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呪師

44.思惑

 7日前に行われた王者と勇者のタイマンの勝敗は、限りなく速やかに王都へと報されたが、しかし。

 王者一行の家となった側防塔は静かなものだ。当初警戒していた貴族どもの突撃を受けることなく、わずかにでも王者の気配を感じたいと門外へ集まった人々の声が漏れ聞こえるばかり。


「ここからでもっ、騒ぎがっ、聞こえっ、まずげぇぶっ」

 開け放した側防塔の扉をほとんど閉じきった目で見やり、セルファンは言の葉を絞り出し、嘔吐感を噛み殺した。

 王者と共に走り、走り、走ったあげくにへたり込み、汗どころか涙と涎にまでまみれた顔はしかし、それはそれで異様なまでに美しい。これぞ顔面国宝の恐ろしさというものか。


「あの決闘を目にした連中のせいだね」

 上下に行き来しつつ、セルファンにタオルを放ってやる花子。

 竜の登場に腰を抜かしてあの場へ残った数少ない観客は、自宅や酒場でとにもかくにも話をせがまれていた。

 人の期待のせいか、酒の勢いのせいか、あるいは両方か。彼らはこぞって盛りに盛り、それぞれが実際を大きく越えた一大戯曲へと仕立て上げ、そのせいでより多くの人々に囲まれることとなって。

 こうなると王都に拠を置く演劇団も黙っていない。他を出し抜こうと劇化を急いでいるとのことだが、最速公演の冠を獲得するのは明日の夜に催される、王者戦勝の宴で国立演劇団が披露する一幕となろう。

 そうしたわけでまあ、話の中心に在る王者へ少しでも近づき、その気配を感じたい連中がどっと王城周辺――一行がいる側防塔の下へ集まっているわけだ。


「盛んのは、いいっす、けど。ウソは、ダメっす」

 こちらは花子を背に座らせ、延々と腕立て伏せを繰り返す義人の言である。

 無表情なのは筋トレが辛いからだとしても、この渾身から漂い出る薄暗い気配はなんだろうか。普段が普段だけに気になるところだが……

 花子は気づかぬ振りをし、殊更にのんびりと応えた。

「ああ、それは大丈夫だと思うよ。聖女王陛下のご高配のおかげさまで、ちゃんとした顛末が外に出たから」


 なかなかに信じ難いことながら、タイマンの内容を克明に記させ、世の示させたのは女王だった。

 両種の間に友誼が結ばれたわけではないながら、卑賤な存在とばかり語られてきたゴブリン、その勇者が見せた矜持と高潔さとが知られたことで、わずかながら人の意識を変え初めている。

 そして、王者が静かに過ごせている理由もまた、その女王が睨みをきかせてくれているおかげではあった。

「母上へだけでなく、父上の配慮にも感謝していただけますか?」

 と、場の内へ差し込まれる高く尖った台詞。

 声の主は聖女王候補のひとりであるカラスナだ。

 現聖女王を母に持つ彼女は当然王女であるのだが、父というのがまた特殊というかなんというか。




 北端侯。

 その名の通り彼が領とするエルバタの北端は、他の端――俗に云う辺境。国境に面するため、他国や異種との争いが絶えぬ地だ――が平穏無事に見えるほどの激戦地。

 そして彼こそは家を継いで20余年、戦略も戦術も統率も豪傑もその他あらゆる侵攻を撥ね除け、逆に領を押し広げ続けてきた生ける戦神なのである。

 エルバダにある貴族の内、彼の名を知らぬ者があろうはずはない。そしてこの王城へ出入りができる身分を持つ連中の内、彼の武に依らぬ権勢を恐れぬ者もまたありはしない。

 7日前、そんな彼が王城の大扉前へ仁王立ち、表情ばかりは朗らかにとある伯爵を手招き、言ったのだ。

『王者殿となにやら話されたいとのことだが、我が娘たる王女が側付に就いたものでな。彼の方との繋ぎは我が北端が担うこと、聖女王陛下より仰せつかった。して、御身の用向きは?』

 王者に謀を仕掛けようというなら、北端が相手となる。それはもう丁寧に指された釘の太さは埒外で、王者を狙う筆頭株であった伯爵は思わずへたり込んだものだ。

 この話はすぐさま伝え拡げられ、結果、義人だけでなく花子も犬もよく寝られる夜を得られている。


 そしてその翌日、むっつりとした顔で側防塔へやってきたのがカラスナだ。

『王命により、しばし王者殿の側付を務め、治癒を担うことと相成りました』

 と、次の瞬間。

『遺憾ながら!』

 長く伸ばしたウェービーな赤毛を気迫で逆立てた彼女は、生け贄に捧げられる寸前のような憤怒と絶望が滾る顔を力いっぱい引き歪め、視線を一切合わさずに吼える。

『誠に遺憾ながらっ!!』

 さすがにここまで嫌そうにされると申し訳なくなるのが人情というものだ。義人はできるかぎりやさしく申し出た。

『あー、ムリヤリは困るっすよね。俺、女王様に言っとくんで帰ってもら』

『王者殿に拒否する権限はありません! あたくしに拒否する権限がないことと同様に! ここはひとつ互いに不本意を噛み殺し、使命と割り切って勤めを果たしましょう!』

 当然、義人にはよくわからない話ではあったのだが、ともあれ。『押忍』のひと言で彼女を受け入れ、今日に至る。

『オスとはなんですか? 方言ですか? 造語ですか? 意味不明な己語をあたくしに押しつけるなど、まったくもって筋が通りませんよ!? 納得できる説明を要求します!!』

 ……まあ、今日に至るまでには相当面倒なやりとりがあったにせよ、彼女のおかげで体の調子はなかなかな好調を保てていた。オプションの絶叫は外せないながら。




「いやいや、君のお父君には感謝してるよ。おかげで毎晩よく寝られてるしね――100」

 数を告げた花子が背から降りれば、義人はするりと立ち上がって外へ向かう。

「俺、ちょいシャドーしてきます」

 その背を見送ったカラスナは、一拍遅れて立ち上がり、義人の後を追おうと踏み出したが。

「なにするつもりだい?」

 花子の短な問いの意味は訊き返すまでもなく理解している。

 カラスナが来て6日の間に、義人はどんどんと薄暗く落ち込み、黙り込むようになっていた。

 原因がなにかまでは知れずとも、程なく次の挑戦者が現れる。おかしくなっていていい余裕などありはしないのだ。

 故に。


「お尻を叩いて差し上げようかと。不本意ながらエルバダの安寧は王者殿次第ですので」

 王者が負ければこの豊穣の地は奪われ、人の繁栄は尽きる。

 事実を含めて言い切った少女へ、花子は力を込めて口の端を上げてみせ、

「そっかぁ」

 不可能だとあきらめて、浅はかだとげんなりして、それでももしかしたらと期待する。そんな彼女の表情をカラスナが読み切れるはずはなかったが、だからこそ、苛立ちを隠さず問いを返した。

「おっしゃりたいことがあるなら、あたくしにも理解できるほど噛み砕いてくださいますか?」

 やれやれ。花子は肩を小さくすくめて息をつく。

 少女の態度が一種のパフォーマンスであることは間違いない。駆け引きは不要、速やかに真意を示せと急かすがための。

 なるほど、確かに政治向きじゃあないね。思いつつ、淡々と語り出した。

「君が後輩くんの気持ちをちょっとでも上げてくれないかなぁ、そうしてくれたらいいんだけどなぁって、狡いことを考えてるわけさ」

 自分が話をするに先んじて、王者の落ち込みようを少しでも和らげてほしい。竜魔がそう言っていることは明白だ。

 しかも、君には無理だよね。あたしはそれがわかってるのにね。でも、奇蹟的にってこともあるかもしれないし。などという失礼極まりない意を添えて。

「まったくもって狡いお話ですね」

 とはいえ玲瓏なる竜魔は言わばエルバダの偉人だ。失礼を指摘するのを避けてそれだけを返せば、『だろう?』とでも言いたげに花子は口の端を上げてみせた、

「あたしはエルバダのことなんかどうだっていいんだよ。でもここで後輩くんに裏切られたら困る。君の美貌でぜひ彼を籠絡してほしくてね」

 そんな竜魔へ、カラスナは顰めた顔を左右へ振ってみせて、

「あたくし王者殿のことが嫌いですので遠慮させていただきます……と、それはともかく、さすがにもう少し包み隠すべきでは?」

 こればかりは譲らない。鋼の意志を見せつけたというのに、竜魔のにやにや笑いは引っ込まない。それどころかすり寄るようにカラスナへ視線を差し向けて、

「そのくらいあたしにも余裕がなくてぇ。いいだろ? もしやり遂げられたら玲瓏なる竜魔にひとつ恩が売れるんだし」

「ちなみにお買い上げいただきました恩はどのようにお返しくださるおつもりですか?」

「そりゃもう華麗に踏み倒してご破算さ」


 初代王者に関する文献ではわずかに語られるばかりの“玲瓏なる竜魔”だが、初代聖女王たる“透白の聖女”の個人的記録に綴られた竜魔への呪詛は相当に酷い。

 聖女王候補はもれなくこれを学ばせられた上で「竜魔を信じるな」と言い含められるのだが、その意味と意義をいくらか知ることとなったカラスナであった。


 でも、そうとわかった以上は乗って差し上げませんよ。あなたの意図を裏切って、あたくしの筋を通させていただきますので!

「それと服を着ていただきます!」

 なぜにあの男はいつも上半身裸なのでしょう? もしやあたくしを籠絡……いえ、あの男はいつもそうでしたね。性癖ですか? 蛮族の風習? あたくしには知りようのない怪しげな事情? いずれにせよ汚らわしい下種の行いは正していただきませんと!




 このときセルファンはひとり側防塔を駆け出していた。

 とはいえ義人を追ったわけではない。走り込みを再開したのだ。

 ちなみに。彼の走る様は、おかしいとしか言い得ぬ代物である。

 両手の振りは角度がおかしく、内股にすぼまった両脚は動きがおかしく、青ざめた美貌もまた攣りかたがおかしい。

 しかし、彼は止まらない。走り始めて半月程度ではあるが、おかしいながらも独自の型というものができてきたようで、意外な速さを為してもいた。

 それを見たとある人物は彼の運動能力の低さとしぶとさとに目を丸くし、いきなり燃料切れを起こして前のめりにぶっ倒れた彼を助けに走るのだった。

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