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第113話 可能性は終わらない

 薄暗いステージで、足元を照らすわずかな光を頼りにセッティングが進む。

 会場スタッフがリハーサルで決めた通りにステージを準備してくれている中で、バンドメンバーはそれぞれの立ち位置で楽器の最終調整を行う。静まり返った客席は、それでも満席の熱と視線を放ち、演奏が始まる瞬間を今か今かと待ちわびている。


 やがて、舞台袖に引っ込んだスタッフが「OK」のサインを送ってくれたのを確認して、スポットライトに明かりが灯った。


 ひと言の挨拶もなく、千春のドラムビートを皮切りに『FIREWORK』が披露される。

 向日葵が書いた原曲を、栗花落がさらにアレンジしたNEWバージョンの『FIREWORK』は、ノリの激しさを増した一方で、伸びやかなバイオリンの旋律が落ち着いた大人の魅力を付け加えていた。


「ペナルティボックスだ。よろしく」


 曲を終えたのとほぼ同時に、ようやく涼夏がマイクに向かって名乗りを上げた。

 客席から、歓声と拍手があがる。


「地元、山形でバンドを結成したあたしたちは、大学生を中心とした学生ガールズバンド……ということになっている。ただ、これまでの活動ではずっと、肩書ではなく自分たちの音楽を聴いてもらうというのを大事にやってきた」


 涼夏のMCはいつだって台本がない。

 その場その場で言いたいこと、思いついたことを、そのまま口から発するだけ。

 だから、ライブによっては面白いこともあれば、微妙にハズすこともある。それもそれで「今日のMCは面白いかどうか」の博打のようで、決して多いとは言えない固定ファンの間では語り草になっている。


「見ての通り、ウチのバンドにはギターがいない。代わりにサックスとバイオリン。この構成に、特に理由は無い。なんとなく面白そうだと思っただけだ。そして、面白いだろ? って見せつけてやりたかっただけだ。だから、面白いバンドに出会った。面白い曲を聴いた。そう思って会場を後にしてくれりゃ、それだけでバンドを結成した意味がある」


 それは同時に、閉会後も覚えているようなバンドだっていう自信を持っての言葉でもある。

 裏を返せば「そういう演奏をしろよ」という自分たちへの叱咤激励だ。

 鏡に向かってけんか腰になるようにして、二曲目の『屋根裏のサロメ』へと入った。


 竜岩祭での演奏で、別の意味で語り草になったこの曲だったが、今回は同じ轍を踏みはしない。

 緋音だってベロベロの酔っ払いでなければ、演奏のほうもあの時よりもさらに上達している。

 時間は、バンドの中にも着実に流れていた。

 これから先だってきっとそうだろう。どのような速度でも成長はある。それでいいじゃないか、というのが蓮美の考えだった。しかし涼夏は違うと言う。

 あるいは、涼夏には既に自分に必要な成長の道筋か……そのきっかけのようなものが、見えているのかもしれない。


 動画としても拡散された『サロメ』は、曲としての掴みもよく客席も十分な温まりを見せている。

 後はこのまま、トリの曲である『Summer Vacation』へ雪崩れ込むだけ――だったが、そこで涼夏は大きくひとつ深呼吸を挟んだ。

 体力はある方だ。大汗をかいていても疲れが見えた様子はない。

 かすかな異変を感じ取った蓮美と千春に対して、栗花落と緋音はエールを送るような視線を彼女へと向ける。


「次で、最後の曲になる。これが、オーディションライブであって、もしもこのバンドに光明が当てられたら、それはどれだけ幸運でありがたいことだろうかと、そう思う。もちろん、そのための準備もしてきたし、自信だってある。ただ――」


 そこで言葉を詰まらせて、涼夏は生唾を飲み込む。

 次の言葉を発したら、後はもう止まることはできないのだと自分でも分かっていたから、最後の良心――いや、後悔だった。


 涼夏だって、本当はこのバンドを続けていきたい。自分で始めたことだ。最後までやり遂げたい気持ちも、義務感も、希望だってある。それでも、このままじゃ後悔することになるとも思た。

 もっと先に、もっと素晴らしい音楽があるのに、そこへたどり着くのを諦めてしまうような。


 諦めることを、自分は許せるのか。

 無理だ。


 音楽に嘘はつきたくない。

 〝好きだ〟と感じた音にも、嘘をつきたくない。


 殻を破る意志を証明するために、自分に何ができるかを考えた。

 答えはあった。

 今の自分が、物語の終着点じゃないということを示すための、大変だけど大きな一歩。


「今日この日に、すべてを賭けたつもりはない。単なるビッグマウスに聞こえるだけだとしても、今日という日を越え、結果を出した先に、自分たちのやりたい音楽ってやつがまだまだ、途方もなく続いてると思ってる。可能性に終わりはない。終わらせたくない。だから、この曲をやる――『Summer Vacation』」


 今日のために、何度も練習を重ね、編曲にも微調整を重ねて来た勝負曲。

 走り出すようなドラムロールから、あふれ出すサクソフォンの音色はどこか夏の校舎に響くブラバンのようで。虫の音のように美しく一定の音を奏でるバイオリンの旋律に、前奏から一気に爽やかな夏の景色がはじけ飛ぶ。

 その中で、さながらベースは人々の雑踏であり、緋音のボーカルは、雑踏の中に一人たたずむ「私」であり「あなた」だった。

 曲の構成は、向日葵の書いた『FIREWORK』を彷彿とさせる。


 突然の失恋に苛まれる「私」は、夏の喧騒のど真ん中でひとりぼっちになり、この瞬間、世界に取り残されてしまったような孤独を感じずには居られなかった。

 すべての色が灰色に見えて、時間すらも止まるどころか逆行したように感じる中で、「あなた」との出会いにもう一度世界の色を取り戻していく。


 世界の見え方が変わったのを表すように、曲調もそこからガラリと変わっていく。その境目で、呼吸を確認するように緋音が涼夏を振り返った。

 涼夏はベースを爪弾きながら小さく頷き返すと、片足を一歩前に踏み出し、身を乗り出すようにマイクに向かう。


 そうして一声――歌詞を、緋音から引き継ぎ、歌声を会場に響かせた。


 驚いて振り返った蓮美は、演奏こそ淀みなく続けるものの、穴が開きそうなほどの視線を彼女へと投げかける。涼夏はその視線に応えることはなく、まっすぐ逆席を見つめて緋音の歌声に自らのそれを重ねる。


 「私」を緋音が。「あなた」を涼夏が歌い、かけあうデュオ。

 その様子に驚きを隠せないのは、ステージ上の蓮美ばかりではなかった。


「うそ……りょーちゃん、歌ってる。え、りょーちゃんだよね、これ」

「そうに決まってんでしょ。でも」


 楽屋でモニターを見守る海月や向日葵が狼狽えるのはもっともだ。

 何と言っても二人の間では、そしてペナルティボックスのメンバーの間でも、涼夏はドが何個ついても疑いようのない音痴で通っていたのだ。


「頼みがある。あたしに、ボーカルを教えてくれ」


 涼夏がそう栗花落に頼み込んだのは、二次審査でディアロストサマーの存在が皆に明かされてから、すぐのことだった。


「緋音のこと見てやってるだろ? あれを、あたしにもやってくれ」

「それは構わないけれど、そこまで専門的なことはできないわよ?」

「専門的なことなんているもんか。そもそも、もっと前提の、初歩の初歩で躓いてんだから」


 涼夏の願いは、ほとんど音痴の改善と言っても良かった。

 そもそも論として、世間一般で言われる音痴というものは、練習によって直せるものである。

 メジャーデビューを果たしている有名な歌手でも、昔は音痴だったという人も少なくない。

 練習と、克服する意思さえあれば、少しずつ、いつかは改善できるものだ。


「どうしていきなり、治そうだなんて」


 それまでベース一辺倒だった涼夏の申し出に、栗花落が疑問を抱くのももっともである。

 涼夏はその問いに、ひたすら実直に、偽りのない言葉で答えた。


「そんくらいのを見せなきゃ、頑固野郎の横っ面をひっぱたくこともできないと思って」


 涼夏にとって、挑戦でもあり新しい一歩でもあった。

 もちろん、別にこのままボーカリストを目指したいわけではない。

 しかし、可能性や未来を決めつけることなどない、できない、それを証明したかった。


 『Summer Vacation』は、定番のABサビを繰り返す曲ではなく、曲の終わりまでメロディもサビもすべてが常に変わり続ける、組曲のようなテイストが何よりの特徴だった。その変化の起爆剤として、涼夏のサイドボーカルが「あなた」として曲に新しい色を載せる。


 蓮美の描いた曲は、まったく別の意味と色を持つ。


 「私」の主観だけでなく、「私」を色のない世界から手を引き、連れ出してくれた「あなた」の優しく力強いエール。

 希望だけでなく、確かに未来に足を踏み出していく、一歩の力強さ。

 踏み出すことを恐れる必要などないという、背中を押してくれるような力強さ。


(そんなの――)


 演奏を続けながら、蓮美は自分の奏でる曲が、たった今初めて聴いた全く新しい曲のような錯覚に陥っていた。

 本当は、涼夏をぎゃふんと言わせるために書いた曲だ。

 やっぱりこのバンドは最高だって。ずっとやっていきたいって。

 けど、旋律ひとつ変わっていないというのに、まるっきり喰われてしまった。

 ぎゃふんと言わされたのは、自分の方だと、解らされてしまった。


(――そんなの、応えるしかないじゃん)


 卑怯だって、心の中で罵った。

 だけど、それ以上にあふれ出した感情が、肺を通して息に溶け込み、抱えるサクソフォンへと吹き込まれる。


 自分の書いた曲を、喰われたままじゃいられない。

 涼夏の無法に、真正面から合法的に突っかかれるのは、今ここでステージに立っている自分の役目であり、特権だ。

 今この瞬間、自分だけが持つ権利なのだ。

 他の誰にも渡さない。

 負けない。


 はじめて学校のトイレでゲリラセッションをした日から、ふたりの音楽はいつだってそうだった。

 どちらも譲らない意地の張り合い。


 涼夏は、本当ははじめから負けたと認めていた。

 蓮美も、この人には敵わないと思わされたから、バンドに加入した。


 互いに負け続けた今日までの日々から、本当の意味で一歩前に踏み出すために。

 たった今、この音楽が必要だった。


 今度こそ、勝つために演奏するのだ。

 ステージの向こうではなく、ステージの端と端で投げつけ合う、この子供の喧嘩のようなステージが。

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