――年末。
毎年、クリスマス直前の日曜日に開催されるクリスマスコンサートは、ちょうどイブの日にぶつかった。
しんしんと雪がふりつもるホワイトクリスマス……なら可愛かったものの、例年に比べて早めにやってきた寒波に見舞われ、あいにくのホワイトアウトクリスマスとなった。
「すごい降ってるね……これ、お客さんくるのかな?」
県民ホールのロビーで、外のドカ雪を眺めながらポツリとこぼす。
「ほとんどが出演者の付き合いで来るんだから天気なんて関係ねーよ。それよか緋音はどこ行ったんだよ」
涼夏に言われて辺りを見渡すが、そういえば先ほどから緋音の姿見当たらない。
先ほど、がどのくらい前からなのかは誰も定かではなかったが。
「いくらか前に、お手洗いに行くっては言ってた気がするけど」
「何時間前の話だよ」
「いや、一時間くらい前……かな? そっから帰ってきたっけ?」
千春がおぼろげな記憶を掘り起こしてみるが、ハッキリとした確証はない。
なんなら、戻ってきていないような……?
「あいつ……逃げやがったか?」
「え!?」
蓮美がぎょっとして振り返る。
逃げた?
この土壇場で?
なんで?
本人の心配もあるが、今日のステージは何から何まで緋音のために調整して、緋音を中心に回るように準備を行ってきた。すべては、招待したという姉に彼女の雄姿を見てもらうためである。
その本人が居ないというのであれば、準備してきたことのすべてが崩壊してしまう。
「わ、私、様子見てくる!」
「あ、じゃあ私もその辺回ってみるね」
蓮美につられて千春も、慌てた様子でかけていく。
その背中を見送って、涼夏は大きなあくびをひとつうかべた。
「昨日は寝られなかったの?」
「あ?」
「今日は、ずいぶんとあくびが多いようだから」
栗花落が、外の景色を眺めたままぽつりとこぼす。
「単純に冬のだるさだよ」
「そう、ならいいけれど」
「なんだよ」
含みのある言い方に、涼夏はじっとりとした抗議の視線を栗花落に向ける。
「さすがはプロ経験者ってことで演奏には全く感じさせないけど、最近あまり身が入っていないようだったから」
「……言ってろ」
たわごとはよせ、というていで言葉を切り捨てたものの、その実は図星を突かれたからこそだ。
あの日から、涼夏のもとに海月から連絡が来ることは今のところない。
それは涼夏の返事を待っているのか、単純にあっちでの生活が忙しいのか分からないが、とにかく考える時間を与えられていることは確かだった。
(元鞘に収まるつもりはねーよ)
こうして新しいバンドの形が定まってきた手前、今更サマバケ時代に戻ろうという気持ちは全くない。
ただ同時に、本当にこのバンドで高みを目指せるのかという漠然とした不安があった。
竜岩祭――あの日のステージは、涼夏の中でも過去一番の演奏だった。それこそサマバケのころを超えるような、最高に気持ちがよくて、この世のすべてを手に入れたような、そんな演奏。
それでも負けた。
プロとアマの差とか、集客力とか、そういう話ではない。
あとになってからイクイノクスの竜岩祭ステージを動画で見て、涼夏は強いショックを受けた。
ある意味で、感動と言っても良い。
飲み込まれた。
圧倒された。
その映像の中では、見たことのある女が、見たことのないステージの中で輝いていた。
サマバケを超えたのはイクイノクスも同じだ。
そしてイクイノクスは、明確に、ペナルティボックスよりも上だった。
最高の演奏をしてもなお、届かなかった相手。
生まれて初めて味わう挫折感というものだった。
ただ、それでもいっそ音楽を手放そうという気持ちにならなかったのは、すでに涼夏にとって音楽が当たり前の生活の一部であるからに他ならない。ノーミュージック、ノーライフと言えば聞こえはいいが、単純に音楽以外に何をして時間をつぶせばいいのか、何をして生きていけばいいのかが分からなかった。
一方、蓮美と千春は手分けをして緋音の姿を探していた。
流石にこの雪だ。会場の外へ出て行ったとは考えられない。
出演者とはいえ立ち入ることができる場所は限られているし、あの緋音が立ち入り禁止と書かれた区画に足を踏み入れる度胸があるようにも思えない。
なら、いつかは必ず見つかるはず。
その確信があるだけ、捜索は気が楽だった。
「緋音さん……?」
目論見どおり、ものの十五分ほどで緋音の姿は見つかった。
彼女は、ステージ袖の隅の方で、コンサートの設営の様子をぼーっと眺めていた。
「……あ」
多少後ろめたい思いはあるのか、緋音は声に振り返ったあと、すぐに顔を逸らした。
蓮美は、なんと声をかけるべきか迷った末に、とりあえず何も言わず千春に「見つかったよ」と場所を添えてメッセージを入れた。
「……ステージって、こうやってできていくんですね」
手際よく仕事をするスタッフたちを横目に、緋音の声はどこか上の空のようにも聞こえた。
それこそ竜岩祭のようなステージなら前日から大規模な設営が行われるが、これくらいの規模の市民コンサートなら当日の開演前にぱぱっとやってしまうことが多い。
設営スタッフだってボランティアではないのだ。ホールの管理スタッフや、コンサートの運営スタッフも同様に、大勢の人が何日も前から働いている。
1グループ十数分。
たったそれだけのステージを、最大限の演出と感動に変えて客席へ届けられるようにと。
「さっき……子供たちの聖歌隊を見たんです」
またぽつりと、緋音が誰に当てるでもなくつぶやく。
「そういえば、子供合唱団みたいなのが参加してたね。私も、部活に入ってたころはこういう演奏会によく参加してたよ」
「ずっとあこがれてました……小さいときに、家族と一緒にコンサートに来て。渋谷とか……竜岩祭とか……そんな、大きなステージじゃなくって良かったんです。家族や知り合いに見守られて、終わった後に『頑張ったね』って褒められるような……それだけで良かったんです」
懺悔にも似た気持ちの吐露に、蓮美は何か声をかけるべきかと口を開く。しかし、言葉は出なかった。
小学生くらいの時は似たような気持ちを抱いていたかもしれないが、彼女の場合はそのあとすぐに「全国大会」という大きな舞台を目指す目標と覚悟が刷り込まれた。
自分が立つべき、または立ちたいと思う舞台の違い。
(そっか……私たちって、それがバラバラなんだ)
直近は、竜岩祭というぽっと出の目標はあった。
しかしながら、基本的にはメジャーデビューを目指すと謳っているペナルティボックスが、そのために、またはそのあとに、どんな舞台で演奏をしたいのか。それがなかった。
少なくとも、蓮美にはフジロックというひとつの舞台が見えている。
だがそれはメジャーを目指すための手段であり、目標としてはとらえていなかった。
目標――夢と言い換えてもいいかもしれない。
自分たちがフジロックのステージで演奏をするという夢。
それをメンバー全員で見なければ、道しるべにはならない。
「緋音さん……ちょっとだけ、時間いいかな?」
「……え?」
そこにきてようやく、緋音の視線が蓮美へ向いた。
戸惑いをはらんだ瞳は、やや憂いを帯びていたが、それでも蓮美は透き通った輝きの向こうに同じ夢を抱いてほしいと思った。
音楽はひとりでもできる……が、バンドはひとりではできない。
蓮美は、このペナルティボックスというバンドとメンバーで、高みを目指したいのだ。