その日は、山形の秋にしては燦々と日差しが照り付ける夏日だった。
木々が秋色に色づき始めた蔵王のスキー場は、この三日間、全国から訪れたロックファンであふれかえる。
ゲレンデの麓に設えられた大小さまざまなステージでは、これまた全国から集まった音楽家たちが思い思いのロックを奏で。観客は各所のキッチンカーで販売されているドリンクや、地元グルメが販売されるフードコートの品を手に熱狂の渦を巻き起こす。
――竜岩祭。
――またの名をドラゴンロックフェス。
この三日間、蔵王の山はジャパンロックシーンを体現する聖地になるのだ。
「おー、やってんなあ」
バスを乗り継いで会場にたどり着いたペナルティボックスの面々は、遠巻きに響き渡る音楽を耳にしながら、ここ数ヶ月でずいぶん遠くなったように感じる青空を見上げた。
開催中日である二日目の今日は、おそらく一番人が集まるだろう。前日からテント泊や旅館泊をしている旅行者に加えて、夜間ステージ目当てに地元の客も多くやって来る。
付随するワークショップなどのイベントも、たいてい今日に集中している。
「こんなお祭りがあったんだね。山形で生まれ育ったはずなのに、知らなかったな」
「知る人ぞ知るイベントではあるかな。私たちくらいの年代だったら特に」
「わたしも、初めてです……渋谷のライブよりも人が多くて、くらくらします」
早くも祭りの陽気に当てられたのか、きゃいきゃい浮かれたような声をあげるメンバーの隣で、涼夏は風避けのスカジャンを羽織ってキャップを深めにかぶる。
建前として、彼女は今日ここに居ないことになっている。
誰かにそう吹聴したわけではないが、もしも知り合いに尋ねられたらそう答えようとバンド内で決めていた。何せ、ゲリラでステージジャックをやるのだ。その切り札である涼夏の存在を、関係各位に知られるわけにはいかない。
「それじゃあ、私は市民ステージの参加申請に行ってくるよ」
千春が、事前にプリントアウトした参加用紙を手に、ゲレンデのロッジに設置された運営本部を見やる。
「あ、私も行こうか? 先輩、いるかもしれないし。挨拶しないと」
「ならむしろ、蓮美ちゃんは来ない方が良いよ。勘ぐられたら面倒だしね」
「私が一緒に行きましょう。流石に、千春さんひとりに任せるのは気が引けるもの」
「ありがとう、栗花落さん。じゃあみんなはまたあとで」
爽やかな笑みで手を振って、千春は栗花落を連れて本部の方へ歩き去る。
ふたりの背中を蓮美はどぎまぎしながら見送った。
「本当に大丈夫かな……千春ちゃんが心配って言うんじゃなくて、ちゃんと申請が通るかなって」
「余計なこと言わなきゃ大丈夫だろ。ウチの
涼夏は、心の底から興味無さそうに吐き捨てる。気持ちを新たにできたのは良いが、実家へ直訴に行った日からこっち、家族との関係はすっかり冷え切ってしまったようだった。
今日まで涼夏は一切家に帰るそぶりを見せず、居候状態を続けている。大学もとっくに後期日程が始まっているが、講義に必要なものは全て研究棟にあるロッカーにぶちこんでいるようで身軽なものだった。
「あー!!」
みんなが千春の健闘を祈っているところに、突然背後から素っ頓狂な声が上がる。
驚いて振り返ると、いつか見た覚えがある小さな影が、大きなギターケースを背負って涼夏たちのことを指さしていた。
「根無涼夏! ここで会ったが百年m――もごもごっ!」
「てめっ! 騒ぐなっ!」
声をあげたのは、イクイノクスのベースであるダリアだ。
突然名前を呼ばれた涼夏は、彼女のところへ全速力で駆け寄ると、羽交い絞めにして無理矢理その口を押える。
「何してんの、あんた」
「あらー、ダリアちゃん遊んでもらってるのー?」
遅れて向日葵と、もうひとり例の長身のドラマーである菜々が姿を現す。
イクイノクスの面々は、パックでどこかの旅館に泊まっていたらしく、彼女たちが歩いてきた向こうの通りに、走り去る送迎用ミニバスの姿があった。
「もご! もががっ!」
「黙れっての! 叫ばねーなら話してやる!」
「もががー!」
「あいたっ! コイツ噛みやがった!?」
涼夏が飛び上がって離れる。
自由になったダリアは、猫が敵を警戒するみたいに、フーフー荒い息を立てて涼夏のことを睨んでいた。
「そんな強く噛んでないだろ! ベーシストの命より大事な指だぞ!」
「雰囲気的に殺意が籠ってたんだよ」
「それは確かに込めた――あいたっ!」
満足げに頷くダリアだったが、背後に追いついた向日葵がその頭を軽く小突く。
以前、スタジオに現れた時と同じキャップにスカジャン姿の彼女は、奇しくも涼夏と色違い双子コーデのようにも見える。
「騒いじゃ迷惑なのはその通りだから、大人しくなさい。アンタが暴れるのはステージの上、でしょ?」
「うー……でも向日葵さん、動画で喧嘩売って来た相手っすよ?」
「だからこそ、ステージの上で実力を見せつけてやればいいのよ」
向日葵は、落ち着いた様子で言い切るとすまし顔で涼夏を一瞥した。
憎まれ口のひとつでも叩かれると覚悟していた蓮美は、肩透かしを食らった一方で、どこか相手の空気というか、立ち姿が変わったような気配を感じる。
(なんだろ……単なる自信とも違う、オーラみたいなのが)
あえて例えるなら、全国大会の出場常連校が纏っているような〝格の違い〟を感じる風貌。
もしもそれがメジャーバンドとしての矜持というやつなら、自分たちは紛れもなく挑戦者なのだと、嫌でも
「ちゃんと来てて安心したわ。怖気づいて出演取りやめるんじゃないかって心配してたから」
「言ってろ。ほえ面かかせてやる」
「じゃ、ステージで」
「おう」
短い啖呵を切り合って、向日葵はすたすたと本部のほうへ歩いていく。正式なステージ出演者である彼女たちには、ロッジに待機用の個室が用意されているので、そこへ向かったのだ。
後に続いて、ダリアがガンを飛ばしながら歩き去る。
最後に菜々がその後ろを行くが、ふと涼夏の目の前で足を止める。
「……なんだよ?」
でかい。
千春と同等かそれ以上の長身に、骨格的にもガッシリした菜々の体つきは、道を選べば霊長類最強にもなれたのではないかと思わせる空気を纏っている。
そんな彼女がのんびりした顔でヤンキースタイルの涼夏をまじまじと見下ろせば、傍から見れば一触即発のストリートファイト目前だ。
「うん、なるほどねー」
「何がだよ」
「大丈夫。私に任せてねー」
「だから――」
言い切るより前に、菜々は柔らかく手を振りながらロッジへ向かってしまった。
残された涼夏は梯子を外された様子で、歯がゆそうに奥歯をカチカチ鳴らす。
「あいつのバンドは、あんなんばっかかよ」
「わ、悪い人じゃないと思うんだけどな。ちょっと個性的なだけで」
「ヤツの好みが透けて見えるわ」
一行が消えていったロッジの入り口をジト目で一瞥して、涼夏はステージのあるゲレンデの方へと歩き出す。
「ちょっと、千春ちゃんたち待たないの?」
「連絡取りゃすぐに合流できんだろ。それよか今は、会場視察のが優先だ」
涼夏は、その辺で配っていた会場マップつきリーフレットを広げて遠くゲレンデを見渡す。
竜岩祭のステージは、メインステージの「ドラゴン」を含めて五ステージ。そこに飛び入り参加の市民ステージを加えた、計六つのゾーンが存在する。
各ステージはスキー場の各所に点在していて、行き来しようとしたら軽いトレッキングコースを歩かなければならないほどの距離がある場合もある。
本部ロッジから向こうに見えるのは、件のメインステージである「ドラゴン」だ。舞台そのものの大きさもさることながら、フリースタンド式の原っぱである客席は、集客の許容量も桁違いだ。
向日葵たちイクイノクスは、今夜あそこで演奏する。
今は準備中で、スタッフがあくせくしながら音響設備を整えているところだが、目をつぶればあそこに立つ向日葵たちと、それに熱狂する観客の姿が容易に想像できた。
「さーて、それじゃああたしらのステージを拝みに行くかね」
「あ、待って! 緋音さんもいこ!」
「は、はい……!」
ひとりで先に行く涼夏を、蓮美と緋音が慌てて追いかけた。
フェスの空気を存分に楽しめるのは、まだ先の話のようだ。