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第48話 メンタルは低空飛行でもフラットで

こんばんは。

今週も時間ができましたので、

統合失調症エッセイを書きに来ました。


暑い日が続いています。

日中外に出ると焼けるかと思うほどです。

たとえるならば焼肉のような気持ちです。

試したことはありませんが、

車のボンネットで目玉焼きができるのではないでしょうか。

食べ物が粗末になりそうなのでできませんが、

それほどのことを考えるくらいの暑さが続いています。

とりあえず今週もお酒を飲みながらです。

ラインナップはいつもと同じで、

オリオンビールと翠ジンソーダ。本搾りのライムです。

おつまみはローソンの生ハムと、

ちょっと不良になりまして、

堅あげポテトの海老塩にんにくです。

絶対深夜に向いていないものですが、

期間限定ビールに合う味と書いてありましたら、

試さずにはいられないです。

深夜のポテチは背徳の味です。不良のすることです。

そんなラインナップを嗜みつつ、エッセイを書いていきます。

ゆるりとお付き合いください。


さて、今回は、

メンタルは低空飛行でもフラットで、です。


低空飛行でもフラットなメンタルは、

私が心掛けている状態です。

ものすごく楽しくハイテンションになるわけでもなく、

また、落ち込みがひどくなるわけでもなく、

あんまりアップダウンがない程度に、フラットに行きたいのです。

いつも楽しいと思って気分が上がっている状態が、

そのままフラットに続いていくならばそれもいいです。

ただ、統合失調症ですと、

メンタルが乱高下する傾向があります。

統合失調症と診断されて間もなくの頃は、

そのメンタルの乱高下でほとほと疲れ果ててしまいました。

お薬と、生活習慣を整えていって、

心療内科にもしっかり通って、

ようやくメンタルが乱高下せずにフラットになっているなと感じています。

よそから見れば、あんまり楽しそうに見えないし、

悲しそうにも見えないし、

いまいち外からわかりづらいように見えますが、

メンタルがフラットでないと、しんどい思いをしてきたので、

人を不快にさせない程度に、

気分の表現は抑えています。

ただ、楽しいという表現をしますと、

喜んでくれることが多いようですので、

メンタルは低空飛行でフラットですが、

なるべく笑顔は心がけています。


さて、統合失調症なり立ての頃、

最初は鬱病を疑われました。

通っていた短大に通えなくなって、

引きこもりになって何もできないという状態になったので、

まぁ、鬱病かと思うのもそうだろうなと思います。

心療内科に通って、

統合失調症と診断を受けて、

お薬を飲みつつ、長い闘病生活が始まりました。


当時飲んでいたお薬の名前は忘れましたが、

お薬を飲むようになってしばらくして、

私は回復した、社会復帰しなければならないという、

義務感に似た気分になりました。

私はぐすぐず鬱々していた頃から回復した。

もう病気から回復した。

今までとどまっていた分を取り戻さないといけない。

社会復帰だ。そのために仕事をしなくては。

社会に役に立つ存在にならなくては。

いつまでも引きこもっていてはいけない。

そんな、ハイテンションになりました。

万能感とはちょっと違うのですが、

私は回復したから何かしなくてはいけない。

そんな気分になりました。

とにかく働こうと、バイトの面接をどんどん受けて、

ことごとく落ちました。

今になって思えば、

統合失調症の不安定な症状が、

面接に表れていたのだと思います。

ハイテンションの時期が過ぎると、

気分はいきなり落ち込んでいきます。

部屋からなかなか出られない、布団から出られない。

昼夜逆転が当たり前になり、

気分は落ち込んで何もする気力がなくなり、

とにかく動けなくなります。

当時親が見捨てずにちゃんとご飯を食べさせてくれていたので、

生命活動は止まらないでいましたけれど、

一人暮らしだったら食べることも拒絶していたかもしれません。

それほど動けなくなりました。

私は何もできない。

澱んで沈んだ状態になりました。

とにかくその時は疲れ切っていました。


疲れ切って動けない時期、休む時期が過ぎていくと、

ある時また、テンションが上がってきて、

何かしなければという気分になります。

何かしなければと思うのですが、

当時は社会経験もあまりある方でない若輩者ですので、

ことごとく空回りをします。

統合失調症ということもあり、

おそらく言動がズレていたこともあったと思います。

社会から爪弾きに遭います。

そうして私が考えたのは、

私は今ここで死ななくちゃいけないということでした。

社会の役に立たないのならば、

今ここで死のう。死ななくちゃいけない。

何かしなくてはいけないというテンションは、そっちの方に行ってしまいます。

ただ、自殺について調べる度に、

楽には死ねないのと、

死んだと言って何が変わるわけでないのと、

そんなことを考えてぐずぐずしている間に、

また、落ち込む時期がやってきて動けなくなります。

落ち込んでいる時期は、死ぬことすら面倒なほど動けないです。

テンションが上がっていた頃の反動もあって、

ほとほと疲れてしまっています。

そんなアップダウンを引きこもり時代に繰り返していました。

まともに生きていけないほどの疲れがいつもありました。

今思えば、これも統合失調症の症状だったんだろうなと思います。


執筆を始めたのは、

昼夜逆転して、メンタルのアップダウンが激しい頃。

決してまともなメンタルではない頃でした。

まともなメンタルではないなりに、

私の中のめちゃくちゃな部分を書き始めたのが最初でした。

青春を、陰界の九龍城のゲーム、クーロンズゲートに置いてきた私は、

妄想を題材にした一話完結短編を書き始めました。

当時はメンタルがめちゃくちゃで、妄想は山ほど浮かんできてうるさいほどです。

その妄想をどんどん書いていきます。

前にもエッセイに書きましたが、

執筆を勧めてくれたのは元彼でした。

その元彼を置いてきぼりにするような物語を書いていたのだと思います。

私は執筆で妄想を吐きだしていきます。

統合失調症患者の抱えている脈絡のない妄想です。

妄想を吐きだしていくと、

頭の中のめちゃくちゃに節操のないところが、

物語という形でちょっとだけ整頓されます。

妄想を吐きだして、言葉にすることで、

私の中にあるものが整頓されていく。

私はこんなことを考えている。

私が感じている感覚は言葉にすればこうなんだ。

吐きだした妄想が、私の輪郭を作ってくれました。

輪郭さえ失ってメンタルがめちゃくちゃだった、

私の形を取り戻せました。

私のメンタルは、低空飛行でフラット。

その形でいるのが一番疲れない。

その形を得るまでに、たくさんの物語を書きました。

物語を執筆することは、

私の中にある有象無象の言葉を形にすることでもあり、

統合失調症ということで、

メンタルの形すらわからなくなっている私自身の、

今感じていることを言葉にすることでもあります。

私のメンタルの形はこうであると、

私が私を知ることです。

執筆は私の形を確認することです。

私だけが書ける私の物語。

それは私の形を得るための作業です。

長いこと統合失調症と付き合ってきましたが、

ようやく疲れない形がわかってきた気がします。


統合失調症の寛解は、無いんじゃないかなと私は思っています。

どうしたって一度壊れたポンコツの脳と生きていく。

ポンコツの脳を、壊れる前に戻すことはできません。

ならば、ポンコツなりに生きやすいように生きていく。

それが私の場合、低空飛行でフラットなメンタルです。

あんまり感情的になると本当に疲れてしまうので、

感情に走る前に言葉に置き換えて、

いろいろ考えるようにしたりしています。

特に怒りや悲しみなんかは、本当に疲れてしまうので、

SNSで流れてくる怒りなんかは、

なるべく読まないようにしているところです。

怒りでワーッと頭に血が上ると、

その反動でものすごく疲れてしまうのと、気力が落ち込んでしまいます。

それは、私のポンコツの脳では生きづらくなるので、

あんまり情報に踊らされずに、

低空飛行でフラットなメンタルで行くようにしています。

私なりにマイペース。

ポンコツの脳とのんびり生きていきます。


次回も、時間がありましたら、

統合失調症エッセイを書きに来ます。


ではまたいずれ。

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