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第83話 三度目の夏

 蓮美の勢いに、メンバー一同あっけに取られたまま固まってしまっていた。

 やがて我を取り戻したようにハッとして、やや気後れ気味に頷く。


「フジロック……フジロックかぁ」

「あれ、思いのほかのリアクション? もうちょっと盛り上がるかなって……」

「いや、確かに驚いたけど、なんかこう……現実味がないというか」


 苦笑する千春に、ほかのメンバーも似たような反応を返す。

 フジロックと言えば、日本に住んでいればさほど音楽に興味がなくても存在を知っているであろう、国内最大級の音楽イベントだ。先の竜岩祭と同じようにスキー場を会場として、連日参加するファンのテント泊もイベントの醍醐味として広がっている。

 ステージは国内のメジャーアーティストに限らず、海外の有名アーティストも多くゲストとして来日する。そんな音楽界の頂点のお祭りに自分たちが立つというのは、夢物語を通り越して想像すらできなかった。


「フジロックだよ? 日本中のアーティストの憧れの舞台だよ? そこで演奏できるかもしれないんだよ?」

「でも、そのために〝ニュージェネ〟のオーディションで勝ち残る必要があるんでしょう? ものすごく狭い門だと思うわ。参加自体に反対するわけじゃないけれど」

「それはそうだけど……」


 現実的な話をされると、蓮美も徐々に自信がなくなってきてしまう。

 しかし、なけなしの虚栄心が残っているうちに、胸の内を吐露してしまおうと思った。


「このバンドなら、チャンスはあるって思う。だから挑戦するだけでも、ね?」

「挑戦しなければ可能性ゼロなのはその通りだと思うけど……みんな、どう思う?」


 やや突っ走り気味の蓮美をなだめるように、千春が改めてメンバーに話を振る。

 もとより「反対ではない」と口にしていた栗花落は、否定も肯定もせず微笑むばかりだったが、対して緋音は、青ざめてガタガタと震え始める。


「この間と比べ物にならないお客さんに見られるってことですよね……? そ、そんなの……耐えきれないかも、です……」

「緋音さんは、すっかり竜岩祭がトラウマになってしまったようね」

「あんなに動画拡散されちゃったらね……」

「ひっ!?」

「ああっ、ごめん」


 口が滑った蓮美の代わりに、栗花落があやすように緋音の背中をさする。

 実は、竜岩祭の後にペナルティボックスはまたプチバズを果たした。


 ひとつは、決着後の涼夏の髪切り式。

 客席から録画されていた動画が、イベントの珍事として話題になったのだ。


 そしてもうひとつもまた珍事――『ライブ中にぶっ倒れる美人ボーカル』である。

 これもまた客席から録画されていたもののほか、自分たちで行ったライブ配信のアーカイブが素材として使われ、その元動画として再生数が爆伸びしたのである。


 中には、曲を聴いてくれたことで単純なファンになった人も多い。それでも面白おかしい話題のタネとして不特定多数に自分のことが拡散されるというのは、若干二十歳の、しかも緋音のような性格の女の子には耐えがたいことであった。

 ほとんどトラウマである。


 あまりの食いつきの悪さを前に、蓮美はすっかり意気消沈してスマホを胸元に抱えた。


「でも……私たちみたいな駆け出しのバンドが大きくなる、チャンスだと思うの。一次の書類審査は誰にでも門戸が開かれているし。それで落ちたら、まだまだなんだなって納得もできるし……もし優勝できたら、メジャーへの道だって一気に……!」

「無理だとは言わねーが、無謀だな」


 力説しようとする蓮美の言葉を遮って、涼夏の低くて冷たい声がスタジオに響いた。

 蓮美は思わず口を噤んで、困惑した表情で見つめ返す。


 涼夏は、落ち着かない様子でハネた襟足をかきあげる。

 今までずっと長い髪に慣れていたからか、ここしばらくの彼女のクセになっていた。


「恐ろしく狭き門なのは栗花落の言う通り。それに本戦まで含めると、ほとんど一年がかりのオーディションだ。他の活動もできねーわけじゃねーが、基本はニュージェネ優先の生活になるぞ。それくらいの覚悟と熱量で臨まなきゃ、優勝なんてできるわけがねぇ」

「覚悟ならあるよ! だってメジャーを目指してるんだから……それって、同じくらい狭い門だと思うから」

「それとこれとはまた違うだろ」

「なんで?」


 蓮美が、切羽詰まった顔ですがるように尋ねる。


「涼夏さんなら、いの一番に賛成してくれるって思ってたのに」


 それに対して明確な答えは示さず、涼夏はチューニングを終えたベースを床置きのホルダーに立てかけて立ち上がった。


「そもそも、応募締め切り年明けだろ。今は急いで考える時期じゃねぇ。それよりもまずは、目の前のライブだろ」

「それは……そうだけど」


 正論にあてられて、蓮美はうつむきがちに口ごもる。

 しかし、どこか納得のいかない気持ちと、わずかな焦りが口の端から溢れてしまう。


「クリスマスコンサートなんて、出てる暇あるのかな……?」


 来る年末。

 クリスマスシーズンに合わせた商店街の市民コンサートに、ペナルティボックスは初めてのゲスト出演の依頼を受けていた。

 昔から毎年やっている地域のイベントで、竜岩祭よりも規模は大きく劣るが、市内ではそれなりに大きな一般参加型のコンサートだ。地元の音楽団体やバンド、高校の吹奏楽部や合唱部にゲストのプロ演奏家たちを加えて行われる。


「タツミさんの頼みだからしゃーねーだろ。ここのスタジオをタダ同然で使わせてもらってる礼だ。それに、演れる舞台があるなら演る。バンドは――」

「ステージに立ってなんぼ……ですよね。分かってます。分かってますけど」


 舞台は市内の音楽ホールで、演奏する箱としては過去最大のものである。しかし、集まるのは地元の住人ばかりで、どう考えてもメジャーへの道に通じているようには思えない。

 だったら新作の動画を撮るとか、それこそニュージェネ挑戦にむけて準備をしたほうがと……今の蓮美には、そう思えて仕方がない。


「まだ何か愚痴ることあんのか?」


 彼女の心の内を見透かしたように、涼夏が溜息交じりに煽る。

 蓮美は、わずかに口を開きかけたが、やがて奥歯を噛みしめるようにきゅっと口を結んで、投げやりに首を横に振った。


「そんじゃ、さっさと練習はじめ――」


 話は終わったとでも言いたげに、ベースを取り上げようと手をかける。

 が、ふと涼夏の視線がスタジオの入り口の方を向いて固まった。

 あっけに取られたように目を丸くする彼女につられて、ほかのメンバーも入り口に視線を送る。


 すると、いつの間にそこにいたのだろう。

 緑色のモヒカン頭で顔中にピアスをつけ、ぼんやりした表情を浮かべた青年がひとり、無言で立ちすくんでいた。


「え、誰!?」


 流石に驚いてあげた千春の声に、青年も驚いた様子で声もなくギョッと飛び上がる。

 それから困ったような顔になってぽつりとつぶやいた。


「……すいません、間違えました」

「え……あ、いえ、こちらこそ」


 見た目とは裏腹の礼儀正しい口調での一礼に、思わずみな釣られて頭を下げる。

 その直後、入り口の扉が勢いよく開け放たれた。

 重い防音扉をものともしない、やたらと威勢のいい開きっぷりだった。


「もー、シュンくん! 先に行っちゃダメって言ったじゃん!」


 扉の向こうから、サラサラのショートボブにゆるふわコーデな少女がひとり、ヅカヅカと大股に歩きながらシュンと呼ばれたモヒカン青年のもとへと向かう。

 先ほどの扉の空きっぷりに比べたら、ずいぶんと線が細く非力そうな印象に見える。


「……あ、ごめん」

「もう、仕方ないなぁ。おちゃめさんなんだから♪」


 モヒカン青年は、数秒ぼんやりと間をおいてから、思い出したように謝罪の言葉を口にした。

 これまた礼儀正しくお辞儀つきで、少女は差し出されたモヒカン頭の横のつるつるの部分を愛おしそうにこねくり回した。これが漫画なら、思いっきり周囲にハートマークが浮かびそうなほどにデレデレだった。


「……海月?」


 それまで固まっていた涼夏が、ようやく口を開いた。

 目の前で起こっていた出来事に、ほとんど誰もその言葉を聞いていなかったが、当の本人であるボブの少女と、蓮美だけは、確かに耳に届いて涼夏へと振り向いた。


「りょーちゃんひさしぶり! 元気してた!?」

「元気もなにも、何してんだよ、こんなとこで」


 海月と呼んだ少女に、涼夏は本気で訳が分からなさそうな様子で、気後れ気味に首をかしげる。


「何って、昔の仲間に会いに来たに決まってんじゃん。ねー、シュンくん」

「…………そうだね。久しぶり。涼夏ちゃん」


 相変わらずワンテンポ遅いモヒカン青年と、どこか夫婦漫才のようなやり取りを繰り返しながらも、海月は満面の笑みを浮かべる。


「あの、涼夏さん。海月……さんって、もしかして」


 涼夏が口にした名前に、蓮美は覚えがあった。涼夏と出会い〝サマーバケーション〟について調べたころ、そのメンバーリストにあった名前。


 ギター&ボーカル:向日葵

 ベース:涼夏

 ドラム:海月


 察しがついた様子の海月は、くだけた啓礼のようなポーズをとって見知らぬ一同に向かって挨拶をした。


「はじめまして。元サマーバケーションのドラム担当、海月です。よろしく」

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