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第319話 ごめんね







 シリウスがカンタービレのアジトから赤ん坊を抱えて脱出したのを確認したシルフィは部屋の中で展開していた魔砂マジックサンドの壁を解除した。


 視界を遮っていた砂が消えると床に倒れて息絶えたリーファの姿がシルフィの視界に映りこむ。共に命を懸けてシリウスを逃がすと約束していたものの、親友の遺体を自分の眼で見るのはあまりに辛すぎる……。シルフィは血が出そうな程に唇を噛みしめている。


 一方、クローズはシリウスに逃げられたにも関わらず冷静に状況を確認していた。倒れているリーファを見つめたクローズは余裕の笑みを浮かべながら拍手と共に3人を称えはじめる。


「いやはや、流石は強固な絆を持つ五英雄と言うべきかな。迅速にシリウスを逃がしたね。だけど、こちらにとっては好都合だよ。3人の中で1番逃亡に適したスキルを持つリーファがガラルドなんかの為に命を捨ててくれたのだからね。これで後はシリウスを追いかけて殺すだけだ」


「シリウスには絶対追いつかせませんよ。それがガラルドちゃんの為に命を差し出してくれたリーファちゃんへの恩返しだから!」


「シルフィさん、抵抗するのは止めておいた方がいい。シルフィさんがさっき展開していた砂の壁では30秒も時間を稼げないだろう。ハッキリ言って無駄なだけだ。それと私に攻撃するのも止めた方がいい。私はアスタロトの親友であるシルフィさんと戦いたくもないし、傷つけたくもない」


「言われなくても、もう魔砂マジックサンドは使わないし攻撃だってしません。私がやる事はただ1つ、貴方がシリウスを追いかけられないようにするだけッ! 禁忌魔術……ナイトメア・メイズ!」


 シルフィは力強い声で聞いたことのない魔術名を叫ぶと杖を床へと打ちつけた。すると杖が触れた辺りから淡い虹色の光と漆黒の煙が交互に溢れ出し、記憶の水晶を見ている俺達ですら平衡感覚が分からなくなる不思議な空間を作り出した。


 クローズは堪らず膝を着き、手の触感で何とか場所を把握している。頑張って立ち上がろとするが、まるで酩酊状態のように手足を震わせていて目の焦点が全く合っておらず、到底立ち上がれそうにはなかった。


 それでも声を出す事は可能だったらしく、クローズは身震いさせながら上擦った声でシルフィに問いかける。


「こ、これは禁忌魔術と言っていたからスキルではないんだね? お、恐ろしい魔術だ、上下左右どころか自分の手足がちゃんと地面に触れているのか確信できない。これが、シルフィさんの『とっておきの策』だったわけだ……」


「はい、光魔術を長年の修行で突き詰め、更に死の山のアジトにあった文献で知識を得てから自分なりに改良を加えて完成させた究極の幻影魔術です。自分の本から盗まれた技術で足止めされる気分はどうですか?」


「ふふふ、挑発的な事を言ったところで私がシルフィさんに怒りを向けることはないよ。私はアスタロトの次にシルフィさんを気に入っているからね。今まで受けた事のない魔術を受けるのだって好奇心を刺激されていいものだ。それよりもこれだけ強い空間魔術を展開しているんだ、シルフィさんもそこから動けないんじゃないかな?」


「お察しの通り、私は微動だに出来ないし一切攻撃も放てません。それにナイトメア・メイズには強すぎる誓約もある。だけど、貴方を止められればそれだけで充分……ガハッ!」


 シルフィは話の途中でいきなり大量の血を口から吐き出した。どう見ても無事でいられる技じゃない……。禁忌魔術と叫んでいたこともあって俺は六心献華ろくしんけんかの危険性を思い出していた。


 シリウスがシルフィに『その策は自分を犠牲にするものではないだろうな?』と問いかけた際、彼女から否定の言葉が返ってこなかった。この技は自分の命を対価に発動する技なのだろう。


 今すぐ発動を止めてくれと願う俺の気持ちとは裏腹にシルフィは血を吐き続けながらナイトメア・メイズを続けている。目も見えず、方向も触覚も分からなくなっているクローズでもまだ嗅覚は生きているようで、少しずつ強まってくる血の匂いに技の本質を悟る。


「この血の匂い……もしかして、この技は自分の命を投げ出して発動するものじゃ……止めるんだ、シルフィさん! 私は……ディザールが大切にしている君を死なせたくないッッ!」


「止めたら貴方はクローズに追いついて殺しちゃうでしょ? それにナイトメア・メイズは1度発動したらもう死ぬしかないんです……。だから、クローズさんにはシリウスが逃げ切るまで、ここにいてもらう!」


 声が割れるほどに叫ぶクローズを初めて見たかもしれない。そんなクローズの願いをかき消すようにナイトメア・メイズの空間展開は続き、シリウスが逃げ切るには充分過ぎる時間を稼ぎきった。


「こ、ここまですれば……もう、大丈夫……だよね?」


 シルフィは杖を握る力すら失い、床へと倒れ込む。体へのダメージもさることながら魔量の枯渇は更に酷く、魔量が無くなった時特有の五感の低下で目から光を感じなくなっているようだ。


 そんな魔量の枯渇したシルフィの体から何故か泡の様な小さな魔力がちょっとずつ飛び出していき、真っすぐ北の方へと飛んでいった。シルフィは擦れた弱弱しい声で最後の言葉を呟く。


「こ、この魔力が記憶の……水晶に届けば……私とリーファちゃんの……最期が……シリウスに伝わる……はず。ごめんね、ガラルドちゃん……私じゃ……お母さんの代わりには……なれなかったよ。貴方だけは絶対に……幸せに……なってね」


 シルフィが少しずつ小さくなる声で赤ん坊の俺へメッセージを伝えてくれた。記憶の水晶が映している過去がシルフィの意識に比例して、まるでゆっくり瞼を閉じるように不鮮明な映像になっていく。


 シルフィの命が消える以上、俺達が見る過去の映像はここまでなのだろう。暗くなっていく視界の中、最後にクローズの呟きが僅かに響く。



「そうか、何千年も生きてきて麻痺していたけど、これが友を失う感覚か……。私にとってシルフィさんも大事な友となってい――――」







 ここで記憶の水晶の再生は完全に停止する。


 あまりにも辛い過去に何度も目を背けたくなったが最後まで見る事が出来た。ゼロもサーシャもグラッジも大粒の涙を流し、何も言えなくなっている。


 長い時間、映像を見続けた事で五英雄達に深く感情移入する結果となった。同時に大陸の未来の為に戦っていた者同士、違う時代を生きる仲間のようにも思えた。



 以前ウンディーネさんと接触したアスタロトは『人類殲滅と大陸の調律が目的』と言っていた。だが、少なくとも記憶の水晶が映し出した記録だと、アスタロトは悪人とグラドしか殺そうとしていないはずだ。


 シルフィが亡くなって以降、より一層人類に嫌気が差し、人類全てを殺してしまいたいと思ったのだろうか? 悲しい想像ばかりが頭を巡る。


 過去を知らなかった者が全員涙を流している中、リーファとしての人生を振り返ったリリスは涙を流さず、険しくも凛々しい顔つきで立っていた。きっと彼女がこの中で1番未来を見つめているのだろう。


 シリウスは記憶の水晶を棚にしまって咳払いをすると、ポケットから小さな記憶の水晶を取り出して説明を始める。


「みんな、長く苦しい過去を見てくれて本当にありがとう。これで我々が戦うべき真の敵、そして敵の本質が見えてきたはずだ。それではシルフィが最期に残したもう1つ記憶の水晶を見て欲しい、いや、聞いて欲しい。これには遺言が録音されている」







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