「ペナルティボックスです。よろしくお願いします」
リハのステージに立つなり、涼夏が周囲のスタッフに向かって挨拶をする。他のメンバーもつられるように頭を下げると、今日立つステージの全容が目の前に広がった。
ずらりと並んだコンサートホールの客席。三階席まで並ぶ光景は、満席とはいかないが、それでも大半は埋まる予定らしい。まだリハーサル中なので証明はすべてついているものの、本番で暗くなれば、人の姿こそ輪郭しか見えなくなっても、数千の視線をより鮮明に感じることになるだろう。
挨拶もそこそこに、すぐにセッティングが始まる。コードを繋ぐ必要がある楽器はコードを繋ぎ、そうでない楽器はマイクの位置を調節する。それとは別にボーカル用のマイクと、МCを行う涼夏の前にもトーク用のマイクが設置され、高さを調節する。
リハーサルの時間は短い。他のバンドも含めてテキパキとこなさなければならないので、無駄な時間は過ごしていられない。
もちろん、スタッフもその道のプロなので、流れるような作業に淀みは無い。あっというまにセッティングが完了すると、音響担当が仮のボリュームを合わせて、音出しが始まった。
まずは『FIREWORK』。
足踏みをするようなポップなお洒落さのある立ノリの曲。
かつては、涼夏を前に出すことで意識的に完成した曲も、今ではいつも通りの立ち位置のままあの演奏を再現できる。
向日葵が書いてくれたときには無かった栗花落のバイオリンパートも追加され、一層、音に厚みと幅が広がったのも特徴的だ。
次に『屋根裏のサロメ』。
竜岩祭での初披露では、いろいろとトラブルもあったが、曲の完成度は折り紙付きだ。
その後に参加したライブでの評判はよく、〝ペナルティボックス〟としての暫定の代表曲と言っても過言ではない。
そして――
「次の曲、初出しなので通しでお願いします」
『Summer Vacation』。
今回のニュージェネ本戦のために用意した新曲。
蓮美が書いた歌詞とメロディを、栗花落がバンド用に編曲したそれは、失恋した失意の少女が、夏休みに新しい恋を見つけて輝きを取り戻すストーリー仕立てになっている。
失恋のダメージで身の回りのものが無味無臭無色に見えていた少女が、新しい恋を見つけて世界の〝色〟を取り戻していく。そこに夏の溌溂とした空気が加わって、エネルギッシュに歌い上げるものだ。
終わりと始まり。
未来への希望に満ちた、青春応援ソングである。
「――OKです! ありがとうございます!」
スタッフからのOKサインが出て、リハの手番は無事に終了した。
大きなハコにまだ大半が気圧されていた面々だったが、あっけない――というよりも、いつものライブと大差のない流れに、いくらか安堵したものだった。
ステージを次のバンドに明け渡し、会場を後にしようとしたとき、前方から近づいてくる人影があった。パンツスーツに身を包んだその女性は、首から来賓のタグを提げていた。
「涼夏さん」
「露木さん」
「お久しぶりです」
涼夏から露木と呼ばれた女性は、あいさつ代わりに会釈をしてから他のメンバーへと順に視線を向ける。
「初めまして。エーツー・エンタテイメントの露木と申します」
「はあ」
「涼夏さん……ああ、かつてのサマーバケーションのマネジメントとプロモーションを担当しておりました」
「ああ」
初見ではピンとこなかった蓮美も、そう付け加えられると以前、向日葵から聞いた話をぼんやりと思い出す。
露木は、メンバーひとりひとりに丁寧に名刺を配ってから、改めて涼夏へと向き直る。
「面白いバンドを創り上げましたね」
「……ありがとうございます」
「それに、ディアロスの件も。とても嬉しかったです。もう一度、戦ってみるつもりになってくださったことは。正直な話……涼夏さんには、嫌われていると思っていましたから」
彼女の言葉に、涼夏は静かに首を横に振る。
「嫌っちゃいませんよ。サマバケの解散は、あたしらがまだメジャーで戦うだけの力を持ってなかった――若かったってだけの話です」
「では、今はもう大人になった……と?」
「どうでしょう。根っこは相変わらずガキのままのつもりでいますけど」
そう言って涼夏は、どこか自信に満ちた挑戦的な目で露木を見つめ返す。
「ガキの過ごす一年間は、大人の何年にも値するもんすから」
「そうですか」
露木は笑顔で頷く。
「ニュージェネレーション・アワードの結果如何によらず、おそらくみなさんはいくつかのレーベルから声がかかるでしょう。ただ、もしよければエーツー・エンタテイメントを検討していただけると。それでは、本番のステージも楽しみにしています」
軽やかな足取りで去っていく背中を、涼夏が溜息交じりに見送った。
蓮美が心配そうに声をかける。
「涼夏さん……今の人のこと、苦手?」
「いや……あの人は、ふつーにすげー人だよ。サマバケ売って、イクイノクスも売って、ほかにもいくつもアーティストを手掛けてる」
「へぇ」
「あたしはむしろ迷惑かけた側だから、合わせる顔がねーってほうが近いのかもな」
他人事のように口にして、涼夏はまたひとつ大きなあくびをこしらえた。
対して、緋音は貰った名刺を見つめてわなわなと肩を震わせる。
「ここここれってスカウトってやつでしょうかかかか?」
「あー、まあ、ニュージェネの結果如何でな」
「でででででも結果によらず声がかかるっててててて」
「他のとこはな。でもたぶん、あの人はニュージェネで勝たなきゃ声をかけてこねーよ」
それは涼夏だけでなく、露木にとってもペナルティボックスとディアロストサマーを天秤にかけているということだ。
かつてサマーバケーションを手掛けたからこそ、そのメンバーが関わる両バンドを吟味するのは当然のことだろう。
それでもあえて〝こと〟の前に声をかけてきたのは彼女のなりの誠意と、一種の発破――いや、エールと言っても良いのかもしれない。
あと数時間で客が入り、ステージの幕が切って落ちる。
ニュージェネレーション・アワードの開幕である。