『勝手に俺の昔話見やがって、そんで騙そうってか? いい根性してんじゃねーか』
ムっとして言い返せば、初代はやれやれとかぶりを振って、
『私だってもう少し誠意を尽くしたかったんだよ。でも君は私の力を頑なに拒んで、背負うだけ背負ったあげくなにを果たすこともなくこうなってしまった』
手段なんか選んでいられないさ。あっけらかんと言い切った初代は、爽やかな笑顔を義人の顰め面へずいと突きつけて。
『そもそも君の記憶は偏りが過ぎるよ! 御尊父に暴力を振るわれ続けた恐怖! 自分を棄てていった御母堂への複雑な心持ち! 我慢し通しだった学校生活! あんなにあっさり片づけていいものじゃないはずなのに!』
手のない腕で義人の肩をぽんぽん叩きながら言い募る初代。それこそ手があったなら方を掴んで揺さぶりたかったのだろう。爽やかな顔をしているくせに暑苦しい奴だ。
そして話が長いあたり、セルファンを思い出すところだが、王者は王でも王配でもないはずなので、もしかすればエルバダ男子特有の
と、そんなことはさておいて。
『マジどーでもいいっての』
心の底からどうでもいいことだ。
己はオヤジに拾われたあのときに生まれ、彼とかーちゃんに育てられて飛田義人になった。前世への執着など、一切ありはしない。
それを聞いた初代はうなずき、伏せた顔を上げる。
これまでの爽やかさを消し去った、冷たい無表情を湛えるばかりの顔を。
『ああ、そうだね。君にとってどうでもよくないものはオヤジ殿とかーちゃん殿だけだ。でも、両手を失くした君の側に彼らはいなかった。だからこそ竜魔にも付け入る隙があったわけだけど、じゃあ彼らはいったいどこへ行った? 養子になったにせよならなかったにせよ、君が飛田義人を名乗り続けている以上、決別したわけじゃないはずなのに』
ここで一度言葉を切り、色のない顔を傾げて間を空けて、再び口を開いた。
『もちろん察してはいるのだけれどもね。決別ではない“別”を演じたせいだって』
よくわからないなどとに逃げてはいられない。突きつけられた言の葉は、義人の胸の芯を過たずに突き抜いていたのだから。
加えて、悟らされてもいた。初代が己を惑わせ、記憶の内で語られなかった情報を引き出そうとしていることを。
見た目にそれこそ騙されかけたが、ただ話が長いだけの男などではありえない。
ならばどのような男なのだと問われれば、お得意の“よくわかんねーんすけど顔”を傾げるよりないのだが……傾げるよりも今は。
『ふざけんなクソが!』
バックステップで距離を取りつつ吐き捨てた義人へ、初代は一歩を踏み出し言の葉を追い打った。
『そうそう、約束があるんだったね。聞こえなかったところはそれだ、ぜひ君の口から聞かせてほしいな』
『うるせーよ!! もう死んでんだから黙って死んどけ!!』
たまらず左ジャブを伸ばして初代の前進を押し止めようとした義人だが、
『まったくだ。なにせ』
初代は見事なヘッドスリップで拳の脇をすり抜けて、
『死人に成し遂げられることなんてありはしないんだからね。つまりはそう、君が思い描く彼らもまた同様にだ』
体ごと跳ね上げての右アッパーカットを繰り出した。
あまりにも見事な体技と、あまりにも太い正論。
『わかってんだよんなこたよ!!』
上体をいくらか反らして右腕の先端を躱し、身を振り戻した義人は、初代の前腕を絡め取るように右フックを打ち込むが、しかし。
『わかっているだって? 死んだこともないはずが、ずいぶんと知った口をきいてくれるじゃあないか』
初代が低く吐き捨てた。
今の今まで存在しなかったはずの左手でもって、今の今まで存在していたはずの拳を失った義人の左手首の先を握り止め、握り込んで。
一方、手を失った義人はとにかく右腕を引き抜こうと焦ったが。
『生きていればこそ為し、成せるんだよ。だからね、いつまでも意地を張らないで、私の力を遣いたまえ』
初代はびくともせず、逃れられなくて。
ささやきかけられる言の葉を躱すこともまた、できはしなかった。
『……遣わねーよ。俺ぁズルしねー、マジでガチのガチやるんだよ』
なんとか言い返したセリフはされど弱々しく、どうしようもなく揺らいでしまう。これでは初代の思う壺だとわかっているのに。
『今言ったばかりだよ。君は。なにも。できは。しない』
いちいち区切りながら強調、義人の声音を塗り潰した初代はさらに、
『もう十二分に思い知ってくれたものと思うのだけれどね。私が力の発現を止めただけで、君は呪師にあっさり付け込まれてこの体たらくだ』
義人のあがきを手の内に感じながら、とろりと笑んだ。
『私の力はすごいぞ? 君の体から呪を消し飛ばして、完全に再生することだって簡単なことだ。60拍の間に立ち上がって呪師を追えば180拍を数えるまでもない。すぐに追いついて、一打で終いだよ』
『うっせーっつってんだろ!?』
ようやく引き抜けた右腕を叩きつけるように振り回せど、初代は復活した左手より剣がごとくの白光を伸べ、彼の腕を巻き取りながら斬り裂き、振り払った。
『がああっ!!』
光の得体は知れぬながら、研ぎ上げたカミソリさながらの切れ味だ。
が、問題はそんなものではない。
無造作に見えながら、熟達した義人の技を易く凌ぐ冴えを備えたその剣技。
『ちなみに君の腕を飛ばさなかったのは、手を返してもらったことへの謝礼と謝罪だよ。こうなってしまえばさすがにわかるだろう? 君は私に遠く及ばない。才能については言及しないでおくけれども、死闘を踏み越えてきた経験が違うからね。君の言葉を借りて言うなら、ガチのガチをやってきた数が違うわけさ』
楽しげな笑みを浮かべているのに、言の葉はおそろしく重い。
聞くばかりで思い知らされた。
『マジでアッタマくっけど、よ。ウソじゃねーって、そんだけ、わかるぜ』
ズタズタに裂かれた右腕から流れ出るものはない。当然か。これは末期の夢に過ぎぬのだから。
されど痛苦ばかりは真に迫る代物で、倒れ込んでのたうち回ってしまわぬため、とにかくしゃべって気を紛らわせるよりない仕末だ。
『では、おとなしく私に従うといい。悪いようにはしないよ。というのは嘘なんだけれどもね』
言い終えると同時に初代は踏み込み、切先を突き込み来た。
義人は傷ついた腕の先でパリング。切先を横へ叩き払えど、初代は手首の返しで衝撃を和らげ、光刃を引くことなく再び押し進める。
『正直もんかよ!』
スウェーなどとは言えない、大きくのけぞるばかりの挙動で刺突を躱した義人はそのまま上体を横へと振り、旋回に乗せて左のロングフックを放ったが――わずか半歩を退いた初代の直前を空振らせられた。
『正直も時には嘘となり得るものさ。君にはまったくもって経験が足りていないよ。それ以前に知力が足りていないのかな』
『うっせーよ!』
このまま硬直してしまえば仕留められるばかり。
振った左腕を追いかけるように左足を踏み出し、一歩。二歩めを分だ左の爪先を躙って身を初代へと向け直した義人は咄嗟に大きく跳びすさる。
『本当に目がいいね。七割方は御尊父のおかげ様だ』
二代目の喉元へ届くことなく空を貫いた切先を見やり、初代は大仰にうなずいた。
『私の都合を果たす“手”の台座として申し分ない能力だよ。さて、どうやって君の心を食い潰してあげようか』
初代がなにを言っているものか、なんとなしに理解はできる。
彼は義人を傀儡にしようというのだ。呪師が遣った傀儡などとは違う、初代の遺志か意志かをただただ行うばかりの人形に。
『……アンタ、なにがしてーんだよ?』
続いて襲い来る切先をウィービングで避け、ダッキングで潜り、ステップワークを
『なにがしたいか? 今さらな質問だね』
獲物を追い立てるを止めた初代は光の密度を縮め、肩をすくめてみせて。
『呪師を殺す。竜の約束を穢したエルフを殺し尽くす。その後に続く挑戦者も皆殺し尽くして、今世の人々へ勝利と栄華をもたらすのさ。それこそ私が果たすべき使命だから』
そんなものが、王者の使命だというのか。
この男はそんなことをしたいばかりにあの手の内へ居残り、数百年も待ち続けてきたと?
『ああ、心配しないでくれたまえ。それを成した者の名として語られるのは私ではない。君だよ飛田義人君』
どろりと濁った初代の笑顔へ、義人は反射的に叫び返す。
『んなダセーことっ、俺ぁ、しねーんだよっ!!』
一切気づかぬまま、待ち受けられていたひと言――NGワードゲームにおけるNGワードを自ら口にし、引き込んでしまったのだ。
『そのダセーことをしないために読めないはずの空気を読んで、ゴブリンの勇者の死を見過ごしたわけだ。が、結果はどうだ? 君は深く後悔して、だけれどもそれを認めて楽になれもせず、苦しみ続けている。まったくもってダセーことじゃないか』
挙動が、体が、心が、硬直した。
花子に指摘されてなおわからないふりをして胸底へと押し隠し、強引に目を逸らしてきた後悔。放たれたそれは一気に彼の内を満たして押し詰まり、昏い淵へと引きずり込んでいく。
俺ぁ後悔してた。ちげー、今もしてる。
ズルいよな。自分のこと騙してたんだからよ。
でも。しょうがねーじゃねーか。俺がてめぇ勝手に突っ込んじまっちゃ、命張って筋通してくれたラオさんの心意気、汚しちまう。んなダゼーことできねーよ。できなかったんだよ。
俺さ、読めもしねー空気読んじまった。
ラオさん止めらんなかったあんときも、もっと前のあんときも、どっちもそんで――