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46.後悔

「あの子はほんとに賢いなぁ」

 うそぶいて、義人へ向き直る。

「君と違ってね」

「……押忍」

 素直にうなずくよりないほど、わかっていなかった。それこそなにがわからないかもわからないのだからどうしようもない。

「俺、どうしちゃったんすかね?」

 犬はいつの間にか姿を消していて、頼れるものはもうなにひとつ残っていなかったから、しかたなく先輩と向き合ってしょぼしょぼと問うた。

 すると、そんな彼の心許なさを察してか察せずか、花子は淡々と正解を発表する。


「後悔に追いつかれたのさ」


 後悔?

 俺が、後悔してる?


「してねっすよ。だって俺、しねーんすもん。ラオさんに約束したんで。追いつかれるとかぜんっぜんねっすから」

 義人は言い募った。それらしい言葉を探しながら、必死に。

 しかし、必死な自分がなにより証してしまう。その言葉がもれなく言い訳に過ぎないのだと。

「それはそう思い込みたい君の言い訳だ」

 花子はあくまで穏やかに言い募った。

「どんなに正しい選択をしたとしても、後悔はするんだ。気づかないふりをすれば逃げられた気になれる。でも、逃げ切れないんだよ。いちばん近いところ――自分の胸の内に悔いは在り続けるものだから」


 悔い。

 得体の知れなかった靄めきが音を与えられた途端に形を成し、ぞわり。背筋を這い上る。

 シャザラオはあのタイマンを、それ以上に義人の心を汚さぬため、命をくれた。

 異世界ルールに納得していたわけではない。が、勇者の心意気を穢すことだけはできない、そう納得すればこそ自分は彼の死を見届けて、女王を叱りに行ったのだ。

 ――かけがえない友を死なせたこと、本当に納得していたのか?

 当然だ。万が一納得できていなかったなら、自分はなんとしてでも飛び込んで、止めていた。

 そりゃそっすよ! だって俺、義理と人情、義人っすから!


 しかし。


 あの場を覆せる力が自分にないことを弁えてしまっていたから、自分はシャザラオの死が唯一無二の正解だと、そう思い込んだのではないか?


 だから。

 だからこそ。

 だからなのか。


「勘違いするな」

 思いの底へと落ち込みゆこうとしていた義人を、花子が声音で釣り上げた。

「勇者を死なせたのはあたしだ。彼を救える力があったのにあたしは都合を優先して動かなかったし、それどころか君を止めようとまでした」

 全部あたしのせいなんだよ。

 あのときのように義人の背中を抱え込み、擦り込むように騙る。

 そう、これは真実ながらも、虚偽だ。

 聖女王のいじましい覚悟は封印術よりも強固に竜魔を縛めていた。それを引き千切って己を貫けようはずがない。ないのだが。


 結局のところ花子は、勇者の死を悼んでも惜しんでもいない。義人とシャザラオのタイマンをなにより美しいものと認めていながらだ。

 誰かの命への終着が薄いのはまさしく異世界ルールに慣れすぎているためかもしれないが、シャザラオの矜持は保たれたのだからそれでいい、そんなことよりも義人が生きているのだからそれがいい。あとは後輩をどうなだめようかと、そればかり考えていて。


 あたしの本意なんかどうでもいい。君が立ち直れたって思い込めるなら、嘘なんかいくらでもつくよ。

 って、淡々と思えるあたしは最悪に薄情なんだろうね。後輩くんに本性知られたらどうなるかな。

 でも、ひとつだけ言い訳させてもらう。

 あたしは数え切れない死を見届けてきたんだ。

 誰かの死に思うところなんかもうないんだよ。

 他の誰かの死には、もう、なにも、思わない。


「もう一度言うよ。あたしに怒れ。あたしを恨んで憎め」

 これはシャザラオの自刃を見送らせた際、唱えた台詞だ。

 彼にはそうするだけの権利があるし、自分にはそうされるだけの義務がある。

 そうでなくとも激情には向かう先が必要だ。吐き出せずに押し詰めれば、やがて心を内から破裂させて壊し尽くしてしまう。たとえふたりの関係性が歪むのだとしても、義人を壊すよりはましというもの。

 だが、彼女の覚悟はすかされる。


 義人は子供のように大きくかぶりを振り、叫んだ。

「後悔なんかしてねーんすよ!!」

 なにも聴かなくて済むよう大声を張って、なにも視ずに済むよう下を向いて、

「そんで!! 怒んねーし恨まねーし憎まねー!! 俺!! オヤジとかーちゃんと先輩、ガチでソンケーしてんで!!」


 花子は後輩の逆上を見ているよりない。

 彼の過ぎるほどの頑なさ、そしてわずかにでも心を許した他人への異常な信頼、それらは彼の過去に起因しているのだろう。たった今口にしたオヤジとかーちゃん、ふたりにまつわる過去が。

 バイト時代から彼は端々でふたりのことを口にしていた。彼としては慎重に隠しているつもりだったはずだ。それでもこぼれてしまうほど、その存在が大きすぎたのだろう。

 今にしてみれば聞きほじっておくべきだったと、それこそ後悔している。知っていさえすればもっとうまく彼をなだめすかし、乗せられる嘘がつけただろうに。

 だが、今はそれどころじゃない。

 彼がなにより大事にしているふたりは、彼の心の深いところに刻まれた疵だ。

 花子の言葉は知らぬ内にそれを掻き毟り、昏い記憶を掻き立ててしまった。


 ああ、くそ! この場をやり過ごしたくて藪蛇をつつき出した!? なにやってるんだ頭悪いんじゃないのかあたしぃ!!

 でも、あたしが悪いからって甘やかしてやれないんだよ! だって当然だろう!? 君はあたしの都合を果たしてくれる王者なんだから!

 今の傷も昔の傷もさっさと立ち上がって乗り越えろ。そのための餌を今、くれてやる。


「わかった。君は後悔してないし、あたしを尊敬してるんだな。だったらあえて言っとく。君があたしを恨んで憎んで呪わないなら、あたしの薄情まで受け容れて信じろ」

「押忍!!」

 本当にいい返事だ。

 だが、信じはしない。この男はわかっていないのにわかった気になる単純バカなのだから。信じてやるのは、花子の都合に向かって本気で走り出してからのことだ。

 この期に及んであたしはほんと、自分のことばっかりだ。自己嫌悪を皮肉へ替えて、口の端を吊り上げた、そのとき。


「俺」

 ふと目を上げた義人の顔は真剣で、思わず花子は身構えてしまった。

 なんだよ後輩くん、いきなりそんな男っぽい顔して!

「ぜってー先輩に恩返しますんで。そんだけ信じてやってください」

 決意が両手に押し詰まった力を揺らし、色濃い気配を立ち上らせる。

 彼の本気を心の芯へ捻じ込まれて、花子は思わず眉根を跳ね上げた。

 君はほんとにどこまでも君過ぎる。さすがに驚くよ。

 こみ上げるものを噛み殺し、花子はそれをごまかしたいように餌を放る。

「恩返ししてもらうためにもまずは使命のほうを片づけないとね。さ、ここからは君が大好きなタイマンの話だよ」

「ハナシって、なんすか?」

「次の決闘の掟、君っぽく言えばタイマンのルールを決めようって話さ」

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