目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第110話 Summer Vacation

「ペナルティボックスです。よろしくお願いします」


 リハのステージに立つなり、涼夏が周囲のスタッフに向かって挨拶をする。他のメンバーもつられるように頭を下げると、今日立つステージの全容が目の前に広がった。

 ずらりと並んだコンサートホールの客席。三階席まで並ぶ光景は、満席とはいかないが、それでも大半は埋まる予定らしい。まだリハーサル中なので証明はすべてついているものの、本番で暗くなれば、人の姿こそ輪郭しか見えなくなっても、数千の視線をより鮮明に感じることになるだろう。


 挨拶もそこそこに、すぐにセッティングが始まる。コードを繋ぐ必要がある楽器はコードを繋ぎ、そうでない楽器はマイクの位置を調節する。それとは別にボーカル用のマイクと、МCを行う涼夏の前にもトーク用のマイクが設置され、高さを調節する。

 リハーサルの時間は短い。他のバンドも含めてテキパキとこなさなければならないので、無駄な時間は過ごしていられない。

 もちろん、スタッフもその道のプロなので、流れるような作業に淀みは無い。あっというまにセッティングが完了すると、音響担当が仮のボリュームを合わせて、音出しが始まった。


 まずは『FIREWORK』。

 足踏みをするようなポップなお洒落さのある立ノリの曲。

 かつては、涼夏を前に出すことで意識的に完成した曲も、今ではいつも通りの立ち位置のままあの演奏を再現できる。

 向日葵が書いてくれたときには無かった栗花落のバイオリンパートも追加され、一層、音に厚みと幅が広がったのも特徴的だ。


 次に『屋根裏のサロメ』。

 竜岩祭での初披露では、いろいろとトラブルもあったが、曲の完成度は折り紙付きだ。

 その後に参加したライブでの評判はよく、〝ペナルティボックス〟としての暫定の代表曲と言っても過言ではない。


 そして――


「次の曲、初出しなので通しでお願いします」


 『Summer Vacation』。

 今回のニュージェネ本戦のために用意した新曲。

 蓮美が書いた歌詞とメロディを、栗花落がバンド用に編曲したそれは、失恋した失意の少女が、夏休みに新しい恋を見つけて輝きを取り戻すストーリー仕立てになっている。

 失恋のダメージで身の回りのものが無味無臭無色に見えていた少女が、新しい恋を見つけて世界の〝色〟を取り戻していく。そこに夏の溌溂とした空気が加わって、エネルギッシュに歌い上げるものだ。


 終わりと始まり。


 未来への希望に満ちた、青春応援ソングである。


「――OKです! ありがとうございます!」


 スタッフからのOKサインが出て、リハの手番は無事に終了した。

 大きなハコにまだ大半が気圧されていた面々だったが、あっけない――というよりも、いつものライブと大差のない流れに、いくらか安堵したものだった。


 ステージを次のバンドに明け渡し、会場を後にしようとしたとき、前方から近づいてくる人影があった。パンツスーツに身を包んだその女性は、首から来賓のタグを提げていた。


「涼夏さん」

「露木さん」

「お久しぶりです」


 涼夏から露木と呼ばれた女性は、あいさつ代わりに会釈をしてから他のメンバーへと順に視線を向ける。


「初めまして。エーツー・エンタテイメントの露木と申します」

「はあ」

「涼夏さん……ああ、かつてのサマーバケーションのマネジメントとプロモーションを担当しておりました」

「ああ」


 初見ではピンとこなかった蓮美も、そう付け加えられると以前、向日葵から聞いた話をぼんやりと思い出す。

 露木は、メンバーひとりひとりに丁寧に名刺を配ってから、改めて涼夏へと向き直る。


「面白いバンドを創り上げましたね」

「……ありがとうございます」

「それに、ディアロスの件も。とても嬉しかったです。もう一度、戦ってみるつもりになってくださったことは。正直な話……涼夏さんには、嫌われていると思っていましたから」


 彼女の言葉に、涼夏は静かに首を横に振る。


「嫌っちゃいませんよ。サマバケの解散は、あたしらがまだメジャーで戦うだけの力を持ってなかった――若かったってだけの話です」

「では、今はもう大人になった……と?」

「どうでしょう。根っこは相変わらずガキのままのつもりでいますけど」


 そう言って涼夏は、どこか自信に満ちた挑戦的な目で露木を見つめ返す。


「ガキの過ごす一年間は、大人の何年にも値するもんすから」

「そうですか」


 露木は笑顔で頷く。


「ニュージェネレーション・アワードの結果如何によらず、おそらくみなさんはいくつかのレーベルから声がかかるでしょう。ただ、もしよければエーツー・エンタテイメントを検討していただけると。それでは、本番のステージも楽しみにしています」


 軽やかな足取りで去っていく背中を、涼夏が溜息交じりに見送った。

 蓮美が心配そうに声をかける。


「涼夏さん……今の人のこと、苦手?」

「いや……あの人は、ふつーにすげー人だよ。サマバケ売って、イクイノクスも売って、ほかにもいくつもアーティストを手掛けてる」

「へぇ」

「あたしはむしろ迷惑かけた側だから、合わせる顔がねーってほうが近いのかもな」


 他人事のように口にして、涼夏はまたひとつ大きなあくびをこしらえた。

 対して、緋音は貰った名刺を見つめてわなわなと肩を震わせる。


「ここここれってスカウトってやつでしょうかかかか?」

「あー、まあ、ニュージェネの結果如何でな」

「でででででも結果によらず声がかかるっててててて」

「他のとこはな。でもたぶん、あの人はニュージェネで勝たなきゃ声をかけてこねーよ」


 それは涼夏だけでなく、露木にとってもペナルティボックスとディアロストサマーを天秤にかけているということだ。

 かつてサマーバケーションを手掛けたからこそ、そのメンバーが関わる両バンドを吟味するのは当然のことだろう。

 それでもあえて〝こと〟の前に声をかけてきたのは彼女のなりの誠意と、一種の発破――いや、エールと言っても良いのかもしれない。


 あと数時間で客が入り、ステージの幕が切って落ちる。

 ニュージェネレーション・アワードの開幕である。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?