こんばんは。
今週も時間がありましたので、
統合失調症エッセイを書きに来ました。
日曜予約投稿予定ですが、
書いている今は土曜の夜で、
お酒が入っています。
本来統合失調症のお薬と、お酒は相性よくないので、
飲まない方がいいのですけれど、
すみません、大雑把な自己判断して飲んでいます。
いいわけしますと、
健康診断の血液検査において、
肝臓の値はすべて正常値なので、
肝臓に負担はかかってないよねと、
勝手に大雑把な判断をしております。
まぁ、今回もゆるっとエッセイを書いていきます。
酔っているのでめちゃくちゃになると思います。
力抜いていきましょう。
今回のタイトルとは別件のことですが、
物心ついたときから、
視界に何やらふよふよ浮いていました。
なんだかよくわからないけれどそんなものだろうと思って、
この年になるまで放置し続けていました。
さて、ネオページのとある作品におきまして、
飛蚊症という言葉を知りました。
飛蚊症について検索して調べましたところ、
私がいつも見ていたものと一致している上に、
放置はよくないとありまして、
やばいと思って眼科に行ってきました。
一通り検査などを受けましたところ、
9割がた、問題ない飛蚊症であるようです。
また、飛蚊症を治すお薬はないそうです。
付き合っていくしかないようです。
視界に何かが漂っていても、
気にしないでいくしかないようです。
ひとまず安心ですが、
視界はいつもぼんやりと何かがいます。
問題ないので気にしないで行きましょう。
さて、今回のタイトルですが、
親知らずの苦行、です。
人によるかと思いますが、
親知らずが生えてきたとき、
激痛が走った方がいたかと思います。
また、親知らずを抜く時に、
それなりに大変だったかともいたかと思います。
親知らずの根が深いと、
大手術になった方もいたかもしれません。
一般的に、苦痛なく親知らずが生えるのはラッキーなのかもしれません。
骨格などありますから、一概には言えないのですけれど。
とにかく、親知らずで苦しんだ人は、
かなりの数いるかと思います。
私も親知らずで苦しみました。
ある時、歯に激痛が走り、
その激痛を耐え続けました。
誰もこの痛みに気が付いてくれない。
私は生きているだけで罪だから、
この痛みは罪に対する罰だ。
痛みを受け続けないといけない。
誰にも痛みのことを言ってはいけない。
私は罰を受け続けなければならない。
そんな気持ちで親知らずの痛みを耐え続けました。
左右の奥の歯、上と下、計4本。
全ての痛みを繰り返し受け続けました。
それはもはや苦行です。
誰にも言わず、一人で罰を受け続けなければいけないと思い込んでいる、
そんな苦行です。
当時の私は、生きていることがよくないことと思っていました。
生きていては迷惑しかかけられない。
迷惑をかける存在は生きていてはいけない。
生きていることは罪である。
苦行は全て生きていることに対する罰である。
そんなことを思っていました。
眠れないほどの痛みが何度も繰り返されました。
私はこの苦しみを受け続けなくてはならない。
誰にも言わず、ひたすら耐え続けました。
当時は実家住まいで引きこもりでした。
引きこもりは迷惑をかけているから、
誰にも何も言ってはいけない。
親に迷惑をかけてはいけない。
引きこもりの時点ですでに迷惑をかけている。
それ以上迷惑をかけてはいけない。
また、生きていることがすでに迷惑である。
もっと苦しまなくてはいけない。
そんな気持ちでいました。
親知らずの痛みは、相当なものでした。
痛みとは、ストレスです。
親知らずの痛みが快楽に向くようなことはないように思います。
ひたすらストレスが続きます。
全ての親知らずが生えるまで、
長いこと苦行が続きました。
その間、私は自分に対する罰だと思い続けました。
生きていることに対する罰、
迷惑をかけていることに対する罰、
この苦しみに終わりがあってはならない。
ずっと罰を受け続けなければならないし、
助けてくれる存在はいてはいけない。
そんなことを考えていました。
おそらく、その苦行を通して、
私の脳はストレスにさらされ続け過ぎて、
本格的に壊れたのだろうと思います。
統合失調症になる素質はあったのでしょうが、
派手に壊れたのは、そこだったのかもしれません。
かなり長いこと、親知らずの痛みを受け過ぎて、
また、偏った考えに固まり続け過ぎて、
私の脳は派手に壊れたのだと思います。
苦行の果てに神や仏を見るということがあるとは聞きますが、
私の場合、とにかく私への罰だと感じていましたので、
私を壊す方向へと向かいました。
神も仏も見えませんでした。
助けてくれる存在も見えなくなっていました。
それから引きこもりを続け、
心療内科に通いつつ、
生きることを取り戻してきました。
そんな折、歯医者に行くことを思い立ちました。
当時は車の免許も持っていなかったので、
自転車でいける距離です。
歯医者にかかったところ、
ひどい虫歯と親知らずが生え切ったものが見つかりました。
笑える話ですが、
そこで初めて、私が苦しんでいたことが、
親知らずであったと気が付いたのです。
罰でも何でもありません。
ただ親知らずが生えてきただけだったのです。
歯医者に行けばすぐに処理ができるものだったのです。
耐える必要はなかったのです。
苦行にすることはなかったのです。
苦しいならばお医者様に行けばよかったのです。
その当たり前の事実に行きつくまでに、
かなりの遠回りをしました。
誰にも言わずに苦しみ続けて、
苦行で脳を壊す必要はなかったのです。
無駄と言えば無駄なことでした。
愚かなことでした。
今は、心療内科でお薬をもらいつつ、
ポンコツの脳と付き合っていっています。
苦行やその他もろもろで派手に壊れた脳ですが、
なんとかゆるく付き合っていっています。
脳は死ぬまでお付き合いするものです。
いつも私とともにあるものであり、
私そのものでもあります。
私と切り離せないものです。
どれだけ壊れましても、替えはききません。
また、身体につきましても、
私の身体のスペアはありません。
大事に付き合っていかなければなと思います。
苦しみは少ない方がいいです。
痛みや病気は早めに対処した方がいいです。
それが罰だと思い込まずに、
苦しまなくていい方法を探した方がいいです。
過剰なストレスは脳を壊します。
脳が壊れるとつらいです。
このエッセイを読まれている皆様に関しましては、
つらい思いをされたくないと思います。
お身体を大事になされてください。
苦行の果てに神や仏が見えるのは、
錯覚かもしれないし、
これだけの苦行をしているのだから、
それが見えないとと思っているのかもしれません。
また、過剰なストレスが見せた幻かもしれません。
身体を痛めつけて得られるものが、
神や仏かと言うと、
私はちょっと疑っています。
宗教に詳しいわけではないので、
私は疑っている、程度にしています。
ただ、苦行で脳が壊れますと、
ありえないことを考えたり、また、見るかもしれません。
そんな可能性を私は考えてしまいます。
今回は親知らずのお話でしたが、
皆様におかれましても、
不調がありましたら、
かかりつけのお医者様にかかられてください。
最初のあたりに書きましたように、
飛蚊症だったけれど大丈夫というケースもあります。
飛蚊症で大変なケースもあるかもしれないので、
大丈夫だったらそれでいいね、で、いいんです。
苦しみは少ない方がいいです。
取り返しがつかなくなる前に、
なんとかできたならばそれがいいんです。
可能であれば脳が壊れてしまう前に、
ストレスを受け過ぎておかしくなってしまう前に、
心も身体も治した方がいいのです。
健康であればそれが一番いいです。
治るのであればそれがいいです。
生きて幸せであることが一番です。
生きることに罰などありません。
皆様が心地よく生きることを願っています。
来週も時間がありましたら、
統合失調症エッセイを書きに来ます。
ではまたいずれ。