屋根裏のサロメ――栗花落が今回のフェスのために書き下ろしたペナルティボックスの新曲だ。
シンデレラをモチーフにした、ストーリー仕立てのおとぎ話チックな歌詞と曲調が特徴的となっている。
物語は、舞踏会の夜にひとり寂しく家に残ったシンデレラが、屋根裏部屋で華やかなパーティーに想いを馳せるところから始まる。綺麗なお城に集まる豪奢な馬車たち。お城の中はすでに賑やかな社交場になっていて、紳士淑女が笑顔で談笑しながら舞踏会の始まりを待っている。
蓮美のサクソフォンが、レトロな遊園地っぽいワルツで想像に胸を膨らませるシンデレラの期待をリードする。
やがて舞踏会が開幕。
リードをサクソフォンから栗花落のバイオリンに移して、ワルツはシンフォニックで壮大なものへと切り替わる。シャンデリアの下でオーケストラの演奏に身をゆだねて、煌びやかなドレスに身を包んだ女性たちが貴公子たちとダンスを踊る。
みすぼらしい格好のシンデレラはとても舞踏会に出られるような姿じゃないが、もしここに魔法使いが表れて素敵なドレスとガラスの靴をプレゼントしてくれて、カボチャの馬車で送ってくれたら、午前〇時までの夢の時間を楽しむのに――
しかし、〇時の鐘は鳴る。
妄想は妄想でしかなく魔法使いは現れなかった。
期待を裏切られた夢見る乙女は、一瞬にして不条理に憤る復讐者に心を変える。
どうせ叶わない願いなら、妄想のパーティを惨劇に変えよう。
狂乱する姫たちの前で、憎い義姉たちの足を切り落とし、目玉を抉ろう。
自分にときめくことがなかった王子の首をギロチンで刎ねてやろう。
意地悪な継母には焼けた鉄の靴を履かせて、王子の首を片手にギロチン台で躍らせよう。
妄想世界の主人である私は、玉座に座って喝采を送るのだ。
激しいビートを刻むドラムをバックに、サクソフォンとバイオリンが主旋律を奪い合うように入り乱れて、一分一秒ごとに目まぐるしく波打つシンデレラの激情を描き出す。これが当初の通りバイオリンでなくキーボードだったなら、もう少し理性的で慎みのあるシンデレラになっていただろう。
しかし、情熱的なRAiN――栗花落のバイオリンならば、理性を捨て去って激情に身を任せた彼女の心境も、それでいて心の片隅に残る夢見る少女の良心も、弦の震えひとつでつぶさに奏であげる。
おそらく、作曲した栗花落自身も分かっていたはずだ。
この曲は、栗花落がバイオリンで弾いてこそ完成する。
伸びやかなバイオリンの響きが、おとぎ話の中でさらに広がる幻想の世界を広げるのだ。
「時雨がキミの力で腕をあげたように、キミの音楽にも確かに時雨は生きているよ」
客席の後方でステージの音楽とオーディエンスの熱気にあてられていた先生が、ぽつりとつぶやいた。どんな形であろうと、かつて苦楽を共にした教え子の成長は嬉しいものだ。
ただひとつ心残りだったこと。
栗花落はもう居場所を見つけられたのだと、そのことに胸をなでおろして。
(しかし、あのサクソフォンの子……素晴らしいな。パワフルな音もそうだが、栗花落に引けを取らない存在感がある。どこで学んだ子なのだろう……?)
先生の視線は、自らの教え子から、その隣で演奏する蓮美へと向けられた。小さな身体をいっぱいに使ってテナーサックスを軽々と振り回し、全身で音楽を表現する少女。興味を持ったのも、ほとんど自然にと言って良い。
おのずと視線を引き付けられた。
まるで、ステージの支配者は彼女だと本能が理解したかのように。
先生は、先ほど高校生の少女たちから貰ったチラシを取り出して、バンドの動画チャンネルを検索する。表示されたアカウントからリアルタイム配信の枠へとたどり着くと、共有ボタンを押して手早くメッセージを打ち込む。
〝Hi PJ.(やあ、PJ)
Will you listen to this performance?(この演奏を聴いてくれるかい?)〟
送信ボタンを押して、返事を待たずにスマホを上着のポケットへと仕舞う。
最後は演奏が終わるその瞬間まで、音の粒に身をゆだねていたいと、そう思ったのだ。
演奏が終わって、ステージの周辺は万雷の歓声に包まれた。
ステージ上の演者たちは、激しく肩で息をしながら、どこか呆然として虚空を見つめる……が、不意にセンターマイクに向かっていた緋音が顔を真っ青にして口元を抑えた。
「ごめんなさい、もうむり――」
「あ、緋音さん!?」
唯一異変に気付いた千春が慌てて立ち上がるが、ドラムセットを乗り越えて駆け寄るわけにもいかず。
ほか呆然とするメンバーに見守られる中で、緋音は糸が切れたように仰向けにぶっ倒れた。
「わっ! 大丈夫!?」
ワンテンポ遅れて蓮美が駆け寄り、緋音を抱き起す。完全に気を失っている彼女の身体は、真っ青な顔の印象そのままにずいぶんと冷え切っていた。
「千春! 手伝え!」
「うん、わかった!」
涼夏と千春に抱えられ、緋音はステージ裏へと運ばれていった。当然、ざわつく観客を置いてステージはそのままなあなあに終了することになった。
「あ、あの……ペナルティボックスでした! ありがとうございました!」
無理やり〆のMCを行った、妙に痛々しい蓮美の姿だけを残して。
控えテントに運ばれた緋音は、駆け付けた医療スタッフの軽い診察を受けた。
「飲み終わってから時間が経っているとのことなので、急性中毒ではなさそうです。単純に疲れと心労が出たのでしょう。脱水気味なので、点滴で水分をとって休めばじきによくなると思います」
「よ、よろしくお願いします」
診察を聞いて蓮美はほっと胸をなでおろした。他のメンバーも同じ調子で、大きく息を吐きだす。
「ステージだけはどうにかやり切ろうって気を張ってたんだろうね」
「ごめんなさいね。私がしっかりと見ていなかったから」
「栗花落さんのせいじゃないよ……とにかく、無事でよかった」
「あの……ボーカルの方、大丈夫ですか?」
聞きなれない声につられて振り返ると、テントの前に千春の後輩たちが数人集まっていた。
千春が前に出て笑顔で出迎える。
「大丈夫みたいだ。心配してくれてありがとう」
「よかった。みんな心配してたんです」
「みんなも、協力してくれてありがとう。おかげでステージは、まあおおむね大成功だったよ」
最後の最後にハプニングこそあったが、演奏自体はすべてやり切ったのだ。
今は、充実感のほうが大きい。
「あ、それともうひとつ聞きたいことがあったんですが。あの、バンドのSNSの更新担当ってどなたでしょう?」
「あ、それ、私と千春ちゃん」
呼ばれて、蓮美が手をあげる。
「ライブ情報とかの告知は私で、日常的な書き込みは蓮美ちゃんかな」
「実は、チラシを配ってたらバンドのスタッフだと思われて。ファン(?)の方から声をかけられまして――」
――実は、例の宣戦布告動画からフォローしたんですが、日ごろの書き込みがあまりにも等身大の学生って感じでイメージとかけ離れてて。
――ひそかに応援してました。ステージ楽しみにしてます。
「――と」
「あ……」
返事をする間もなく、鞄の中で蓮美のスマホが震えた。
取り上げて通知を見ると、SNSの書き込みにたくさんの返信がついていた。
――最高のステージでした!
――アガった。見る価値あった。
――ボーカルの子大丈夫?
――ある意味伝説のステージ
――配信アーカイブでまた見ます!
美は画面を見つめたまま口ごもってしまった。
なんとなくやっていたSNSだったが、正直なところ日々の書き込みに何か意味があるとは思っていなかった。半分はSNS担当大臣になったから義務的に。もう半分は、バンドの毎日を綴る日記代わりに。
「誰にも読まれてなくて良いって思ってたけど……そっか、意味、あったんだ」
ほんのりとうれしさがこみあげてきて、思わず笑みが込み上げる。
涼夏があんな動画を出してから、いろんな人が敵になってしまったような気分になっていたが、確かに応援してくれている人たちもいたのだ。そのことがひたすらに嬉しかった。
「緋音も問題ないようだし、片付けが済んだらメインステージの方へ行くぞ」
「あ、うん!」
ギターケースを背負って待ちくたびれたように言う涼夏に、蓮美は慌ててサクソフォンを片付け始める。
この後はメインステージへ行って、勝負の結果を確認する流れになっている。計測を担当していたイベントスタッフも、一足先にメインの方へと向かっていった。
「いよいよだね」
「うん」
「勝っているといいけど」
「大丈夫だよ」
苦笑する千春に、珍しく蓮美が自信を持って頷く。
「私、今回すごく手ごたえがあるんだ。全国大会で金を取った結果発表の前、みたいな」
「あー、なんかわかるかも。あるよね。神様にお願いするんじゃなくて、きっと勝ってるっていうのを確認したいっていう好奇心みたいな感じ」
「なんていうか……今まで生きてきて、一番の演奏ができた気がするんだ。吹部の時にも何度かそういう感覚あったけど、そういう時って絶対に結果もついてきた」
「うん、そうだね」
「だから大丈夫。私たちは……涼夏さんは、負けないよ」
そう語る蓮美の表情には、余裕よりも必死さが滲んでいた。
それは、すべてを出し切ってなおイクイノクスと向日葵が強大な敵であるのだと、無意識に判断しているからに他ならない。
(大丈夫……手ごたえはあるんだ。負けるはずがない)
ステージ前よりも高鳴り始めた鼓動を抑え込むように自分に言い聞かせる。
(……負けたくない)
建前のない、本心を自ら覗き見るほどに。