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第114話 ロックンロールのその先へ――

 三度目の夏が来た。

 例年に比べれば、多少なり日差しの和らいだ夏だったが、日本の酷暑の正体と言えば厳しい湿気だ。それも標高の高い山間の、夏のスキー場となれば、いくらかマシなもので。ジーワジーワと響く蝉の合唱も、心地よい環境音の一部として感じられた。


「涼夏」


 ゲレンデの芝生に腰を下ろして、ぼんやりと青空を眺めていた涼夏に、歩み寄った向日葵が声をかける。


「何やってんのよ。もうテントに集まる時間じゃないの?」

「あ? あー」


 ぼんやりしていたのは頭の中もそうだったようで、涼夏は気の抜けた返事をしながら、スマホを取り出して時間を確かめる。


「テメーらと違ってまだ時間あるから良いんだよ。てか、会場が違うだろそもそも」

「善意で声かけてあげたのよ。感謝なさいよ」

「そうですかい」

「向日葵さーん!」


 遠くから、人込みの雑踏の中で、ダリアが両手を頭上高く振りながら声を上げる姿が見える。

 その身体を、傍に立つ菜々が抱えて「高い高い」してあげようとしたのに、ダリアが怒って文句を言い始めているところまで、涼夏たちのところからハッキリと見えた。


「イクイノクスは〝お呼ばれ〟か。いい御身分だな」

「そりゃ、ヒットチャートで飛ぶ鳥を落とす勢いのイクイノクスですから?」


 ここ半年のイクイノクスの躍進は凄まじかった。

 晩夏に公開されたCMタイアップ曲がチャートの上位入りしたかと思えば、その後のアルバムが大ヒット。そして現在、数か月後にロードショーを控えた邦画の主題歌を務めることになり、今日はその新曲を引っ提げての堂々たる参戦だった。


「とか話してる間に、お迎えが来たみたいね。それじゃ」


 向日葵は、手をひらひらと振りながらダリアたちの方へと歩み去っていく。

 入れ違いに、栗花落が涼夏のもとにやってきた。デニムパンツにタンクトップという、この場には適しているが、いつもに比べればラフな格好だった。


「今の、向日葵さん?」

「ああ。イヤミな自慢だけして帰ってったよ」

「ふふ。イクイノクスに意識されてるっていうなら、光栄なことじゃない」


 差し伸べられた栗花落の手を取り、立ち上がった涼夏は、お尻についた木っ端を払ってうんと固まった背筋を伸ばす。


「どれ、行くかあ」


 そう言って歩き始めた足取りは軽く、ちょっと近所のコンビニに行ってくる、くらいのものだった。


 指定されたテントに向かうと、忙しなく駆け回るスタッフたちの喧騒の中で、のんびりと談笑する蓮美と千春の姿があった。


「あ、栗花落さん、涼夏さん見つけた?」

「ええ。ゲレンデでぼんやり雲を眺めてたわ」

「え、遅れて来た青春?」

「そんなんじゃねぇよ」


 にこやかに語る千春の軽口に、涼夏はうんざりした顔で吐き捨てる。


「それよか、緋音はどこ行ったよ」

「トイレに行くって言ってたけど」

「一人にして大丈夫かよ」

「そんな、子供じゃないんだから……」


 擁護する千春だったが、いや、でも、緋音さんだしなあ、と浅はかな自分の考えを脳内で払拭する。

 代わりに、焦燥感でそわそわしだしたところで、緋音がテントに戻ってきた。


「あ……みなさん、お揃いで。やっぱ、人数分買ってきて良かったぁ」

「緋音さん、何買ってきたの?」


 蓮美に尋ねられ、緋音は持っていたレジ袋からがちゃがちゃと小さな小瓶を取り出す。


「じ……じゃーん。よりどりみどりクライナー」


 ちょっと恥ずかしそうにしながら並べたのは、カラフルな小瓶のアルコール飲料だった。


「せ、せっかくのフェスなので……みんなで乾杯したいなって思いまして」

「あ、緋音さん、お酒に頼るの辞めたんじゃなかったの?」

「こ、これは、頼るんじゃなくて、楽しむために飲むお酒です……っ!」


 謎の力説をかます彼女に、メンバー一同なんとも言えない生暖かい視線を送る。

 これは、強くなったと言って良いんだろうか。それとも斜め上に悪化したと言ったほうが良いのだろうか。


 しかしながら無下にすることにもできず、涼夏が先陣を切って小瓶を取る。


「まあ、タダ酒を飲まねーって選択肢はねーんだけどな」

「涼夏さんがそう言うなら……仕方ないなあ」


 釣られるように、蓮美たちもそれぞれ瓶を手に取る。

 色と名前だけじゃ何味かもよくわからないお酒だが、まあ飲んで死ぬと言うことは無いだろう。


「それじゃあ――」


 何の口上も無いのもと思って口を開きかけた瞬間、ポケットのスマホが震える。

 涼夏は「悪い」と口を挟んで通知を確認した。

 タツミさんからのメッセージだった。


 ――みんなでステージ楽しみにしてる。


 それだけ書かれたタイムラインに、続いて一枚の写真が送られてくる。

 そこには、正面に〝シリコンバレー〟と書かれた古ぼけたバンドTを着て、肩を抱き合う三人の姿があった。


 パツパツのお腹で豪快に笑うアキオ。

 嘲るような厭味ったらしい笑顔を浮かべたタツミ。

 そして二人に挟まれるようにして、申し訳なさそうな半笑いを浮かべる中年の冴えない男。


「……はっ」


 思わず、乾いた笑みがこぼれた。

 本当にしょうもない。だけど、見たら見たで憎む気にもならない。

 ただ音楽が好きなだけ。その一点だけは、確かにつながっているんだろうなと、涼夏は半ば諦めるように納得した。


「涼夏さん、どうしたの?」


 きょとんとして尋ねる蓮美に、涼夏は何でもないと首を振ってスマホを仕舞う。


「それよか、口上ならお前が言えよ。事実上のラストライブだろ」

「え!? そ、それ、今言う!?」


 蓮美はぎょっとしながら、狼狽えたように視線を泳がせて、最後にこほんと咳ばらいをする。


「ええと……その。まずは今日、みんなとここに居られることが、何よりも嬉しいし、楽しみでした」

「なんだよその、とってつけたような真面目な挨拶は」

「だ、だって、いきなり口上を言えとか言うから!」


 しかしながら、かしこまり過ぎたのは自分でも否めない様子で、恥ずかしそうに頬を染めながら蓮美はもう一度仕切りなおすように咳払いをした。


「あの……あとひと月ほどしたら、私はアメリカに発ちます。今でも夢物語みたいな話だけど、それでも、こうやって挑戦する機会を得られたのも全部、このバンドのおかげだと思ってる」


 蓮美の言葉に、一同は静かに耳を傾ける。


「音楽には、いい思い出も、悪い思い出もある。でも、それは私だけの特別な感情なんかじゃなくて、みんなひとりひとり、それぞれに経験してること。辛くて、苦しくて、でも、それでも楽しい瞬間があるから。それを忘れられなくって、私はずっと、音楽をやってきた。今日は私たちの音楽で、その、楽しい瞬間を会場のみんなに届けられたらなって思う。そして――」


 そこまで口にして、蓮美の言葉に湿っぽい嗚咽が混じった。

 それでも言葉にすることは止めたくなくって、大粒の涙と一緒に絞り出すように声をあげる。


「私にとっても、今までで一番楽しい瞬間になるから。するから。ペナルティボックスが……みんなが大好きだから! その……今日は、よろしくお願いしますっ! 乾杯っ!」


 最後の方は言葉がまとまらなくって、無理やり締めて乾杯の音頭とした。

 みんなもそれをくみ取って、掲げた小瓶の中身をひと息ですべて煽る。

 アウトドアテーブルの上に並んだ空き瓶には、代わりにフェスの熱気をいっぱいに詰め込んで、持ち帰ることさえできそうだった。


「……まあ、一個だけ訂正しとくか」

「え?」


 目元をぬぐい戸惑った視線を向ける蓮美に、涼夏は何の気も無しに言い添える。


「あたしたちは、音楽をしに来たんじゃねぇ」

「……あ」


 その言葉に、蓮美は目を丸くしてから、すぐに闘志に満ちた視線を涼夏に返す。

 他のメンバーたちも、倣うように笑顔で頷く。


「そうだね。私たちはロックバンドだもん」

「ああ。あたしらは今日、ここに、この場所で――ロックケンカしに来たんだ」


 涼夏の言葉を胸に刻み、一同は控えのテントを後にした。

 あとはもうステージに上がるだけ。

 大勢の客と、声援と、そして自分たちだけの、自分たちのための時間がそこにある。


 今日ここが〝ペナルティボックス〟の完成する場所なのだと。

 自分自身に嘘をつきようもなく、涼夏は確かな確信のもとで、ステージへと続く階段に足をかけた。

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