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第42話 親知らずの苦行

こんばんは。

今週も時間がありましたので、

統合失調症エッセイを書きに来ました。

日曜予約投稿予定ですが、

書いている今は土曜の夜で、

お酒が入っています。

本来統合失調症のお薬と、お酒は相性よくないので、

飲まない方がいいのですけれど、

すみません、大雑把な自己判断して飲んでいます。

いいわけしますと、

健康診断の血液検査において、

肝臓の値はすべて正常値なので、

肝臓に負担はかかってないよねと、

勝手に大雑把な判断をしております。

まぁ、今回もゆるっとエッセイを書いていきます。

酔っているのでめちゃくちゃになると思います。

力抜いていきましょう。


今回のタイトルとは別件のことですが、

物心ついたときから、

視界に何やらふよふよ浮いていました。

なんだかよくわからないけれどそんなものだろうと思って、

この年になるまで放置し続けていました。

さて、ネオページのとある作品におきまして、

飛蚊症という言葉を知りました。

飛蚊症について検索して調べましたところ、

私がいつも見ていたものと一致している上に、

放置はよくないとありまして、

やばいと思って眼科に行ってきました。

一通り検査などを受けましたところ、

9割がた、問題ない飛蚊症であるようです。

また、飛蚊症を治すお薬はないそうです。

付き合っていくしかないようです。

視界に何かが漂っていても、

気にしないでいくしかないようです。

ひとまず安心ですが、

視界はいつもぼんやりと何かがいます。

問題ないので気にしないで行きましょう。


さて、今回のタイトルですが、

親知らずの苦行、です。


人によるかと思いますが、

親知らずが生えてきたとき、

激痛が走った方がいたかと思います。

また、親知らずを抜く時に、

それなりに大変だったかともいたかと思います。

親知らずの根が深いと、

大手術になった方もいたかもしれません。

一般的に、苦痛なく親知らずが生えるのはラッキーなのかもしれません。

骨格などありますから、一概には言えないのですけれど。

とにかく、親知らずで苦しんだ人は、

かなりの数いるかと思います。


私も親知らずで苦しみました。

ある時、歯に激痛が走り、

その激痛を耐え続けました。

誰もこの痛みに気が付いてくれない。

私は生きているだけで罪だから、

この痛みは罪に対する罰だ。

痛みを受け続けないといけない。

誰にも痛みのことを言ってはいけない。

私は罰を受け続けなければならない。

そんな気持ちで親知らずの痛みを耐え続けました。

左右の奥の歯、上と下、計4本。

全ての痛みを繰り返し受け続けました。

それはもはや苦行です。

誰にも言わず、一人で罰を受け続けなければいけないと思い込んでいる、

そんな苦行です。

当時の私は、生きていることがよくないことと思っていました。

生きていては迷惑しかかけられない。

迷惑をかける存在は生きていてはいけない。

生きていることは罪である。

苦行は全て生きていることに対する罰である。

そんなことを思っていました。

眠れないほどの痛みが何度も繰り返されました。

私はこの苦しみを受け続けなくてはならない。

誰にも言わず、ひたすら耐え続けました。


当時は実家住まいで引きこもりでした。

引きこもりは迷惑をかけているから、

誰にも何も言ってはいけない。

親に迷惑をかけてはいけない。

引きこもりの時点ですでに迷惑をかけている。

それ以上迷惑をかけてはいけない。

また、生きていることがすでに迷惑である。

もっと苦しまなくてはいけない。

そんな気持ちでいました。


親知らずの痛みは、相当なものでした。

痛みとは、ストレスです。

親知らずの痛みが快楽に向くようなことはないように思います。

ひたすらストレスが続きます。

全ての親知らずが生えるまで、

長いこと苦行が続きました。

その間、私は自分に対する罰だと思い続けました。

生きていることに対する罰、

迷惑をかけていることに対する罰、

この苦しみに終わりがあってはならない。

ずっと罰を受け続けなければならないし、

助けてくれる存在はいてはいけない。

そんなことを考えていました。


おそらく、その苦行を通して、

私の脳はストレスにさらされ続け過ぎて、

本格的に壊れたのだろうと思います。

統合失調症になる素質はあったのでしょうが、

派手に壊れたのは、そこだったのかもしれません。

かなり長いこと、親知らずの痛みを受け過ぎて、

また、偏った考えに固まり続け過ぎて、

私の脳は派手に壊れたのだと思います。

苦行の果てに神や仏を見るということがあるとは聞きますが、

私の場合、とにかく私への罰だと感じていましたので、

私を壊す方向へと向かいました。

神も仏も見えませんでした。

助けてくれる存在も見えなくなっていました。


それから引きこもりを続け、

心療内科に通いつつ、

生きることを取り戻してきました。

そんな折、歯医者に行くことを思い立ちました。

当時は車の免許も持っていなかったので、

自転車でいける距離です。

歯医者にかかったところ、

ひどい虫歯と親知らずが生え切ったものが見つかりました。

笑える話ですが、

そこで初めて、私が苦しんでいたことが、

親知らずであったと気が付いたのです。

罰でも何でもありません。

ただ親知らずが生えてきただけだったのです。

歯医者に行けばすぐに処理ができるものだったのです。

耐える必要はなかったのです。

苦行にすることはなかったのです。

苦しいならばお医者様に行けばよかったのです。

その当たり前の事実に行きつくまでに、

かなりの遠回りをしました。

誰にも言わずに苦しみ続けて、

苦行で脳を壊す必要はなかったのです。

無駄と言えば無駄なことでした。

愚かなことでした。


今は、心療内科でお薬をもらいつつ、

ポンコツの脳と付き合っていっています。

苦行やその他もろもろで派手に壊れた脳ですが、

なんとかゆるく付き合っていっています。

脳は死ぬまでお付き合いするものです。

いつも私とともにあるものであり、

私そのものでもあります。

私と切り離せないものです。

どれだけ壊れましても、替えはききません。

また、身体につきましても、

私の身体のスペアはありません。

大事に付き合っていかなければなと思います。

苦しみは少ない方がいいです。

痛みや病気は早めに対処した方がいいです。

それが罰だと思い込まずに、

苦しまなくていい方法を探した方がいいです。

過剰なストレスは脳を壊します。

脳が壊れるとつらいです。

このエッセイを読まれている皆様に関しましては、

つらい思いをされたくないと思います。

お身体を大事になされてください。


苦行の果てに神や仏が見えるのは、

錯覚かもしれないし、

これだけの苦行をしているのだから、

それが見えないとと思っているのかもしれません。

また、過剰なストレスが見せた幻かもしれません。

身体を痛めつけて得られるものが、

神や仏かと言うと、

私はちょっと疑っています。

宗教に詳しいわけではないので、

私は疑っている、程度にしています。

ただ、苦行で脳が壊れますと、

ありえないことを考えたり、また、見るかもしれません。

そんな可能性を私は考えてしまいます。


今回は親知らずのお話でしたが、

皆様におかれましても、

不調がありましたら、

かかりつけのお医者様にかかられてください。

最初のあたりに書きましたように、

飛蚊症だったけれど大丈夫というケースもあります。

飛蚊症で大変なケースもあるかもしれないので、

大丈夫だったらそれでいいね、で、いいんです。

苦しみは少ない方がいいです。

取り返しがつかなくなる前に、

なんとかできたならばそれがいいんです。

可能であれば脳が壊れてしまう前に、

ストレスを受け過ぎておかしくなってしまう前に、

心も身体も治した方がいいのです。

健康であればそれが一番いいです。

治るのであればそれがいいです。

生きて幸せであることが一番です。

生きることに罰などありません。

皆様が心地よく生きることを願っています。


来週も時間がありましたら、

統合失調症エッセイを書きに来ます。


ではまたいずれ。

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