シルフィがリーファとの再会を果たした後、死の山のアジトへ戻って赤ん坊の俺をあやしていた。
アスタロトは帰ってきたシルフィに「さっきは出ていけなんて言ってすまなかった」と素直に謝っていた。だが、シルフィの頭の中は喧嘩の事よりリーファとの約束で一杯になっていたらしく「あ、うん、こっちこそごめんね」と薄い反応を返してしまってアスタロトは困惑している。
「も、もしかしてまだ怒っているのかシルフィ? だとしたら僕はどうすれば……」
「ちょっと考え事をしていただけだから気にしないで。それじゃあ部屋に戻るね」
そそくさと部屋に戻ろうとするシルフィ。アスタロトの表情は相当な落ち込みようだったが、シルフィは気づいていたのだろうか?
シルフィが部屋に戻ってから1時間ほど経った頃、アスタロトはシルフィのご機嫌を取る為か、部屋の扉をノックして1つ提案を持ち掛ける。
「な、なぁシルフィ。君にちょっとしたプレゼントをしたいんだが、ちょっと時間をもらえるか?」
珍しくオドオドとした低姿勢のアスタロトが扉を開けて部屋へと入ると、シルフィはいつもと変わらぬ笑顔で迎える。
「どうしたのアスタロト? プレゼントなんて珍しいね、何をくれるの?」
「物をあげる訳じゃないんだ。シルフィには次に生成されるガラルドとザキールの弟に名前を付けてもらおうと思ってな。結果的に色々あって死の山の子供は3人……3兄弟になる訳だろ? ガラルドは僕が、ザキールはクローズが命名したから末っ子は君に命名してもらおうと思ったんだ」
「ガラルドちゃんに弟が2人かぁ……なんだか家族感が増してきたね。生み出す動機は不純だけどガラルドちゃんに弟が増えるのは正直嬉しいよ。何て名前を付けようかなぁ~。少し考えさせてね」
シルフィは5分ほど考えこむと突然手を叩いて閃き顔を見せ、考えついた名前を答える。
「決めた! 末っ子ちゃんの名前はフィルにするよ。命名したのは私だから勿論、ガラルドちゃんの時みたいに私の細胞を合成の霧で入れてもいいよね?」
もう記憶の水晶に驚かされるのは何度目の事だろうか。まさかシルフィの口からローブマン改めフィルの名前が出てくるとは。俺の兄弟はどうやらザキールだけではなかったようだ。
思えば死の山でザキールと対峙した時に奴はフィルについて気になる事を言っていた。
1つは『俺がフィルと同じ2種の魔力を纏っていること』そして、もう1つが『フィルがコロシアムで全てを語らなかったのは今の時点で全てを話すとガラルドが困惑するからだろう』という言葉だ。
ザキールはあの時点でフィルと知り合いであることを匂わせていた。まさか俺もフィルもシルフィの細胞を取り込んだことによって緋瞳の戦士団の力を発現させる事になるとは。過去の出会いや言動が1つ1つ繋がっていくのを感じる。
シルフィが尋ねるとアスタロトは笑顔で首を縦に振り、命名理由を深掘りする。
「ああ、勿論大丈夫だ。むしろガラルドより頑丈で細胞の許容量も多いから拒絶反応も起きにくいし、一層強くなる可能性もあるだろうな。ところで君が『フィル』と命名した理由を聞いてもいいか?」
「……私が大事にしている2つのものから部分的に文字を取ったの。1つは両親から貰った大切な贈り物である私自身の名前シルフィ。そして、もう1つは……言わずに心の中にしまっておくよ」
シルフィはもう1つが何かを語らずに言葉を止めた。だけど、俺には何となくもう1つの正体が分かる。きっとそれはディザールという名前だ。フィルという名前の内『フィ』の部分をシルフィから取り『ル』の部分をディザールから取ったのだろう。
モンストル大陸では両親の名から部分的に取り合って名付ける事がよくある。シルフィも似たような事がしたかったのかもしれない。
ディザールがどんどん闇に堕ちていき、アスタロトと名を変えても彼女にとってはずっと大好きな、あの頃のディザールのままなのだ。
アスタロトがこの時点でシルフィにどんな気持ちを抱いているのかは分からない。だが、表情を見る限り少なくとも自身の名から引用された事は勘づいているようだ。
アスタロトはシルフィの言葉に「そうか、クローズに伝えてくるよ」とだけ呟き、部屋から出て行った。
※
それからはいつもと変わらない日常が流れていった。アスタロトとクローズは研究を進め、シルフィは隙を見ては書物の情報を記憶の水晶へ入れる為に熱心に読書を続けている。
リーファと会う約束の日まで少しでも警戒を解く為なのか、シルフィは度々クローズとアスタロトにお願いしてカンタービレ以外の町へ遊びに行っていた。
アスタロトが大陸北の町へシルフィを運ぶ際はアスタロトも人間状態になり、普通に2人で観光を楽しんでいるようだった。その時のシルフィはアジトでの非現実的な生活を忘れて本当に楽しそうに過ごしていた。
アスタロトが研究や復讐を忘れてくれれば、ずっとシルフィと2人で仲良く普通の暮らしをする事が出来るのになぁ……と切ない気持ちになりながら俺は記憶の水晶を眺め続けていた。
そして、月日は流れ、遂にシルフィが赤ん坊の俺を連れてリーファと合流する日が訪れた。