使するほどの全力機動を続ければ、いずれ必ず限界が来る。


(分からない! 何故、使命も宿命も持たないこの男が、我々に対峙出来る!?)


 イスラの気迫は、確かにハザルを追い詰めつつあった。


 だが現実として、イスラもカナンも決定打を見いだせずにいる。


 敵は、流石に弱点を重点的に守っていた。それ以外の箇所を斬られても、彼らからすれば大した痛手にはならない。むしろ、常識では考えられないような守り方で急所を庇ってくる。それが厄介だった。


 しかし逆説的に言えば、急所以外の守りが疎かになっているということだ。


「そこッ!」


 右手の明星で、オーディスの右肩を突く……と見せかけて、逆手に持ち替えた混血児を真上に斬り上げる。オーディスの左手首が断たれ、握っていた短剣もろとも地面に落ちる。


「己ッ!」


 イスラは即座に本命の一太刀を浴びせようとしていたが、ハザルの単純な前蹴りにかえって虚を突かれた。少し間合いが開く。イスラは再度飛び込もうとするが、カナンは「待って!」と制止をかけた。


 地面に魔法陣が描かれ、攻城塔のような形状のゴーレムが成形される。その表面には、さらに小さな魔法陣がいくつも仕込まれていた。


 カナンにとっては見覚えのある攻撃だった。案の定、攻城塔の魔法陣が光を発し、そこから黒炎と氷柱とが乱射される。


 だが、イスラはカナンの「待て」を無視していた。着弾点にすでに彼の姿は無い。障害物が聳え立った時点で、その懐へと飛び込んでいる。



「邪魔だッ!!」



 明星の刀身に螺旋状に天火を巡らせる。カナンから付与された、ほぼ全量だ。だが、この勢いは勝利に繋がるとイスラは確信していた。両脚に力を込めて飛ぶが如く加速し、突進の勢いに乗せて攻城塔に突き立てる。直後、金色の剣から放射された天火が障害物を爆砕し、砕けた瓦礫は散弾となって、火焔と一体化して対面のハザルを襲った。


 濛々と立ち込める煙の中に、イスラはよろめきながら立ち上がった敵の姿を認める。瓦礫が大腿や腹に突き立っていた。裂傷や火傷も多い。それら全てが回復する前に決着をつけると心に決め、攻城塔を破壊した勢いもそのままに、後退していたハザル目掛けて再度突撃を敢行する。


 事実、ハザルの防御は遅れていた。飛礫が右手を砕き、月桂樹を取り落とさせていた。損傷部を回復させ、剣の柄を手に取るために屈んだ時にはすでに、イスラの明星は眼前へと迫っていた。



「これで……!」



 全てが終わった、と誰もが思った。ハザルでさえ例外ではない。無論、イスラもカナンも、これが決め手になったと感じていた。


 だが、振り下ろされた明星はオーディスの右肩を捉え……そして、断ち斬れなかった。


「っ!?」


 骨を砕いたような感触はあったが、明星ならば簡単に切断出来たはずだ。イスラは誰よりも明星の切れ味を知っている。天火を使い切ったとしても、金色の刃だけで十分必殺の威力があったはずだ。


 そして気付いた。オーディスの肩に埋まった明星の刃が、鋸のように凹凸だらけになっていたことに。


 何ということはない。あまりに初歩的な失敗だ。これまで明星と同格の武器が存在しなかったため、自然と意識の外に抜け落ちていたが、月桂樹は同じオレイカルコスを材質とした剣である。


 刃毀れだった。



(っ、馬鹿か俺は!?)



 状況が状況でなければ頭を抱えていたはずだ。


 しかし今はそれどころではない。たとえ切れ味が落ちていようと、刃物は刃物だ。左手には混血児もある。それで追撃を加えようとした。



 だが、振り上げられたイスラの左腕が、オーディスのものではない腕によって掴まれた。



 正確には、その腕はオーディスの背中より伸びていた。しかし、明らかにまともな人間の腕ではない。枯れ木をり合わせたかのように筋張った様は、老人の腕を思わせる。しかし前腕が極端に長く、その力は万力のように強い。


 何より、表面にはいくつもの眼球らしきものが、不可思議な紋様と共に嵌め込まれていた。


 それが、イスラの腕を捉えたものの正体だった。


 引き離そうとするが、爪が手首に食い込んでいる。多少肉を削ぎ取られるのを覚悟で引き抜こうとするが、それよりも先に彼の踵は宙に浮かんでいた。


 手首が不自然な方向に捻じれ、混血児が零れ落ちる。同時に、同じ個所に装備してある梟の爪ヤンシュフの射出機構が音を立てて破壊された。「このっ……!」明らかに不味い状況だ。何度か蹴りつけるものの、オーディスの身体は根が生えたかのように微動だにしない。


 嫌な予感は、即座に現実のものとなった。


 左腕がさらに捻り上げられる。肩の関節が外れた瞬間はまだ我慢が出来た。だが力任せに振り回され、何度となく地面に叩きつけられ、その過程で腕の骨を徹底的に破壊された際には、いかにイスラであっても苦悶の声を漏らさずにはいられなかった。



「イスラ!!」



 カナンは声を上げることしか出来なかった。今撃てばイスラも巻き込んでしまう。


 襤褸雑巾のように振り回された挙句、イスラは身体ごと放り投げられた。力なく宙に浮いた彼を抱きとめるが、左腕の有様は思わずカナンが目をそむけるほどの惨状だった。




「許されるはずが無い……貴様のような、ありふれた愚民風情が、我々の祈りと福音を否定するなどと……」




 その声は、明らかにオーディスの口を介して出たものではなかった。


 彼の背中から伸びた三本目の腕。確かにそこから聞こえたように思えた。そこに刻まれた紋様が強い光を発し、鳥籠の中央に生えた炎の樹から次々と天火を吸い上げていく。




「じきに……もうじき全てが成就するのだ。


 我々の、


 私の、僕の、余の、あたしの、わたくしの、俺の、俺の、ぼくの、私の、わたしの、儂の、僕の、俺の、わたくしの、


 余の、俺の、吾輩の、あたしの、わたくしの、わたしの、あたしの、俺の、俺の、わたしの、あたしの、ぼくの、わたくしの、俺の、儂の、


 わたしの、俺の、おれの、僕の、儂の、ぼくの、僕の、俺の、吾輩の、小官の、わたくしの、あたしの、僕の、僕の、俺の、余の、俺の、僕の、わたくしの、俺の、おれの、余の、私の、


 俺の、俺の、私の、わたくしの、あたしの、わたしの、僕の、俺の、私の、儂の、わたしの、わたくしの、あたしの、俺の、ぼくの、あたしの、俺の、儂の、余の、わたくしの、わたしの、


 吾輩の、俺の、僕の、わたくしの、あたしの、僕の、余の、ぼくの、俺の、僕の、わたしの、僕の、俺の、俺の、俺の、俺の、僕の、ぼくの、おれの、わたくしの、余の、おれの、俺の、


 わたくしの、余の、ぼくの、小生の、わたしの、僕の、私の、俺の、儂の、わたくしの、僕の、余の、余の、吾輩の、吾輩の、あたしの、わたくしの、


 あたしの、僕の、わたしの、わたくしの、あたしの、僕の、僕の、おれの、俺の、儂の、余の、俺の、吾輩の、俺の、僕の、わたくしの、あたしの、


 僕の、ぼくの、余の、俺の、わたくしの、わたしの、あたしの、わたしの、俺の、わたしの、わたくしの、余の、俺の、僕の、わたくしの、俺の、


 私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の、私の…………。


 私の…………」

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