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第78話 HELL DIVER

 そのころ、メインステージではイクイノクスのステージが始まっていた。

 ペナルティボックス同様に、挨拶代わりに演奏されたのは、つい二か月ほど前にリリースされたばかりのメジャーデビュー曲だ。広いゲレンデ広場に押し寄せたファンは、ステージのかぶりつきに向かってぎゅうぎゅうに詰め寄って、華奢な少女たちから放たれる重厚なハードロックを全身に浴びせられる。


「みなさんこんばんわ。イクイノクスです」


 一曲を歌い終えて程よく息を弾ませた声で、向日葵が改めて観客に向かう。


「ここに集まってくださった皆さんは、昔から私のことを知ってる人、最近興味を持ってくれた人、もしくはそれほど興味なんてなくてもふらっと来てくれた人、あと向こうのステージで演ってるバカに持ち上げられて面白って来てくれた人、色々いると思います。でも、そんなことよりも、まずは最初に言っておかなければならないことがあります」


 そう言って向日葵は、一度マイクから顔を背けて大きく息を吸い込む。


「――山形のみんな! ただいまーーー!!!」


 力いっぱいに叫びあげると、客席から大きな歓声があがった。タオルやペットボトルを頭上で振り回し、口々に「お帰りー!」と返事が飛び交う。


「一年ほど、私は東京に拠点を構えて新たな活動を始めました。生まれ育った地元を離れるのは寂しかったけど、再出発するためには環境を変えないといけないって思ったから。幸いなことに私は、今ここにいるふたりのメンバーに出会い、またこうして竜岩祭のステージを踏むため山形に帰ってくることができました」


 向日葵がサイドと後方に控えるダリアと菜々を振り返ると、それぞれ自分の楽器を鳴らして返事をする。その様子に満足げに笑って、再び観客たちのほうへと向き直った。


「竜岩祭は、私にとって特別です。青臭い話だけど青春の思い出がたっぷり詰まってる。この場所があったから、私は今ここに立ってると言っても嘘じゃありません」


 そこまで言って、一度間を置くように小さく深呼吸をした。一曲目から少し飛ばしすぎたのか、滴る汗をスポットライトに光らせて、高鳴る動悸を抑え込む。

 ステージはまだ始まったばかりだ。アガっていくのはまだこれから。


「私は、出し惜しみってやつが苦手です。チャンスは自分で作るものだから。機会を待っていたら、いつまでも前に進めない。勝てる勝負にも勝てない。そもそも勝負すらできないことだってある。だから次の曲に、今日の私たちのステージを捧げます。一度は地獄の底に落ちた私たちが、今ここで、新しい〝特別〟を始められるように」


 向日葵が今一度、メンバーふたりの顔を見渡す。ダリアが不敵な笑みで頷き、菜々がニコニコと楽しそうに頷く。

 MCで言ったことは、向日葵の嘘偽りのない本心だった。今日のステージは、彼女にとって言うなれば恥の上塗りだ。期待して送り出してくれた地元のみんなを電撃解散という結果で裏切り、新しいメンバーを携えてもう一度この地を踏む。どの面下げてなんて言われるかもしれないし、言われる覚悟だって決めてきた。

 実際、そんなこと面と向かって言う人はいないけれど。それでも、このステージに立つことは、それなりに重い決断だった。


 だからこそ、涼夏が新しいバンドを組んだのを知って、そこへ顔を出した時に覚悟は決まったのだ。彼女は、再起の場所を見つけた。自分が立つべきステージを自ら造り上げた。

 一応、元鞘に収まるつもりはないのか発破をかけてみたが、もちろんというか頑なに突っぱねられた。それで、胸の内にわずかに残っていた後悔や未練は、すべて断ち切れたのだ。


 新しい仲間と――蓮美と演奏する涼夏は、とても楽しそうだった。あれはそう、サマーバケーションを結成する前に、放課後の学校でふたり練習をしていた時のように。


「竜岩祭のために前倒して仕上げた新曲です――『HELL DIVER』」


 彼女の目指した音楽がここにある。

 ついてきてくれる仲間がここにいる。


(アタシは――〝イクイノクス〟のギター&ボーカル、向日葵だ)


 それが正真正銘の、向日葵にとっての〝ロック〟なのだ。




 メインステージが新曲の披露で盛大な盛り上がりを見せる中、市民ステージの方もペナルティボックスの『FIREWORK』で大きな歓声が上がっていた。ステージの規模で見れば、ぱっと見メインステージに負けてしまっているように見えるが、屋台ブースに浸食するんじゃないかってくらいに集まった人の数と熱気は負けず劣らずすさまじいものだった。


「すげー人だかりだけど、ここなんのバンド?」

「さあ、良く見えんし」


 一つ難点があるとすれば、やはりそのステージの小ささと低さだ。そもそもこれだけ人が集まることを想定されていないエリアなのだから、後方からでは音楽は聞こえても誰がどう演奏しているかなんて目に付くはずもない。

 フェスに限らず、ライブというのは演者が見えてナンボだ。そこにステージの空気が生まれて、客との一体感が生まれる。ただ音楽が聞こえているだけならスマホで聞くのと何ら変わらず、単なる祭りのBGMになってしまう。


「よかったらこれどうぞ-!」


 そんな後方の客や道行く人に、チラシを配って回る集団がいた。千春の後輩の吹奏楽部員たちだ。

 つい先ほど彼女たちが大急ぎで作ったものを近くのコンビニでコピーした、ペナルティボックスの動画アカウントの宣伝チラシだった。これまたコンビニで買ったらしい色ペンでカラフルに仕上げられた手書きのチラシは、ペナルティボックスのイメージからするとずいぶんとファンシーで、それこそ部活の勧誘チラシのようだ。しかし、こういう地域の祭りのような空気の場合は、案外この〝手作り感〟も馬鹿にできない。


「このステージは生配信してます! 遠くて見えない人は、ぜひそっちでステージの熱気を感じてください!」


 そう言って、彼女たちは自分のスマホに映した配信画面をずずいとお客たちに見せつけた。ステージのかぶりつきでは、先ほど千春のスマホを借りた部員が必死に腕を高く掲げてステージを撮影している。

 千春が後輩たちとともに打ち出した物理的じゃない手段とはこのことである。

 言うなれば、ドームライブのモニタービジョンを各々の手元のスマホで補ってもらうようなものか。配信の特性上、映像と目の前のステージとの多少の遅延はあるが、それもまたフェスという空気に包まれてしまえばさほど気になるほどではない。


 画面越しでもステージが見えるのなら立ち止まる客も増える。

 立ち止まる客が増えれば、それが呼子になってさらに客が増える。

 ほとんどが物珍しさの一見者だとしても、着実にステージにお客は集まっていく。

 最後にその客が離れないよう繋ぎ止めるのは、ステージ上で演奏するバンドの力だ。


「サンキュー。次で最後の曲だ」


 二曲目を終えて、涼夏はすっかり汗だくの顔でひしめく観客を見渡す。


「見ての通り、あたしらは定番のスリーピースに真っ向から歯向かうバンドだ。ギターは居ねえ。その代わりにサックスと、あと新メンバーのバイオリン」


 紹介を受けて、蓮実が慌ててお辞儀をし、栗花落がにこやかに手を振った。


「あたしは今まで、ギターのいるバンドしかやったことがなかったけど、こいつらに出会って、ロックってのはもっと自由で、なんつーか、わがままで良いんだって思った」


 それを聞いたバンドメンバーはみんな「十分わがままだと思うけど」と苦笑する。


「あたしはそもそも我が強いほうだ。んでもって、こいつらもひとりひとり、まー、我が強い。いい意味でも悪い意味でもな。だが、そういうメンバーだからこそできる音楽がある。いや……そういう音楽こそ、あたしはやりたかった。ずっと」


 そこまで言って、涼夏は呼吸を落ち着けるように足元に置いたミネラルウォーターのペットボトルを煽る。勢い余って少し水が零れたが、乱暴に口元を拭うと、すぐに汗と混ざって区別がつかなくなった。



「最後は新曲。新曲は、そういう曲だ。我が強いやつらの乱痴気騒ぎ。喧嘩。誰が主役の曲かも定かじゃねえ。だから振り落とされるな。ついてこい。あたしらのロックを浴びせてやる」


 演奏を前にして、涼夏は一度メンバーのことを振り返ろうとした――が、やめた。ことここに至って、もう一度結束を確認するなんて趣味じゃなかった。

 普通に過ごしていれば、バンドを組むこと、なんならそもそも出会うことすらなかったであろうメンバーだ。絆は上っ面のアイコンタクトなんかじゃなく、音楽で結ばれている。

 そもそも涼夏自身、仲間に対して友情のような感情は抱いていない。ただ仲間だ。涼夏は、仲間の音楽を信じている。

 それは根無涼夏という人間のほぼすべてが音楽でできていて、人生の物差しも音楽で、そして、音楽に対しては嘘をつかない性分だからこそのことだ。


 だから振り返らない。

 一度〝音楽〟をはじめたら、メンバーは必ず音で返してくれるのだから。


「――『屋根裏のサロメ』」

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