数日後――バンドの面々は、いつものように放課後のスタジオで練習をしていた。
しかし、指先がかじかむ寒さだというのに空気は妙にじめっとして重く、同じくらい演奏にも勢いがない。流石に千春が、ドラムをでたらめに打ち鳴らして演奏を止める。
「ちょ……ストップストップ! なんか、みんな今日変じゃない? 体調悪い?」
冬場だしそういうこともあるだろう。それでなくても女性ばかりのバンドなら、月のものに調子が左右されることだってある。
だが、そういう肉体的な不調でないことは、千春も分かっていて、そう言っている。みんな演奏に集中できておらず、上の空だ。
(いや、みんな……ではないか)
少なくとも、千春自身はいつもと変わらないつもりだ。
栗花落も遜色ない。
問題があるのは残りの三人――
「……はぁ」
「うう……」
見るからに溜息だかうめき声だかわからない吐息を滲ませる蓮美と緋音。
そして、今日はやたらピリついた怒気を放つ涼夏だ。
「涼夏さん……今日、機嫌悪いね?」
「別に」
「別にってことはないでしょ」
「なんでもねーよ。てめーらだってあるだろ。理由なく虫の居所が悪い日」
いやぁ、無いかな――そう返そうと思ったが、余計に話がこじれそうだったので、千春は言葉を飲み込む。
こういう時の彼女に噛みついても話がこじれるだけなのは、この半年の付き合いでよく身に染みていた。
「えーっと……蓮美ちゃんは、何か心配事?」
一旦、涼夏は置いておいて、この中では一番付き合いの長い蓮美に目を向ける。
ここで下手に緋音の方へ行って、虫の居所が悪いらしい涼夏の神経を逆撫でするのは避けたい一心だった。
蓮美は、千春を振り返ると申し訳なさそうにうつむいた。
「……ごめん、集中できてないよね」
「それは良いんだけど……何かあった?」
「あー……ごめん。これは、私が全面的に悪いから」
「この間のこと?」
彼女がクリスマスコンサートに乗り気でないのは、前回の練習の時に明らかだ。
蓮美は、やや躊躇いながら頷く。
「ごめんね。ちゃんと、モチベーションは整えておくから」
「うん……でも、無理しないでね」
本人がそういうのなら、これ以上千春に口出しできることはない。
何か気晴らしが必要なのかとも思ったが、今ここでできることでもない。
「えーっと、それじゃあ……」
仕方なく、緋音の方を向く。
見たところ今日一番の重症である彼女は、一日中浮かない顔で、しきりに溜息を吐き続けている。
それだけならいつもとそれほど変わらないが、さらに今日は、歌声に全くハリがない。まるで、出会ったばかりのころの彼女に戻ってしまったようだ。
「緋音さん……今日、元気ないね」
「……はぁ」
返事の代わりの溜息だった。
緋音は、数テンポおくれてゆっくりと千春に振り向くと、何かを言おうとして口を開きかける。
しかし、零れ落ちるのは掠れたうめき声ばかり。
やがて耐えかねたように大粒の涙が頬を伝い、メンバー一同ぎょっとして飛び上がった。
「ちょ……大丈夫!?」
慌ててドラムスローンから飛び降りた千春が、駆け寄ってハンカチを手渡す。
緋音は、受け取ったハンカチを目頭に当てて、返事の代わりに何度も頷く。
ほかのメンバーも温かい飲み物を準備したり、とにかく背中をさすってあげたりして、五分ほどでようやく言葉を発せられる程度に落ち着いた。
「すみません……ご迷惑を」
「それは良いんだけど、どうしたの?」
尋ねられて緋音はまた何かを言いかけるが、すぐ諦めたように口を噤む。
「すごく、個人的な話なので……」
「困ってるなら話くらいは聞かせてほしいな。同じバンドの仲間なんだから」
千春の言葉に、蓮美も栗花落も頷く。
涼夏だけは、すっかり定位置になった遠くの壁際に座って不機嫌そうにしている。とはいえ「そんなことより練習しろ!」と怒鳴らないあたり、なんだかんだ見守るつもりか、もしくはそれどころじゃないか、ほかのメンバーにはそう見えていた。
「あの……本当に、本当に、個人的なことで申し訳ないのですが――」
そう厳重に前置いて、緋音はようやく口を開いた。
内容はもちろん、姉の件である。
「……なるほど、お姉さんが夢だった仕事を突然辞めて帰ってきてしまったのに、ショックを受けちゃったと」
「はい……デザインの仕事ができるようになったって聞いた時、わたし、本当にうれしくって。応援したい、応援しようって思って。でも、辞めちゃって……」
いつになく言葉が流暢に零れ落ちるのは、それだけ吐き出せずに溜め込んでいた想いがあるということだ。
言葉にできずに溜め込みすぎたから、溢れたぶんが涙にもなった。
「姉さん、なんで辞めたのかも教えてくれなくて……そもそも、辞めるってことも、帰って来てから知ったくらいで……」
「そりゃ、てめーに相談したって仕方ないからだろ」
「うっ……それは、そうなんですが」
涼夏の鋭い指摘に、緋音は辛そうに胸元を抑える。
「確かに残念だし、心配かもしれないけど……お姉さんもお姉さんで、よく考えて決めたことだとは思うよ」
代わりに千春が優しくなだめると、緋音は力なく頷く。
「姉さんは、わたしとは全然違ってとても優秀なので……わたしじゃ考えないようなことも、たくさん考えて、悩んで、決めたことだと思います」
「でも、それでも、相談――いや、愚痴を聞くぐらいしたいんだよね」
蓮美の言葉にはっとして、緋音が顔をあげる。
見上げた先の彼女は、同じくらい思い詰めた様子で、でも緋音を元気づけるために精一杯の笑顔を浮かべていた。
「そう……ですね。わたしじゃ何の役にも立たないってわかってるけど……でも、本当にそうだって言われたみたいで、それが……一番、悲しいことなのかもしれないです」
改めて言葉にすると余計に心に染みたのか、またホロリと涙が零れ落ちた。
「まあ、この様子で頼ろうと思うほうがどうかしてるわな」
「涼夏さん! わざわざそんなこと――」
余計な追い打ちをかける涼夏を、蓮美が抗議するように睨む。
しかし、宥めるようにその肩に、栗花落がそっと手を添えた。
「だったら、役に立つ……というより、成長したところを見せるしかないんじゃない?」
「え?」
緋音だけでなく、みんなの視線が栗花落に集まる。
「緋音さんは、最初は歌うこともできないほどだったんでしょう? それが今では、立派なバンドのセンターに成長したんだもの」
「立派、かは……その……」
「謙遜しないで。それをちゃんと伝えられたら、お姉さんだって緋音さんのことを頼ろうっていう気持ちを持てるようにもなるんじゃないかしら」
「えっと、つまり……クリスマスコンサートにご招待すればいいってこと?」
「あ、確かに。今、山形に返って来てるわけだし」
栗花落の提案に、千春と蓮美はすっかりその気になって盛り上がる。
「それに、そういうことなら蓮美ちゃんもコンサートに力が入るんじゃない」
「そういうことなら……うん。私も良い演奏できるように頑張るよ」
ばつが悪そうながらも頷いた蓮美に、千春も安心した様子で笑みを浮かべた。
その様子を見守って、栗花落は改めて緋音に向き直る。
「ということだけれど……どうかしら?」
とっさのことに頭の処理が追い付いていない様子の緋音だったが、やがて話の流れを飲み込んで、力強く頷いた。
「はい……わたし、クリスマスコンサートに姉さんを招待します。それで……わたしでも姉さんの力になれるってとこ……見せたい、です」
「決まりね。だったら、少し演出も考えないと……ふふ、楽しみになってきた♪」
嬉しそうにほほ笑む栗花落は、優秀なプレイヤーである一方で、根っからの演出家気質である。WEBアーティスト〝RAiN〟として大成したのも、適正の影響によるところが大きい。
今ではすっかり「ペナルティボックスの時任栗花落」としての活動がメインになった彼女ではあるが、本質的なところはそう変わるものではない。
「大丈夫。屋根裏のサロメにならないよう、私が素敵なシンデレラにしてあげる」
街が白銀に染まる年の瀬の山形に、クリスマスの奇跡を起こす。
そのための魔法の公式は、頭の中で数多に浮かんでいる。