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第73話 乾杯コール

 ペナルティボックスがゲリラ出演をもくろむ「ふれあい市民ステージ」は、ドラゴンステージからロッジを挟んで反対側。ちょうどロッジ前広場に組まれた商工会が運営するグルメゾーンの傍に設置されていた。

 ステージに参加するのも大半は地元バンドや高校大学の軽音部、個人ののど自慢なので、この一角だけ地元感漂う「ふれあい」ムードである。


「わっ、思ったよりしっかりしたステージだ」


 組まれたセットを見て、蓮美が驚きの声をあげた。


「なんていうか、それこそ商店街のお祭りのステージみたいなの想像してたかも」

「そうですね……大きさも、渋谷のライブハウスとあまり変わらないくらいで」

「ライブハウスに比べると、青空の下で演奏するって言うのが新鮮だね」

「出番の時には日は暮れてるだろうけどな」


 ステージにはしっかりスポットライトも吊り下げられている。

 スピーカーもそれなりに大きなものがステージの正面と両サイドに積み上げられていて、音響設備も十分に思える。

 秋になって日が短くなり始めているが、これなら問題無さそうだ。


「フードコートの傍ってのは、なかなかの好条件だな」

「人が集まりそうだもんね」

「それもあるが、フードコートに来てるってこたぁ、その時点でのどのステージにも興味ねーどフリーの客ってことだ」

「あ、そっか。目的のバンドがない浮動票みたいなものなんだ」

「うまくかっさらうことができれば、ウチのファンにできる」


 そう言って不敵に笑う涼夏だったが、すぐに真顔に戻って、その後不満げに顔をしかめる。


「しかし、流石にキャパはちっちぇな……満員同士の勝負になったら単純にキャパ差で負けるぞ」


 広いゲレンデに設置されて、その気になれば数千人が押し掛けることができるであろうメインステージに対して、広場に設置されたステージはせいぜい数百名で席がなくなる。

 流石に、あちらが満席になるということはないだろうが、頭打ちが見えている状態でメインステージに喧嘩を売るのは、流石に不利に思えた。


「こいつも、何か手を打たねーとな」


 現場を見てみなければ分からないこともある。

 夕方の出演予定時間までまだまだ時間のある日中にわざわざ現場入りしたのは、このためと言ってもいい。


「やっぱり、ステージを見に来てたのね」

「みんなお待たせ。無事に仮バンドの出演申請ができたよ」


 そう時間を置かず、千春と栗花落が涼夏たちのもとに合流する。

 申請が済んだという話を聞いて、蓮美はほっと胸を撫でおろした。


「先輩はどうだった?」

「うーん、なんか察してたように見えたけど、そのうえで喜んで通してくれたよ」

「うわ……あとでお礼言わなくっちゃね」


 蓮美たちの先輩は、市民ステージの運営スタッフをしている。とにかく参加者を集めることを第一にしていると考えると、多少のトラブルはあっても蓮美たちを参加させた方が良いと判断したのだろう。

 救われた気分になる一方、問題を起こす前提で申し訳ない気持ちも募る。


「見ての通り、ドラゴンステージとタイマン張るには、キャパが心もとねぇ感じだ。何かしら手を打たねーと、太刀打ちできねぇな」

「それは難題だね。うーん……考えが無いわけではないけど」


 千春がぽつりとつぶやくと、涼夏が弾かれたように振り返る。


「まじか」

「ただ、できるかどうかは別の話だね。とりあえず確認してみるから、待ってもらって良いかな?」

「おう」


 涼夏の許可を得て、千春はスマホを取り出して連絡を取り始める。

 その姿を遠巻きに涼夏は栗花落の方へ振り返った。


「つーわけで、千春がどうにかしてくれてる間に地道なステマだ。頼んで良いんだな?」

「ええ……と言っても、開場してバートラックの営業が始まったらだけど」

「頼むぜ、ナンバーワンキャバ嬢さんよ」

「ふふ、ナンバーワンではないけれど……あと、緋音さんを連れてっても?」

「え……わ、わたしですか?」

「ええ、嫌でなければ」

「そ、そんな……RAiNさんのご指名なんて……光栄です!」

「なんなら蓮美も連れてって良いぞ」

「蓮美ちゃんも需要はあると思うけど、三人はよくないから、遠慮しておくわ」


 栗花落が意味深な笑みを浮かべるので、蓮美は妙な寒気を覚える。


「涼夏さん、何させるつもり?」

「ただの呼び込みだよ」

「ふたりがね、一番いいのよ。ひとりだと強そうで近寄りがたく、三人だと社会が生まれてまた近寄りがたい。ふたりがね、ちょうどよく弱そうに見えるの」

「何のことを言ってるのかサッパリ……」


 よく分からなかったが、どちらかと言えば選ばれなかったことは不名誉なことなんだろうなということだけ、蓮美は察した。それはそれでモヤモヤするが、彼女にとっては別の気がかりがあったので、自由に動けるほうがありがたかった。


(……来てくれるといいな)


 蓮美の打った大博打もまた、今日にかかっている。問題は、ステージに間に合うかどうかだ。

 ふと栗花落の様子を伺うと、緋音と客寄せの打ち合わせをしているようだった。栗花落が何か耳打ちすると、緋音は顔を真っ赤にして挙動不審に目を泳がせる。


「そ、そんなこと……!?」

「大丈夫。緋音さんは、一緒にいてくれるだけでもいいから」

「そんな……むしろ、私なんかじゃ何のお役にも立たないような……」

「もっと自分に自信を持って。ただそこに居るだけで、緋音さんはどんな花にも勝るから」


 微笑む栗花落に対して緋音は不安げに首をかしげる。

 作戦が決行されたのは、タイムスケジュールの開演が近づいて、一般客が会場に集まって来てからのことだ。ほとんどの客は、ステージが始まる前に軽くお腹を満たしたり、バートラックでドリンクを求めてあちこちで乾杯の音頭を取っていたりする。

 栗花落は、そんな集団の近くに目ざとく近寄り、それとなく視線を巡らせながらバーの列に並ぶ。


「お姉さんたち、何飲むの?」


 すると当然というか、あっという間に数名の男連中の集団に声をかけられた。

 既に軽く赤ら顔の彼らは、たぶん会場がオープンする前から軽くどこかで飲んでいたのだろう。

 栗花落は、振り返って柔らかな笑みを浮かべる。


「来たばかりなのだけど、何がオススメですか?」

「どこの人? 遠征勢なら地ビールとかオススメだけど?」

「炭酸系はお腹がいっぱいで動けなくなっちゃうからちょっと。甘いのが良いな」

「だったらここはレゲパンだべ。そっちのお姉さんは――ってうわっ、めっちゃ美人」

「ひっ……!」


 視線を向けられて、緋音が飛び上がって栗花落の背中に隠れる。


「あら、人見知りな感じ? 大丈夫、ナニモシナイヨー」

「せっかくだから一杯乾杯してこーよ」

「てか、お姉さんたち誰目当て? 良かったら一緒に回る?」

「残念だけど、私たちステージに上がる方なの」

「まじ? どこのステージ?」

「見に来てくれるなら、教えますよ」

「えー? じゃあ乾杯してくれたら見に行くわ。な?」


 メンズが顔を合わせて頷き合うのを見ながら、栗花落は一層笑みを湛える。


「そう言うことならご相伴にあずかろうかしら。ねえ?」

「え……? あ、は、はい……」

「よっしゃ! んじゃクライナーにすんべ! 味選んでいーよ」


 あっという間に男たちの手で、指先サイズの小瓶ドリンクが配られる。


「ね、簡単でしょう? ドリンクは無理して飲まなくてもいいからね」

「い、いえ……ホントに何もしてないので、これくらいは頑張ります……!」


 栗花落と顔を寄せてひそひそ話しながら、緋音は目の前の小瓶をじっと見つめる。

 見たことのないケミカルな色のドリンクは、正直見た目から味の想像がつかない。


「それじゃ、カンパーイ!」

「い……いきますっ!」


 温度と共に、グイっとひと瓶を飲み干す。味わうのが怖かったので一息で飲み下したわけだが、ごくりと喉を鳴らした後に赤ら顔で表情をほころばせた。


「あっ……おいしい。美味しいです……これ!」


 ズガンと、メンズ一同は後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受ける。

 それほどに緋音の気の緩んだ笑顔の破壊力がすさまじかった。


「コカ……でしたっけ? 渋谷で飲んだのより、わたしはこっちのが好き……かもです」

「あら、コカやるの? 思ったよりイケる口ね」

「店員さん、クライナーもう一本ずつよろしくでーす!」


 矢継ぎ早にクライナー祭りが始まる中で、栗花落は「この客は掴んだな」と心の中に達成感を抱く。この調子でグループ単位で営業をかけて行けば、地道に現地客を増やすことはできるだろう。


(こういうのは、乗り気な子と乗り気じゃない子のペアの方がうまくいくのよね。緋音さんの存在に感謝だわ)


 視線の先には、二本目の瓶を力一杯飲み下す緋音の姿があった。

 呑みベが高いのはありがたいが、ステージに来てくれる前に潰れないようにだけ気を付けて欲しいと願うばかりである。


「……ずいぶん楽しそうじゃないか。私も混ぜてくれるかな」

「ええ、もちろ――」


 声をかけられて、栗花落はいつもの笑顔で振り返る。

 ……が、途端に張り付いたような笑顔が固まって、次の瞬間には引きつったように崩れる。


「酒の飲める年になっているとは、月日の流れを感じるよ」

「……先生」


 真顔に戻って零れた言葉に、目の前の人物はニヒルな笑みを浮かべて、何でもないように手を差し出す。栗花落のバイオリンの先生は、彼女の記憶の中の姿よりやや痩せた……というよりやつれたのか、幾分老け込んだように感じられる。


「成人祝いもしていなかったな。一杯、付き合ってもらえるか?」


 栗花落は、その手をじっと見つめたまま動かなかった。

 背後からメンズに囃し立てられて次々クライナーを煽る緋音の喧騒が響いていたが、彼女の耳にはただの雑音になり果てていた。


「それとも指名料が必要かな?」


 まるで身の上を知っているかのように、先生は挑戦的な口調で首をかしげる。

 そこでようやく自嘲気味な笑みを吐いた栗花落は、改めて笑顔の仮面をうかべて恭しく頭を下げる。


「もちろん……ご一緒させていただきます」

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