来る残暑。
このメンバーで何度訪れたか分からない東京の地に、ペナルティボックスの面々の姿はあった。
明日、都内のコンサートホールで行われるニュージェネレーション・アワードに参加するため。
そこで、来年のフジロックに参加する、新人オーディション枠のバンドが決定する。
流石に体調を考え、深夜バスはやめて前日入りした面々は、渋谷にあるアキオのライブハウスを訪れていた。
「すんません、お世話になります」
珍しく殊勝に頭を下げる涼夏に、アキオは豪快に笑いながらぽってりしたお腹を手で打った。
「都内のホテルたけ―からな。つっても、もちろん高級ホテルなみの設備はないから、寝袋で雑魚寝のご提供だが」
「十分すよ。風呂は適当にその辺で入ってくるんで」
「意外と銭湯あるからな渋谷は。今日は店も休みだから、適当にステージ使ってもらっていいぞ。最後の調整とかしたいだろ」
「あざーす」
涼夏はもう一度だけ頭を下げると、フロアの端っこに荷物を下ろす。
それに習って他の面々も荷物を下ろすと、特に示し合わせたわけでもなく、それぞれ自分の楽器を取り出して準備を始める。
「向日葵ちゃんたちは来ないのか?」
「ああ、あいつらは当日のリハが最終チェックなんで。現地集合すね」
「そっか。まあ、頑張れよ。んじゃ、俺は明日の朝またくるから。おやすみー」
そう言って、アキオは店のスペアキーを涼夏に渡して、その場を後にした。
「いやぁ、ありがたいね。ちょっと離れたところに宿取ることもできたけど、都内に越したことはないや」
「しかも練習スペースつき……至れり尽くせりすぎる」
千春と蓮美は、並んでアキオが出て行った入り口の方を拝む。
その背中を、涼夏が呆れたように睨んだ。
「さっさと練習すんぞ。つっても最終確認程度だけどな」
「あ、うん」
涼夏に急かされて、蓮美たちも準備を始める。
鞄から取り出した楽譜は、栗花落が仕上げてくれた新曲のアレンジ版だ。
とっくにソラで演奏できるようにはなっていたが、未だに微調整を重ねているので手元からは離せない。
「いい曲に仕上がりましたね。明日の発表が楽しみです」
「ありがと。明日のオーディションはお客さんが入るから、反応がちょっと怖いけど」
「大丈夫。少なくとも盛り下がることは無いよ。絶対に」
無意識か、それとも必然か、ここしばらくは蓮美・千春・緋音の三人がほとんどセットのように行動していた。
涼夏はディアロスのほうの準備もあって別行動をしがちなのに加えて、栗花落はあえて、三人とはやや距離を置いてバンドの中で中立を保っている。
涼夏の行動を発端に起こったバンド内の分裂は、目に見えた崩壊にはつながっていないものの、着実に温度感の違いを露わにしていた。
それからいつもよりも軽めの練習を終えて、戦闘で汗を流し、スーパーで総菜を買ってライブハウスで食事ととることにする。
外で食べても良かったが、ファミレスの類は案外込み合っていたのと、前日にごみごみしたところに行って風邪を貰っても困るということで、卓飲み決起集会となったのだ。
「とりあえず乾杯」
「乾杯!」
缶のアルコール飲料が、並んだ総菜の上で打ち鳴らされる。
しばらく無言でぐびぐびと中身を飲み込んで、誰からともなく「はぁ~」と感嘆の息がこぼれた。
「蓮美さんたちも、飲める歳になったんですね……感慨深いです」
「あ、えっと、千春ちゃんはね。私はちょこっとだけフライング」
ばつが悪そうに笑う蓮美は、低アルコールのカクテル缶で既にほんのりほろ酔い気分になっていた。
「大事な日の前だし、今日くらいは、ね」
「んなこと言って潰れられても困るぞ」
「つ、潰れないもん! 涼夏さんじゃないんだから」
いつしか、夜中に部屋に押しかけてきて好き勝手酒を煽っては爆睡していった日のことを、蓮美は今日まで忘れたことがない。
思えば、あの日が生まれて初めて飲んだアルコールだ。
涼夏の飲みかけの缶に触れた唇が、ほんのり熱さを取り戻す。
「緋音さんはそれ、何飲んでるの」
「スミノフです! 甘酸っぱくて飲みやすくて、最近のお気に入りです」
緋音が煽っているのはコンビニなどでもよく見かける、小さな瓶入りアルコールだ。
ラッパ飲みする用のドリンクとはいえ、緋音のような美人がアルコールを瓶で煽ってる姿はなかなかに強烈なものである。
「なんていうか、緋音さんが一番ロックの世界に順応したね」
「そ、そうですか? えへへ……嬉しいな。あ、クライナーも買って来たんですよ。あとでみんなでやりますか?」
半分は褒めていないのだが、本人が喜んでいるので蓮美はよしとした。
「栗花落さんって、お仕事がらいろんなお酒飲むと思うけど、一番好きなのって何なんですか? 私、飲み始めたばっかりなので参考にしたいなあ」
千春の問いに、栗花落は明後日の方向を見上げて少しだけ考え込む。
「確かにお店でお酒は飲むけど、ああいうところで飲むのはほとんどウイスキーかシャンパンばかりだもの。そんなに種類は知らないわ」
「ああ、そういうものなんだね」
「同じウイスキーなら、やっぱり日本のものは美味しいわね。日本人の口に合うようにできてるから当たり前だけれど」
「シャンパンはどうです? というかそもそも美味しいものなんですか?」
「それほどでもないかな。珍しいものではあるから、ありがたく頂戴はするけど、おいしいってはならないかも。まあ、お客さんの手前、美味しいとは言うけどね」
「流石RAiNさん、魔性の女です……!」
「ふふ、どちらかと言えば処世術ね」
「緋音はいい加減、なんでもかんでも栗花落を持ち上げるの卒業しろよ」
「そ、そんなこと言われても、わたしは永遠のファンなので……」
「ありがとう。そう言ってくれる人がいるから、RAiNもRAiNで活動は続けているしね」
「お仕事があって、ペナルティボックスにRAiNまで、大変じゃないの?」
蓮美が、やや真面目なトーンで尋ねる。
この中では唯一、生みの苦しみを知っているからこその問いだったが、栗花落の答えは実に穏やかなものだった。
「大変だからやらないという選択肢が、私の中にはなかったから。RAiNも栗花落も、どちらも私にとっては表現したい――残したい音楽だもの」
「……そっか」
残したい音楽、と言われると蓮美も少しだけ気持ちがわかるような気がした。
その言葉に背中を押されたように、彼女はすくりと立ち上がる。
「どうしたの、蓮美ちゃん?」
驚いたように見上げるバンドメンバーをぐるりと見渡してから、最後に素知らぬ顔で缶を傾ける涼夏を見た。
バチリと視線と視線が交わったのを確認して、蓮美は意を決する。
「私、アメリカには行きません」
そう、高らかに言い切った。
涼夏は、思ったよりも動じていない様子で静かに缶を口元から外す。
「それは、ニュージェネで勝つ自信がないってことか?」
「違います。ニュージェネは勝ちたい。ううん、みんなで勝つ。もちろん、涼夏さんの力も合わせて。ディアロスを――サマーバケーションを倒して」
蓮美は、ひと呼吸で矢継ぎ早に言い切って、一度大きく息を吸う。
「そのうえで証明してみせます。ペナルティボックスこそが、私たちにとって最高のバンドだって。涼夏さんがいて、私がいて、千春ちゃんがいて、緋音さんがいて、栗花落さんがいる。その誰が欠けても満足できない、最高のメンバーが揃ったバンドだって」
「外の世界も知らないで、んな小さくまとまったバンドの価値を、どうやって証明すんだよ」
「もう一度、〝好きだ〟って言わせてみせる」
力強く言い放つ。
それは、すべての始まりの言葉。
このバンドの何もかもが、あの日ひとりでサクソフォンを吹いていた蓮美のスタジオに、涼夏が飛び込んだ時から始まったのだ。
「もう一度〝好きだ〟って言った口で、それでもアメリカに行けって言うなら、私は行くよ。でも、言わせない。そのくらいの演奏を、明日、やってみせるから」
そう言って、蓮美は満足した様子で腰を下ろした。
これは提案ではなく、宣言なのだ。
涼夏の返事など知らないと、そういう意思表示だった。
「まあ……楽しみにしといてやるよ」
涼夏は、それだけ言って、それ以上は蓮美の宣言に口を出さなかった。
小言のひとつくらいは返される覚悟をしていた蓮美は、何も言わない涼夏がどことなく心配で、同じくらい薄気味悪くもあった。
しかし、最後は納得してくれたのだろうと前向きに解釈して、意気揚々と缶の残りをひと息で飲み切った。
決戦はもう目前だ。
すべての決着が、明日、つく。