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第34話 刺激の強いものは避けたいのです

こんばんは。

今週も時間ができましたので、

統合失調症エッセイを書きに来ました。

今週などはかなり気温が上がったように思います。

4月も下旬になりますので、

桜も散って、新緑の季節になろうとしています。

初夏の気配すら感じられるようになってきました。

気温がいきなり上がりましたので、

体調を崩されている方はおられませんでしょうか。

また、4月に環境が変わって、

緊張状態が続いていた方は、

そろそろどっと疲れが出てくる頃かと思います。

可能な限り、よく休まれて、

その日の疲れはその日のうちに何とかできればと思います。

疲れが溜まりますと、

言葉はよくありませんが、疲れの負債状態になる気がします。

いきなり疲れが全部取れる魔法などはありませんので、

毎日しっかりおやすみになられて、

疲れは残さないようにされてください。

年齢を重ねてきますと、どうしても疲れが残りがちになりますが、

なんとか睡眠時間を確保しておやすみになられてください。

いろいろなすべきことがおありかと思いますが、

可能であれば、睡眠時間を確保したうえで使える時間を逆算されてください。

疲れる季節は、睡眠がとっても大事だと私は思っております。

いろいろなことができることはとっても素晴らしいことですが、

しっかり休めることも素晴らしいことです。

皆様の心身を元気に保つためにも、

疲れやすいこの季節、しっかり休まれてください。


さて、今回の題材です。

刺激の強いものは避けたいのです、です。


統合失調症になっての症状かはわかりませんが、

強い刺激があるとノーガードでダメージが来るような気がします。

刺激に対して過敏になっているように思います。

思いつく限り、刺激が強いなというものを列挙しますと、


 SNSの強い言葉。ともすれば罵倒。

 ネットではないところの大きな声。

 とにかく大きな音。音楽や騒音に限らず大きな音。

 ショッキングな動画や画像。グロテスクなものや死や傷など。

 誰かがひどい目に遭うようなもの。


大雑把にこんな感じです。

味覚に関しては激辛でなければ美味しくいただけますので、

おもに視覚と聴覚の刺激が強いのがしんどいのかもしれません。

そこに、心理的な刺激の強いのも加わると多分ダメです。

もしかしたら、触覚の刺激が強いのもダメなのかもしれませんが、

触覚に関してはそもそも刺激の強いものは触れていないので、

そのあたりは多分大丈夫です。


さて、視覚や聴覚に関して、さらに心理的な刺激に対しても過敏ですが、

こうなりますと、SNSは見ていると疲れてしまいます。

旧Twitterなどは、スクロールさせるたびに、

強い言葉であったり、刺激の強い画像が流れていったりして、

また、フォローしている方のお話などがなかなか見つからなくて、

スクロールさせるのですが、

その度に疲れ切ってしまいます。

たくさんの情報をちゃんと選べる方には向いているのだと思いますが、

私には疲れてしまう要素がたくさんで、

心身ともに疲弊してしまいます。


他にも、執筆の際には、

気にならない程度の音をかけることが多く、

YouTubeでそのような音源を見つけては、

裏でかけながら執筆をしています。

夏であれば涼しい氷の音が流れるものや、

冬であれば暖炉の炎の音や、

ASMRの音源のものもかけます。

ASMRもほどよく聞き流せる程度のものが好きです。

素材に触れている音を高感度マイクで拾ったものとか、

まるで頭の周りを触れられているような音がするとか、

思考の邪魔をしない程度の雑音がかすかに流れるとか、

そういったものが好みです。

時間がある時などは、

動画を見ながらのASMRを楽しみます。

癒しのものが特に好みで、

視覚と聴覚が癒されていますと、

刺激に過敏になっている私はとても楽になります。


世の中はいろいろな刺激に満ちています。

それを善悪というわけではありませんが、

私には刺激がすごい勢いで飛び込んでくるように思います。

もともと、統合失調症でいつも思考が脈絡なく渦巻いているところに、

外からどんどん刺激が入ってきますと、

混乱はさらにひどいことになります。

思考がめちゃくちゃなところが、

さらにひどくなってしまいますし、

それは決してポジティブなことではありません。

ネガティブなことばかり考えるようになってしまいます。

外からやってくる刺激に、私の責任はないのですが、

とにかく自分を責めるようになります。

このあたりは統合失調症の症状なのかもしれませんが、

私というものが、この世界に影響を及ぼしていると考えてしまうのです。

私というものが、ものすごく拡大していくような症状かもしれません。

世界は私を見張っているという感覚を持つこともあります。

誰かがこちらを見ていますと、

私のことを何か思ったに違いないと考えることもありますし、

誰かがしゃべっていますと、

私のことを何か悪口を言っているに違いないと思うこともあります。

このような統合失調症の症状持ちですので、

世界がたくさんのひどい刺激に満ちているのは私の所為だと考えてしまいます。

私が死ねば世界は平和になると考えることもあります。


ここまで考えが極端になる時は、

大抵私自身が疲れている時です。

統合失調症なり立ての時は、とにかく刺激を少なくして、

引きこもりになっていましたが、

今では、思考が極端になってきているときは、

まずいなと思って、休むようにしています。

休んだうえで、刺激を可能な限り減らします。

しばらくすれば落ち着いてきますので、

ああ、疲れていたんだなと再確認ができます。

統合失調症で脳がポンコツですので、

このあたりは脳の癖なども把握したうえで付き合っていかないとなと思います。

刺激の強いものが苦手であるならば、

避けられるものは避けて、思考がネガティブになりがちな疲れはしっかり癒す。

私が心地よく生きるために、

私なりにどうすればいいかを日々考えています。


現在、契約もしていないのに複数連載していますが、

書かずにはいられないんですよね。

執筆することで、強い刺激を受けたショックを和らげられるような気がします。

もしかしたら、ショックを客観視できるのかもしれませんし、

強い刺激を刺激のないくらいのものに落とし込めるようになるのかもしれません。

執筆という思考の使い方は、

私の頭の中を書き写すものであると同時に、

私の思考の整頓でもあります。

強い刺激でめちゃくちゃになっている状態を、

そこそこわかりやすい状態に持って行くのに、

やっぱり執筆は必要なのだなと思います。

もともと統合失調症なので頭の中はめちゃくちゃです。

頭のめちゃくちゃを整えるためには、いっぱい執筆しないと落ち着きません。

体力が続く限り執筆してしまうのは、

頭の中の言葉をとにかく外に出したいからかもしれません。

まぁ、執筆に疲れましたら、しっかり休みますのでご心配なく、です。


さて、今回は統合失調症の私と強い刺激についてでした。

刺激の強い世の中にはついていけませんが、

なんとか今日も生きてます。


次回も時間がありましたら、

統合失調症エッセイを書きに来ます。

いつになるかはわかりませんが、

次回があるようにがんばります。


ではまたいずれ。

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