お焚き上げの炎に照らされて、参拝客が境内に列を作る。年末に向けて猛威を振るった猛吹雪は、大みそかになると嘘のようにピタッと止んだ。相変わらずの曇り空ではあったが、雪がちらつかないで気分はずいぶん上向くもので、歳が変わる深夜の初詣には例年と変わらない長蛇ができていた。
全員が地元民で「帰省」という概念がないバンドメンバーは、大みそかの夜から集まって参拝に繰り出している。
「どうしよう、屋台でも覗いていく?」
千春が、氷点下で真っ白になった息を弾ませて、参道沿いに並んだ屋台を見やる。
参拝が終わってしまえば、こと初詣というものにほかにやることはない。やることはないけれど、集まる口実として友人と過ごすイベントというのが、学生たちにとってのもっぱらの認識である。
「バイト先で賄い食ってきたから、腹は減ってねーわ。それよか酒配ってねーのかよ、酒」
「酒じゃなくてお神酒だね。確かに、寒いし甘酒のひとつでもお腹に入れておきたいところだけど」
「友達と初詣……夢がひとつ叶いました」
「夢とかどうでもいいから酒探せって」
「そ、そんな……できれば栗花落さんも来てほしかったですね」
「年末年始のクラブは稼ぎ時だから無理に決まってんだろ」
「うう……すみません」
「蓮美ちゃんも甘酒の屋台探して……って、あれ、蓮美ちゃん?」
「えっ?」
千春に声をかけられて、蓮美ははっと振り返る。
「え、なに、千春ちゃん」
「お神酒か甘酒配ってるところ、見なかった?」
「ああ……それなら、社務所の方で見たような」
「そっか。おみくじも引きたいし、行ってみようか」
「うん」
蓮美は、ぼーっとしていた頭を振って、後に続いて歩き出す。
考えていたのはもちろん、クリスマスコンサートでの出来事だ。
――アメリカへ来て学ぶ気はないかい?
通訳された言葉しか知らないので、PJという大柄のアメリカ人が口にした内容そのままを蓮美は知らないが、言われた内容自体は疑いようがない。
(アメリカ……かあ)
あまりにも現実味がなさ過ぎて、蓮美は今でも他人事のような気持ちであの日のことを受け止めている。
アメリカと言えばジャズの本場であり、PJもその道のプロフェッショナルだという。そんな人物に認められたことは素直に嬉しいが、やはり、自分のことと考えると突拍子もなさすぎる。
そもそも、蓮美自身がジャズ専門のサキソフォニストではないというのもあるが、その道でプロを目指すという考え自体が、これまでの人生の選択肢には無かったことだ。
「お、やってんなー」
「涼夏さん、おみくじすごい並んでるから、先にそっち済ませちゃおうよ」
「あたしはいーよ、運試しなんか。馬鹿らしい」
「こういうのはみんなで引くのに意味があるんだってば」
「だったら、先に並んでろよ。酒貰ったら合流すっから。アルコールもなしに寒空の下でまた並んでなんてられっかよ」
「ええー。それじゃあ、みんなの分の甘酒も貰ってきてよ」
「それなら、わたしも一緒に行って運びますよ……?」
「ごめんね、緋音さん。お願いしちゃおうかな。じゃあ、私たちは先に並んでようか」
「うん」
流されるまま、蓮美は千春とともにおみくじの列に並ぶ。
涼夏の言う通り、参拝を終えて歩いているうちは良かったが、並ぶために立ち止まると肌に突き刺すような寒さが身に染みる。
おもわず、ぶるりと身体が芯から震えた。
「大丈夫?」
「う、うん。今年はいつもより寒いね」
「大寒波らしいよ。二月になったらもっと寒いって」
「うう……寒いのは苦手だなあ。チューニングも合わせにくくって」
「スネアやバスドラも微妙に加減が変わって『あれ?』ってなるよ」
「北国の宿命だねぇ」
「ところで……蓮美ちゃんは、まだ例の件考えてるの?」
「えっ?」
アメリカ行きのことを見透かされたような気持になって、どきりとする。
「フジロックだよ。そろそろ応募締め切りだったよね」
「あ、ああー。そっちね。うん……そう、だね」
蓮美は、口をもごつかせながら視線を逸らした。
「うん、考えてるよ。私は、今でも応募したいって思ってる。千春ちゃんは……まだ、実感がわかない?」
千春は、「うーん」と小さく唸ってから答える。
「今は、挑戦してみてもいいかなって思う」
「ほんと?」
「クリコンのあとから、緋音さんがすごくやる気を出してくれて、伸びて来てるし。バンドとしてのまとまりもすごくいい。今なら、オーディションで受かりそうな気がするって言うのは、うぬぼれかな?」
「ううん、いい! そういうの、すっごく大事だと思う!」
蓮美が食い気味に肯定する。
「結果発表の前から金だって確信するみたいな、そういうのあるよね」
「うん。流石に絶対勝てるっていう自信はないけど、本戦には残れるんじゃないかなって、そういう予感はあるかな」
「そう。で、本戦まで残れたら、秋じゃない? そしたら、バンドはもっともっと上手くなってると思うの。だったら、希望はあるよ」
希望――ふだんなら笑っちゃうような言葉だが、蓮美はあえてそう表現した。
何に対する希望なのか。
プロになれるかどうか?
それとも――
「ただ、応募するっていうなら、バンド全員が納得したうえじゃないとダメだって私は思う」
はやる気持ちを抑えるように、千春が落ち着いたトーンで諭す。
「私と蓮美ちゃんは、賛成派。確か、栗花落さんも参加自体は反対じゃないって言ってたかな。あとは、緋音さんと涼夏さん」
「緋音さんは……今の緋音さんなら、力になってくれるような気がする。問題は、涼夏さんか」
突拍子もなさ過ぎて、想像ができないといった風の千春たちと違って、涼夏だけは明確に参加に反対をしていた。
何が彼女をそうさせるのか、蓮美には分からなかったが、そもそもこのバンドの要は、結成当時から変わらず涼夏だ。彼女の首を縦に振らせない限りは、オーディション参加はあり得ないだろう。
「あたしがなんだって?」
「ひゃあっ!?」
蓮美が文字通り飛び上がった。
いつの間にか、両手に甘酒のカップを持った涼夏が列に合流していたのだ。
「ちくしょう、酒はこーんなカスみたいなおちょこ一杯しか配ってねーでやんの。仕方なく甘酒貰って来たわ」
「れも、おいしかったれすね」
「あ……緋音さんも飲んだんだ。大丈夫?」
「あいっ。わらしはげんきれす」
「緋音さん、ほんとお酒に強いんだか弱いんだかわかんないね」
ふたりが合流してしばらく、ようやく列は社務所の売り場までたどり着き、お守りやらおみくじやら各々が買いたいものを買う。
それから邪魔にならないように境内の端へ避けると、せーのでくじを開いた。
「お、吉」
「あたしも吉だ」
「あ! わらし、大吉れす!」
「おー、緋音さんすごい。蓮美ちゃんは」
「えっと、私は小吉だね」
なんだか微妙だな、と蓮美は苦笑するが、こういうのは中に書いてあることのほうが大事だと両親に昔言われたので、つらつらと書かれた内容に目を走らせる。
「願事――人の助けによってかなうことがあります。待人――来ますが、つれがあるでしょう。なんか、中身も微妙だ……」
二重でしょんぼりする蓮美だったが、その先の言葉を読んで少しだけ引っかかりを覚える。
争事――勝ちますが、あとで恨みをうけるかもしれません。
(これは……オーディションに勝てるってことでいいのかな)
あの規模のオーディションに勝てれば、それは恨みを受けることだってあるだろう。
(うん、そういうことだよね。だったら、すごくいい結果かも)
自分の状況と照らし合わせてそう解釈した蓮美は、多少前向きになりながらこれからのことに想いを馳せた。
まずはフジロックのオーディションに応募すること。
そのために涼夏を説得すること。
アメリカ行きの返事は、そのあとに決めればいい――と。