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第111話 August 20

 薄暗くなった舞台袖で、涼夏は前のバンドの演奏を横耳に、じっと仁王立ちを決め込んでいた。

 同様に、隣で澄ました顔で舞台の様子を伺う向日葵と、後ろの方で手持無沙汰にうろうろしている海月。

 ペナルティボックスメンバーと違って大舞台にも慣れたディアロストサマーの面々は、思い思いの立ち姿で自分たちの出番を待っていた。


「思えば、このメンバーで実際にステージに立つのは、解散ライブの時以来ね」

「そうだな」


 練習は十分に重ねて来たし、オーディションで対人の披露もした。

 しかしライブなどに参加はしていないのでお客の前で演奏するのは今日が初めてのこと。

 ただ、誰の胸にも不安はなかった。

 意図的に止めていた時計に電池を入れなおしたような、そんな心地だった。


「あえて聞くけど、ディアロスもペナボも、どちらも本気で臨んでくれてんのよね?」

「たりめーだろ」

「ディアロスが勝ったら、もう一度このメンバーでメジャー、やるのよね?」

「ああ」

「そ」


 ならいい、と言いたげに向日葵は会話をとぎる。

 すると、海月が後ろから肩をそれぞれ叩いた。


「もー、まじめな顔しすぎ。せっかくのお祭りだから楽しまなきゃ」

「心から楽しめるってなら立派な才能よ」

「えへへ、それほどでも」

「ほめ……てるのか、一応」


 呆れ顔で涼夏が彼女の手を振りほどくと、試すような視線で向日葵を見つめる。


「んで、今日の采配は? お前に従うってのが約束だから」


 向日葵は振り返って、しかしもう一度だけステージを遠く眺め直してから、改めて涼夏と視線を交える。


「抑える必要ない。全力でぶちかまして」

「良いのかよ」

「今日のリハで分かった。アタシはもう、アンタに〝抑えて貰わなきゃ〟張り合えないアタシじゃない」

「は……言ってくれんじゃん」

「二年近く燻ってたアンタとは、経験値が違うのよ」


 それは同時に、サマバケ時代には歴然とした差があったことも暗に認めるようでもあった。

 対等でありたかったあの頃。

 あろうともした。

 でも、それではバンドがまとまらなかった。


 一度、それぞれの道を歩いて、自分の実力と価値を見つめなおしたからこそわかる。

 高校時代の自分たちの未熟さ。

 しかし、未熟なりに音楽をやり通そうとした気持ちに嘘はつかなかった。

 だから解散し、そして今がある。


 やがて――入れ替わりでステージに立った三人は、ほぼ満員の客席を前に血が沸き立つのを感じた。

 緊張とも、闘志とも違う。言うなれば生の実感だ。自分という存在の意味が、この場所に確かにあった。


「ディアロストサマーです」


 音響のセッティングを終えて、センターに立つ向日葵がマイクに向かう。

 一瞬の会場の歓声。そして、彼女の言葉を待つように歓声の波が引く。


「挨拶の代わりに、まずは聴いてください」


 短いМCでセットポジションについた三人は、さっそく一曲目の演奏に入る。

 今回、向日葵はニュージェネ本戦に向けてセットリストの曲をすべて書き下ろした。

 もちろん、書類審査や二次審査のオーディションでは演奏し慣れたサマバケの代表曲も用いたものの、客を前にする本戦では新曲だけで臨むというのが、向日葵が自分自身に貸したタスクであり縛りだった。

 このバンドはサマーバケーションではなく、ディアロストサマーなのだと。

 明確なコンセプトの違いを意識していたわけじゃないが、少なくとも向日葵は「サマーバケーションの再結成バンド」とは認識していなかった。


 一曲目は、インストを中心にサビに多少のコーラスが入った〝演奏を魅せる〟ための曲。

 一分半ほどの短い中に、重厚でエネルギッシュなパフォーマンスを詰め込んだ、文字通り「導入」の楽曲だ。


 そのまま流れるように二曲目へと突入する。

 一曲目のハードな曲調から一転して、軽快なビートでギラついた闘争心を露わにする。

 向日葵の、聴き手を叱責するような激しいボーカルに三人の力強い音が乗れば、シュプレヒコールをも圧倒する。


(確かに……これじゃあ主役を喰ってやるどころじゃねーかもな)


 サマバケの頃は、本気を出せばセンターを喰ってやる涼夏のベースだったが、今は全力を出してなお、向日葵の圧とバチバチにせめぎ合う。

 振り落とされるつもりはさらさらないが、気を抜けば強烈な一発をお見舞いされて、主導権を完全に奪われてしまいそうな。


 向日葵もそれを分かっていて、決してセンターというリードを奪わせない。

 こちらもこちらで全力で喰い下がらなければ主役を奪われるのは、サマバケ時代に痛感している。

 バンドの顔は自分なのだという自尊心がある。しかし、それを力に変えるためには、立場を脅かす好敵手が必要なのだ。


「二曲続けて、ありがとうございます!」


 演奏と、スポットライトの熱とで大粒の汗を光らせて、向日葵が客席へ笑顔を振りまく。


「ディアロストサマーは、一度解散したバンドを再結成する形で生まれました。解散して離れている間、それぞれの人生を歩み、出会いがあり、夢見た将来もあり、手に入れた幸せもあった」


 弾む息を整えながら、彼女の語りが会場に響く。


「そうして、もう一度再会したアタシたちは、もちろんかつてのままとはいきません。だから再結成ではなく、新進気鋭の新しいバンドをイチから作るつもりで、今日まで音楽を創ってきました」


 水をひと口含み、間を作る。

 これもひとつの演出だ。


「しかし、再会を果たしたからと言って、一生をこのバンドと添い遂げるかはわかりません。また喧嘩別れするかもしれないし、結婚して引退なんてこともあり得る。未来のことなんて、誰にも分からない。ただ、その時その時の決断を後悔しないようにしたいと思う。今日こうしてこの舞台に立っていることだって、光栄なことであると同時に、必要なことだったんだって胸を張って言えるように」


 ふたりを振り返って合図を送る。

 最後の曲。

 今日のために準備してきた中で、トリはこれだと全員が自信を持って太鼓判を押した曲。


「このステージで演奏する最後の曲です――〝August 20トゥエンティ〟」


 二曲目の軽快なサウンドから一転、ムーディでどこか妖艶さの漂う湿った音がステージを包む。

 〝August 20〟という曲名を、最後に決定づけたのは涼夏だった。

 向日葵ははじめ、この曲を〝August 31〟と名付けた。

 意味はそのまま〝八月三十一日〟。要するに夏休み最後の日だ。

 しかし、曲を読んで曲名の意図を理解した涼夏が一声。


「夏休みの終わりって言えば二十日くらいだろ」


 それで、曲名は〝20トゥエンティ〟に定まった。

 冬休みが長い分、夏休みが短い北国にとっては八月二十日前後で二学期の始業式が行われるのが一般的だ。

 言われてみれば――と、向日葵も特に反対意見を示すことなく納得した。

 東京に拠点を移してから、すっかり首都圏の価値観に染まっていた彼女にとっても、原点であるサマーバケーションを思い出し、ディアロストサマーとして塗り替える上では、そうするのが良いと思ったのだ。


 オリエンタルな妖しさをも漂わせる〝August 20〟は、一言で言えばひと夏の浮気の曲だ。

 大好きで、若気の至りで将来をも考えている、大切な恋人がいる主人公。

 しかし、ひと夏の出会いが、その気持ちを大きく揺るがす。

 恋人がいるのに抗えない強烈な魅力を放つ相手に、次第に心が揺り動かされ、逢瀬を重ねていく。

 しかし、夏休みの終わりとともに、その関係にも終止符を打たなければならない。

 来てほしくない夏の終わり。それでも乗り越えなければならない、あってはいけなかった背徳的な恋。


 それまでの曲に比べれば比較的ゆったりとした曲調だったが、だからこそ一層、ひとつひとつの音の重さと響き、そして向日葵の強烈な歌唱力が発揮される。

 主人公の感情のうねりが、耳から脳へガツンと響いて揺さぶった。




「これがサマーバケーション……ううん、向日葵さんの曲なんだ」


 楽屋のモニターでステージの様子を眺めていた蓮美は、圧倒されると同時に、彼女たちが繰り広げる曲の世界にすっかりと取り込まれてしまっていた。

 奇しくも、自分が書いた〝Summer Vacation〟とは対極のような曲だった。

 終わりから始まりへと向かう曲と、始まりから終わりへと向かう曲。


 圧倒的な歌唱力と、ギターテクを発揮する向日葵。それを支えられるベーシストは涼夏しかいないのだと、見せつけられるようなナンバーに、思わず眼がしらに熱いものが込み上げる。


「蓮美ちゃん……大丈夫?」

「え? あ、うん。大丈夫だよ」


 心配そうに声をかけた千春に、蓮美は慌てて首を振る。

 悲観している場合ではない。

 この曲を越えなければ、自分たちの未来もない。


 それでも、どうしようもない不安――いや、敗北感がどうしても脳裏から離れなかった。

 仮にどんなに泣きわめいても、否定することができないのだ。


(だって……向日葵さんの隣で演奏する涼夏さんが、あんなにもカッコイイから)


 曲に取り込まれるのと同時に、モニターの中で演奏する彼女から、視線を外せなかった。

 その姿は、一緒に立ったどのステージの彼女よりも力強い存在感を放ち、輝いて見えたのだから。

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